第39話 射手を辞める日
「冷えてきた、もう兵舎に戻ろう。隊長もたぶん部屋にいるだろう」
「そうだね」
ジェルマンが立ち上がり、おれも続く。
「食事を運んで差し上げるといい。負傷した隊長殿はきっと傷心中だろうからな」
「撃ってきた相手に食事運ばれて嬉しいかな」
「ミシェルなら毒持ってても、あの隊長なら喜ぶぞ」
じゃあ運んでやろ。おれが言うと、ジェルマンは声をあげて笑った。
「元気出せ、ミシェル。今度こそレゾンを捕まえよう」
「うん。そうだね」
彼と別れ、いったん食堂に寄ったおれは、盆にスープとパン、香草で焼いた魚を乗せて自室に向かった。途中、酒も持ってきたらよかったかも、と戻りかけたが、まあいいだろうと廊下を進む。リュシアンが欲しがるなら、また取りに走ってもいいのだから。
「入るよ」
ノックの手がないから声をかけ、肩で押そうとした瞬間だ。勝手にドアが開くものだから危うく盆をひっくり返すところだった。
「リュシアン。あのさ、ご飯、持ってきた。食べるよね?」
「ああ、まあ。うん、食おうか」
リュシアンの顔色は暗くてわかりにくかったが、血の気が引いている病人のようには見えなかった。盆を渡すと、彼はベッドサイドにある小テーブルに置く。おれは向かいのベッドに腰かけた。
「カロン助祭は何だって?」
「ミシェルに撃たれたと言ったら爆笑してた」
「……あの人」
らしいといや、らしいけど。
リュシアンはパンを手に取り、聞いてくる。
「お前は食ったのか?」
「うん、食べた」
おれはごろんと横になった。
「あ、ワイン持ってきた方が良かった? 取ってこようか」
「いらないよ」
体を起こしかけたが、手で扇ぐような仕草をしてくるのでまた寝転んだ。それから彼が食事する様子をしばらく眺めていた。怪我の影響はなさそうだ。それでも気になったので聞いてみる。
「肩、痛くない?」
「全然」
「ほんと?」
「ああ」
リュシアンは痛めたほうの肩をぐるりと回した。
「部屋に戻る前にフォア卿にまた診てもらったからな。念のため明日も診ると言ってくれたがその必要はなさそうだ」
「でも刺さった時、痛かったでしょ」
「そりゃ、まあ」
リュシアンは、スープを含んでから小さく笑う。
「完治させずに傷跡でも残したほうが、のちのちお前を責める口実に使えたかもな」
「傷跡なくても責めていいよ」
体を起こして彼を真っすぐ見つめた。
「おれ、射手辞める。というか」
すぅ、と深呼吸した。
「除隊する。そのほうがいい」
「ミシェル」
彼の手が伸びてきて、おれの手を握った。
「除隊なんて誰も望んでない。お前が辞めたらおれが悪者になるだろ」
「ひと月くらいはそうかもね」
おれは手を抜こうとしたが、リュシアンは握ったまま放さなかった。
「そのうち、おれがいないことに皆慣れるよ」
今度は強く腕を引く。それでも全然放さない。
「リュシアン。手ぇ」
「ミシェル、本気で辞めるつもりか?」
「本気だよ。皆わかってたでしょ。おれって役立たずだもん。今回はっきりしたよね。騎士そのものにも向いてないんだよ。仲間の慈悲で何とかやってきたけど」
また腕を引いてみる。……無駄。
「もちろん一番リュシアンに感謝してる。それからカロン助祭も。でももう限界だよ。ぬくぬくとやってきたけど、いい加減現実見ないと、だから。おれの実力は討伐隊に見合ってないし、これから成長する可能性もない」
ぐ、ぐ、と二度強く引くと、やっとリュシアンは手を放した。彼は後ろ手をついて、長々と息を吐く。愛想尽かしたって感じだろうか。それとも呆れて言葉も出ない?
「ほんとにほんとに辞めるつもりか? 騎士に未練はない?」
「しつこい」
「今の生活を辞めたいんだな、辞めていいんだってことだな?」
「そうだって言ってるじゃん」
自分は謝る立場だとわかっているのだが、あまりにしつこく念を押ししてくるので口調がぶっきらぼうになる。
「未練なんてないよ。いつかは辞めないと、ってずっと考えてたんだ。よくやったほうさ。四年も続くなんて自分でも思ってなかった。すぐ死ぬと」
走りすぎた言葉を否定したくて首を振った。
「吸血鬼にやられてお終いだと思ってた。でも皆がおれを守るから」
危うかった時は何度もある。
もしも入隊したのが別の隊だったら、あっという間に死んでいただろう。数か月単位でメンバーが入れ替わる討伐隊が多い。次々と殉職するからだ。
でもうちの隊は違った。リュシアンを隊長にした我が小隊は誰一人欠けたことがない。奇跡だ、そう奇跡的な出会いのおかげで、おれは生き残ってきた。
恵まれ過ぎていたんだ。その結果、最大の裏切りを今日犯した。いや裏切りはずっと行ってきた。それが今、限界を迎えただけだ。
「リュシアンの下に付けたから今日まで続いたんだ。そうだろ?」
込み上げる感情に負けて語尾が震える。
は、と呼吸して整えようとしたが、乱れるばかりだ。
おれは持て余す幸福に溺れかけてきたのかもしれない。それでも一度手にし、ぬるま湯に浸っていた環境から自ら抜け出すのは簡単なことではない。たとえ偽りの上で手にした安寧だとしても。
「ミシェル」
リュシアンはベッドから離れると床に膝を付いた。再び手を握ってくる。でも今度は軽く触れるようにだった。すぐにでも離そうと思えば離せる。そんな柔らかさだ。
「お前がその覚悟なら、おれも話したいことがある」
目元が熱くなってきた。しゃくりあげそうになり、喉に力を込めてなだめる。
「何?」
「実はフォア卿からお前に知らせてほしいと」
おれを見上げていた彼は、一旦視線を下げたが、すぐにまた目を合わせた。
「レネ伯爵の状態が思わしくない。聖騎士団に今日、連絡があった。すぐに言わなくてすまない」
予想してなかった話に、空白が頭に浮かんだ。
「父上が? あの人、死んだの?」
「まだだよ」
リュシアンは、握った手に軽く力を込めてくる。
「ミシェルを呼べ、と言ってるそうだ。どうする、今夜にでも発つか?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます