第14話 ミシェル・ド・レネの過去

 フォア卿からの呼び出しなんてばっくれてやろうとしたのに、なんと食堂から出るとすぐそこで待ち受けていやがった。


「長い夕食でしたね」


 野郎、微笑んでやがる。あれがおれにとっての最後の晩餐だったのか。一緒に食堂に出た仲間たちの励ましを受けながら、おれは焼かれる前のガチョウ気分で副隊長殿の後ろをついて歩いた。


 元々はリュシアンが使う予定だったフォア卿の個室は、相部屋と変わらない広さではあるものの、調度品の質が違う。ベッドしかり、戸棚しかり。丹念に磨きあげているらしく、てらてらしている。床には濃い赤紫の絨毯が敷いてあり、カーテンもそれに合わせているようで渋い赤色の分厚い生地だ。


 奴の部屋だと思うからか。入った瞬間から臭い気がしていた。あー、やだやだ。一人だけ呼ばれるのは嫌な気分だ。コソコソ貧民区を調査していたことで咎められるのなら、仲間全員呼べばいいのに。どうしておれだけなんだよ、陰湿すぎる。


 でもフォア卿が机にある書類をもったいぶった態度で手に取って振り向くと、そのまま軽く腰掛けたのを見て、貧民区は関係ないような気がしてきた。そして案の定、彼の口から出たのは、おれの経歴についてだった。


「ミシェル・ド・レネ隊員」


 彼の発音はネチネチしていた。書類越しに上目にこちらをうかがう視線も気色悪い。おれはなるべくドアの前から動かず、すぐにでも出られるよう立っていた。緊張と不快さで胃の底から、さっき食ったシチューが飛び出そうだ。


「君の父上は北部の名士レネ伯爵だね。その一人息子が、ミシェルくん、君だ」

「そうですね」


 片方の肩だけすくめた。意識してやったわけじゃない。まるでひきつけを起こしたみたいに動いてしまったのだ。


「母方の親族がプリュイ領の領主で、こちらも爵位は伯爵だ」

「伯父から何か連絡があったんですか?」


 今の領主は母の兄、おれには伯父にあたる。だから、聖騎士団所属のおれが領内に転属してきたことを知り、何か知らせてきたのかと思ったのだ。でもフォア卿は「いいや」とさっきおれがやったみたいに肩をすくめる。バカにされた気分だ。


「伯爵からの連絡は何もないよ」

「でしょうね。伯父は母と縁を切ってますから」

「楽士とのスキャンダルがあったからね」


 だろ、と試すような微笑で反応を見てくるフォア卿に、思わず舌打ちしたくなるのを堪える。


 伯父には兄弟が多く、母はたくさんいる妹の一人にすぎなかった。父と別居した時、親類がゆえに領内に住まわせてくれたが、伯父と会ったのは越してきた日の一度だけ。その後、本邸で祝宴が開かれても、別邸で暮らしていた母とおれは参加しなかったから、何の交流もなかった。


 そして、フォア卿が指摘したように楽士との恋愛が元で、伯父は母と絶縁した。父方のレネ家に戻ったおれとも、一切関わりがない


「ではわたしは何の理由で、呼び出されたんでしょう」


 少しびびっていたが、それでも挑発的に問い返すと、フォア卿は書類に目をやったまま口角を上げて笑った。蛇が舌なめずりしたみたいだ。


 薄い唇に尖った顎。鼻が低く目が細い。少しでも美点を探してやろうとしたが、肌も栄養不足みたいに変な色だし、髪も艶がなく魅力的でない。底意地の悪さが全身から噴きあがって部屋中に降り注いでいる。おれはなるべく息を止めたくなった。


「少々確認したくてね。君の両親はどちらも歴史ある名家の一族だが、幼少の頃に別居、一人息子のミシェルくんは母方の領地に引っ越した——ここまで合っているだろうか?」


「ええ、合ってますよ。それから?」


 自分を守るように腕を組み、促す。フォア卿は嫌味な笑みを浮かべたまま続けた。


「十歳で修道院付属の寄宿舎に入り、その後、十三歳でレネ伯爵に引き取られ、後継者教育を受ける。伯爵は」


 彼は区切り、書類からおれへと視線を移した。


「再婚していたそうだが、事故に遭い、妻と娘を亡くした。それで君を修道院から引き取りレネ家に呼び戻した、と理解していいだろうか?」


「そうです」


 おれは組んでいた腕をほどき、仁王立ちするように腰に当てた。


「母と離縁した後、若い妻を娶ってすぐ娘が——わたしの妹ですが、誕生していたんですけど、聖都に祝福を受けに出かけた際、滑落事故に遭いました。妻と娘は亡くなり、父は生き残りましたが、怪我の後遺症で子を持つことは難しくなり」


 自然に、ふ、と一息入れていた。


「修道院にいたわたしを引き取り後継者に指名しました。血縁の濃さを重んじたようです、そういう人でした」


 過去形で言ってから、


「そういう人です」


 言い直した。過去にしたい。だが、まだ父は生きている。すっかり気力をなくしてベッドの住人になっていると聞くが、まだ生きていて、息子に関心を持っている。


 だがその関心はひどくいびつだ。父の中でおれはゆがめられ、虚構の人になりつつある。彼の中でおれはたくましく立派な——それこそ、リュシアンみたいな——青年でいるだろう。小柄でひ弱なミシェルは、父の中で存在しないのだ。


 フォア卿はおれの返答に満足したのか、大きくうなずくと、わずかに首を傾げた。


「レネ家に戻ってすぐ、君は結婚しているね?」

「ええ」

「家門の娘と。君が十四歳で」

「彼女も十四、同い年でした」


 フォア卿が傾けていた頭を反対に動かす。顎を触りながら目は書類を見たままだ。

 唾液が口内に満ちていった。飲み下すのがひどく困難だ。胃の奥がキリキリした。


 まだこの尋問は続くのだろうか。


 ミシェル。その名前を聞くと、フラッシュバックする光景がある。

 それを先読みして眩暈がしてきた。

 血、血、血。悲鳴と懇願、そして涙。


 フォア卿が言った。


「妻の名はミシェル」

「ええ……スペルが違いますが、そうです、わたしと同じ名前です」

「君たちの結婚生活は短かったようだね」

「八か月と十七日」

「葛藤期間も含めてかね?」


 おれの口から引きつった笑いが漏れた。


「そうです。四日耐えました。その後、わたしが殺しました」


 海が見える高台。陽気に誘われてピクニックに出たあの日。

 ミシェルは吸血鬼に襲われ傷を負い、感染した。


「そして君は教会所属の騎士団の入隊試験を受けるはずだったが、伯爵の意向を無視して、シアン・ド・ギャルドを志願した」


「番犬も教会所属の騎士団ですよ」

「ああ。でも伯爵が望んだのは、花形騎士団のほうであって討伐隊ではないだろう?」


 あれは一大決心だった。

 幸運だったのか、不運だったのか。


 同日にシアン・ド・ギャルドも入団試験を行っていた。名門貴族のおれは名前と紋章を見せれば合格できると聞き、父に反抗してそっちを受けた。


「妻の無念でも晴らしたくなったのかい?」


 くす、と笑むフォア卿に、おれは反射的に口角いっぱいに広げて笑っていた。おかしくてたまらない。この野卑な男のすべてが、滑稽で愉快で爽快ですらある。


「ロマンチックでしょう。わたしはそういう人間なんです。この世に蔓延る吸血鬼を根絶やしにしたい。だから志願しました。他に質問は?」

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