第50話 この子、可愛いんだもの
「可愛いミシェルの頼みなら何だってしてあげないとね」
ラミアは獲物を捕まえる鷹のように指を曲げると、リュシアンに余裕のある笑みを向ける。一方、彼は約束を守っているつもりか、剣を触りはしないものの、すぐ抜ける距離で止め、斜に構えた。
「わたしが美人だからって手加減しなくていいからね、隊長さん」
「レゾンを軽く見るわけないだろ」
ラミアが二歩踏み込むと、リュシアンは半歩横に動いた。二人は互いから視線をそらさず動きも慎重になっている。その張り詰めた雰囲気には寒気さえ覚えた。ラミアは強い。でもリュシアンだって強いんだ。
脳内で想像だけが加速する。跳躍するラミア。リュシアンが剣を抜く前に、その首を掴みへし折る——いや、リュシアンが剣を振り上げ、神聖力の光がラミアを斬り焦がす。
ラミアの上体がわずかに沈んだ。跳躍する直前な気がして叫んだ。
「待って、だめ、待って」
ラミアが動きを止め、リュシアンを見つめたまま微笑した。
「首をへし折るのはなし?」
「なし、うん、なしにして」
喉の奥で空気が絡まり苦しくなる。目を強く閉じて呼吸を正そうとしたが、ますます苦しくなってきた。
「あらあらミシェル。どうして泣くの。泣くようなことは何もないでしょ」
リュシアンと対峙していた時の張り詰めた空気が嘘のように、ラミアは柔和に笑み、小走りに駆け寄ってくる。肩を抱き、腕をさすり、ひたいに唇を優しく触れさせる。
「泣かないでミシェル。どうしたの、そんなに怖かったの?」
「何で」ひくっ、としゃくりあげる。
「仲良くできないの、どうしてだめなの」
自分でも何を勝手なことを言ってるんだ、とわかっていた。でもしゃくりあげる息が苦しく涙もとまらず、ただなだめるラミアの声に耳を傾け続けていることしかできなかった。
リュシアンを追い出して欲しいと彼女をけしかけたのは自分だ。それなのに今はラミアをなじるように泣きじゃくってしまう。
「ミシェル」
リュシアンは剣を作業台の上にゆっくり置いた。それから両手を上げ、剣から距離を取るように下がる。
「レゾンを斬りに来たんじゃない」
「ラミア。名前で呼んでくださる?」
ラミアが注文を付けたが、リュシアンは眉根をしかめるだけ。
「その女を討伐しに来たんじゃないんだ」
「あらそう」
「剣は離したから。彼女に危害は加えない。だから少し話さないか。突然いなくなったし……急にあんなこと言って驚かせたとは思うけど」
「ですってよ、ミシェル。どうする?」
目を強くこすってからリュシアンの様子をなるべく冷静な目で観察してみる。彼は申し訳なさそうにやや背を丸めていて弱々しく見えた。銀髪の光り輝く騎士であるはずのリュシアンが、叱られる少年のように不安げだ。
そんな姿が無性に腹立たしく感じた。憎いとすら思う。
「父は」
しゃくりあげそうになる喉をなだめてから息を吐き、続ける。
「レネ伯爵は死んだ? まだ生きてるの。おれを探してる?」
「おれが知っているのは昏睡状態だという情報までだよ。その後はわからない。ミシェルが」
リュシアンは一瞬だけラミアのほうへ視線を動かし、すぐに戻した。
「消えたのはレゾンの仕業になってる。あの夜に一人で森に入り、そのまま」
「わたしがミシェルを食べちゃったって?」
ラミアは歌うように言った。
微笑んでいる。純粋な眼差しで何もかも愉快だというように。
リュシアンは彼女を見、またおれを見てから視線を下げた。
「カロン助祭がそういう話に持っていったんだ。今、プリュイ支部はレゾンとの関係が露見して混乱してるよ。フォア卿が本部に告発したんだ。あの人、プリュイ領の討伐件数が激減しているのを怪しんだ本部が、調査のため送り込んだ人だったんだよ」
リュシアンは言い終わると気弱な眼差しでおれの様子をうかがってくる。ぶたれる前の犬みたいだ。なぜ彼がこれほどまでに情けない態度に出るのか全くわからなくて苛立っていると、何もかも見透かしたようなラミアが肘で小突いてきて、耳打ちしてくる。
「ミシェル。隊長さんは、すっかりあなたに夢中ね」
ぎょっとして身を引く。
「何で?」
「見たらわかる」
ラミアは目をぱちぱちさせる。
「彼、あなたが命じたらきっとなんだってしそうね。ミシェルは言葉ひとつで彼をどん底まで落とせるのよ、嬉しくない?」
ラミアの言い草が恐ろしくて唖然とする。と、何を思ったのか、リュシアンがしゃしゃり出てきた。
「そうだ、おれはミシェルが好きだ。軽い気持ちで求婚したんじゃないんだ」
「うるさい、黙れったら」
「やあね、恥ずかしがらないの、ミシェル」
「ラミアもやめて!」
かっかしたまま、作業台の上にある剣をつかむと、リュシアンに向かって投げつけた。剣がぶつかってもリュシアンは受け止めず、床に派手な音を立てて落ちる。
「帰れよ。お前と結婚なんかするわけないだろ。命じたら黙って従うと思ったら大間違いだからな。いい加減、放っておいてくれよ」
涙が出てきた。袖口でこすったが次々出てくるのでどうしようもない。
「そいつを持って帰れよ、リュシアン。二度とおれの前に現れるな。大嫌いだ、お前なんか大嫌いだ」
「ミシェル」
「呼ぶな、聞きたくない」
目を閉じ、耳を塞いだ。呼吸が苦しい。
かわいそうな子。ママンはおれを見ていつも言っていた。かわいそうな子、かわいそうな子。おれはママンみたいにはならない。陸に上がった人魚みたいに、死にかけのまま眠る人魚にはならない。誰かの所有物になり誰かの保護の元でしか価値を見出せない存在にはなりたくない。
「ミシェル、おれは君の父親みたいにはならない。おれがどんな奴が知ってるだろ、いつも一緒にいたじゃないか。求婚は命令じゃなくて頼んでるんだ」
手を伸ばしながら近づいてくる彼に、「ラミア、ラミア」と叫んで後ずさる。ラミアの腕がそっと優しくわたしを囲む。
「大丈夫よ、おチビちゃん。怖い怖い人はあっちに行ってもらいましょうね」
頭を撫でながらなだめる声音に、落ち着こうと深い呼吸を繰り返す。
「何が怖い人だよ」
リュシアンの声は硬く尖っていた。
「吸血鬼。あんたがミシェルを操っているのか?」
「さあ、どうかしら」
くすっ、と笑うラミア。
「何かしたつもりはないわ。でも無意識に何かしたかもしれない。わからないわ」
おれは驚いてラミアを見つめる。
「おれは何もされてないよ」
ラミアはリュシアンを見ていて何も言わない。
「何もしてないよね?」
今度は問うてみた。でもラミアは欲しい答えをくれない。微笑したまま、「どうかしらね」とくりかえした。
「お前」
「でもあなただってミシェルにかっこいい所見せようとしてるんじゃない?」
リュシアンの怒声交じりの声に鋭く返すラミア。
「わたしだって愛情深いところを見せようとするわ。この子、可愛いんだもの」
背に回る腕が強く体を引きつけてくる。う、と息が詰まった。
ラミアは頬に頬を擦り付けてくる。
「あなたが欲しがる子はわたしも欲しいのよ?」
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