第16話 リュシアン・ド・ベルナルド隊長の小言

 この目に焼き付けておきたかったフォア卿の反応だが、リュシアンが前に出ておれの視界を遮ったせいで、ほとんど拝めなかった。かろうじて、あの尊大な副隊長殿が怒りを抑え込もうと顎に力を入れている様子が見えたような気がしたけれど。


「フォア卿。わたしが隊長なのが不服なのか?」

「いいえ」


 彼の声は気取っていた。むかつく。


 もっと言ってやれ、とリュシアンをけしかけたかったのに、彼はおれの肩に手を回すと、さっさと部屋を出てしまった。が、数歩も行かないうちに振り返り、おれの肩をつかむと、向かいに立たせて顔をのぞき込んできた。


「何もされなかったか?」


 って言葉に、正直面食らう。


「何もって何さ」

「一体何を話してたんだ」


 は?と問う表情で見つめていると、肩から手を放したリュシアンは背筋をまっすぐに正した。そうなるとどうしたって視線が上向く。彼は前髪をかき乱して少しイラついているようだった。


「中で何があった」


「べつに。何か尋問?みたいな話だったかな。親の名前とか、あと二年くらいカロン助祭の手伝いをしてたんだろ、とか。リュシアンが来て」


 おれは見上げているのが嫌になって視線を下げた。


「討伐に参加するようになったとか、そういうこと。経歴の確認ってやつ?」


「どうしてお前だけ」

「知らん、そんなの」


 おれに聞くな。さっきまで張り詰めていた気持ちがリュシアンの登場で緩んだからか、無性に八つ当たりしたい気分になっていた。肩をつかんでいた手は放したが、壁際に追い詰めるように立っている彼が鬱陶しい。おれは両手で押しのけよう胸を押した。でもびくともしねぇでやんの。


「なあ、威圧的なんだけど。何、これっておれが何か悪いことしたわけ?」

 

 リュシアンはびっくりしたのか、瞬きした後、「悪い」と小声でいって身体をずらした。おれは壁に寄りかかると腕組みして彼をにらむ。


「でも怒られてる気分」

「怒ってないって」


 とかいったくせに、リュシアンは舌打ちした。


「あいつと二人になるなよ」

「あいつって副隊長殿?」

「そう」

「そんなこといわれてもなあ。呼び出しくらって無視できないじゃん」

「無視したらいいだろ」


 いやいや。立場があるでしょ。まあ、ばっくれようとしたけど。


「下っ端兵が副隊長の命令を無視していいんでしょうか、隊長殿」

「いいんだよ」


 ハア、と。リュシアンは分からず屋を相手するように嘆息する。

 斜め向かいに立っていた彼は、おれの横に移動して壁に寄りかかった。


「どうしてもって場合は、他の隊員と一緒に部屋に入るようにしろ。あの男と絶対に二人になるなよ。それでも無理な時は必ずドアを開けておけ、いつでも逃げられるように」


「ドアのすぐ前には立ってたけど」


 一応、警戒していたことは示した。でもリュシアンは「それなら良し」とは言わない。


「やけに敵視するじゃん。あいつ変態なの? この前は仲間なんだし怖がるなって言ってなかったっけ」


 リュシアンは前を見つめたまま、何もない虚空に目をすがめる。


「感じ悪いんだよ、あいつ」

「それは全員思ってた」


「実戦経験は少ないらしい。支部をあちこち転属して歩いてるみたいなんだが、基本、本部の人間なんだよ」


 軽く背を離してこちらを向くリュシアン。つい、おれも顔を近づけて話を聞く態度に出てしまう。


「早い話、あいつ内偵して回ってるんだと思うんだ。で、ミシェル。お前が目を付けられてるじゃないかって」


「え、何で? あいつ本部のスパイなの?」

「スパイっていうか……まあ、警戒したほうが良い相手ってこと」

「カロン助祭にも気を付けろって言われたんだよね」


 だったら、とリュシアンは頭に手刀してくる。痛くないやつだけど。


「ノコノコ付いて行くなよ」

「それは仕方ないじゃん。向こうのほうが偉いんだもん」

「おれのほうがあいつより偉いけどな」

「うん、だから助け出してくれたね、ありがとう」


 流暢にいうと、「感謝してないな」と嘆息交じりに笑われた。


「してるよ、助かったぁー」


 大きくホッと息つくと、リュシアンは「それは良かった」と言って壁から背を離した。


「でも何でおれが目ぇつけられんの? ただのヒヨコなのに」


 歩き出したのを追いかけながら問うと、彼は立ち止まって言った。


「たぶん、おれのせいだよ」

「はあ?」

「弱っちいお前をかばうばかりするからだろ。ああいう男には奇妙に映るんだろう」


 むっ、と膨れると、リュシアンは笑った。


「あいつにミシェルの良さがわからなくても良いだろ。おれたちがわかってればさ」


 ぐりぐり頭を撫で繰り回されながら、あまりに爽やかに笑うものだから、おれはにらみ続ける以外の反撃ができなかった。おれの良さって何、と聞きたいけど、怖気づいて聞けない。軽口に混ぜ込む余裕がないほど、おれはおれの良さがわかっていないから。


 頭を撫でる腕をつかみ、おれは引っ張るようにして歩き出した。すぐにリュシアンの歩幅のほうが大きくて、おれのほうが腕にしがみついて引きずられているみたいになったけど。


「あいつ」

 おれは少し声を落とした。

「……おれの結婚知ってた。その話も出た」


 リュシアンの返事は一拍、間が開いた。


「そうか。まあ調べたらすぐわかることだ」

「うん。でもあまり触れてほしくない話だったよ」


 腕をつかむ指に力が入ると、リュシアンの温かい手が包むように重なった。


「だよな。あいつはそういう人の触れてほしくない部分を突くのが趣味なんだろうよ」

「最低だね」

「そのうち報いを受けるさ」


 おれたちの部屋の前まで来ていた。立ち止まったリュシアンはおれをまっすぐな目で見下ろした。紫水晶のように美しい澄んだ瞳を見つめていると、おれはどうしても怖くなって視線をそらしてしまう。


 この瞳には濁りのない世界だけを映して欲しい。


 でも同時に思うんだ。

 リュシアンはどんな穢れも跳ね返す強靭な純度を持っている。

 何者も、彼の中に黒を落とすことは出来ないだろう、と。


 だから萎縮する。おれはいつでも胸の内から黒色の液体を噴き出せる人間だから。

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