第36話 なぜ人間だとわかったんです?
「違う、レゾンじゃない。男だ」
かまえていた弩を下ろす。山小屋の裏から出てきたのは、前に貧民街で見かけた商売人風の男だった。表での異変に気付き、裏口から出てきたようだが、おれとフォア卿を見て、小屋に戻るようなそぶりをした。
でもおれが弩を下ろしたためか、左手方向のほうへ勢いよく駆け出していく。手に武器のような物は持っていないように見えた。
「リュシアンっ、裏から一人逃げたぞ」
大声で知らせ、銀杭から木の杭につがえなおした弩を再びかまえる。逃げる男の足に向かって撃つ。外れた。でも進行方向よりやや前に杭が刺さったので、男が止まる。
「フォア卿って剣が使えますよね?」
「それなりには」
茂みから出る気配がない彼に、顎を振って指示する——この人、副隊長だけど。
「捕まえてください。逃がしたくない」
「やってみましょう」
立ち止まった男は、動揺が引いたらしく、再び駆け出す。森に入る前につかまえてもらいたいと思っていたら、案外フォア卿も足が速かったらしく難なく追いつくと、襟首を引いて地面に男を引き倒した。
「ミシェルくん、なぜこの男が人間だとわかったんです?」
「何がわかったですって?」
軒に吊るしてあるロープを外していると、男の背に乗って押さえているフォア卿がそう聞いてくる。二人で男を捕縛し、武器か何か所持してないか服を探った。
「どうしてこの男がレゾンじゃないとすぐわかったんです?」
再び聞いてくるフォア卿に、ズボンのポケットの中を点検していた手を止める。
「じゃあ、こいつがレゾンだというんですか?」
おれは襟元から十字架を引っ張り出した。
「これを当てたらわかります。吸血鬼は銀杭と同様、こいつに触れると灰になるので」
おれは捕縛した男の額に十字架を当て、それから自分、そしてフォア卿の腕へと十字架を当てた。
「人間です。安心しましたか?」
「この男が人間なのは納得しましたよ。でも一目見てなぜレゾンじゃないとわかったのか、とお聞きしてるんですよ」
おれは立ち上がり、彼を見下ろす恰好で言った。
「勘。こいつ、前に貧民区で見かけた男です」
「あの距離でよく顔までわかりましたね」
「おれ、射手なんで」
目元を指先で叩く。
「視力、良いんですよ」
と、すぐ横にあった押上げ式の窓が開き、アルベールが頭を出す。
「おい、逃げた奴は捕まえたか?」
「ここ」
足元を指差す。アルベールの視線が下がる。
「フォア卿、しっかり踏んどいてくださいよ」
と、おれに視線が戻り、
「中で二人捕まえた。これで全員かな」
「さあ」
窓から中を見ようとすると、アルベールが下がる。背伸びして窓枠に寄りかかり頭を入れる。棚の中の物が床に散乱し、椅子が逆さに転がっている。
「ミシェル、平気か?」
おれに気づいたリュシアンが声をかけてくる。「全然問題ない」と答え、もっと中をよく見ようと身を乗り出した。男が二人、入り口付近で気絶している。血の跡はない。ジャンとガスパールがそれぞれ片足を背中に乗せて押さえつけていた。
「これで終わりっすか? 正直、拍子抜けだわ」
アルベールが頭の上で手を組み、柱に寄りかかる。と、足元にあった小箱を蹴った。蓋が開き、中から赤色の飴がこぼれ出る。
「あ、食いもんだった」
慌てて拾い上げているアルベール。二粒ほどをポケットに突っ込んだのを見逃さなかった。
「リュシアン、あいつ、物、盗んでるよ」
「ミシェルっ」
「アルベール、出せ」
へへ、と笑いながら小箱を机に置くアルベール。リュシアンは中を確認し、すぐ蓋を閉じた。
「女が住んでいたと思うんだが」
「どうして?」
周囲を見回すリュシアンに、おれは食い気味に聞く。
「見たらわかるだろ」アルベールが言った。
「女物ばかりじゃんか。服もそう、このティーセットを見ろ。どの山男が薔薇の絵柄が入ったエレガントなポットを愛用するんだよ」
「花好きの山男かもよ」
「ミシェル、このスカーフは女物だろ?」
アルベールがスカーフを頭にかぶって、「あたし可愛いでしょ」としなを作る。
「目が腐る」
「ひでっ」
「アルベール!」
リュシアンの叱責に、スカーフを外し丁寧に畳んでいくアルベール。スカーフも机にある木箱の隣に置くと、両手を後ろで組んで直立した。
「レゾンは若い女だ」
逆さになっていた椅子を元に戻しながらそう言うリュシアン。
「どうして?」
「何で知ってるんですか?」
アルベールと同時に聞くと、背後に気配を感じて振り返る。
「調査の結果です。わたしとベルナルド卿で独自に内部を探っていましたから」
フォア卿だ。包み隠さず言うと、すぐ真後ろに来られると気色悪い。その感情が表に出ていたらしく、リュシアンが「捕まえた奴はどうした」と叱るような言い方をする。
「あれだけぐるぐる巻きにしとけば逃げませんよ」
リュシアンは険しい顔のまま窓に近づくと、長い手を伸ばしてフォア卿の肩を突き飛ばす。
「ちゃんと見張っておけ。這いずって逃げるかもしれないだろ」
「芋虫みたいにね」アルベールがつぶやく。
リュシアンは横目で彼を見たが何も言わない。
フォア卿は余裕ぶって肩をすくめると、おれから二歩下がって距離を取った。
「ねえ独自に探るって何?」
おれが聞くと、リュシアンは言いたくなさそうに眉間をぴくりとさせる。
「ねえ」
「お前らが関わってて隊長が何もしないわけないだろ。上と関わりが多いのはおれのほうなんだし」
「わたしもベルナルド卿に協力して動きましたよ」
「あーそうですか」冷たい返事はアルベールだ。
フォア卿はそんな扱いも気にならないらしく、「教会支部の腐敗を本部に報告するのがわたしの仕事ですから」と胸を張っている。
「それでレゾンが女だってどうしてわかったの?」
窓枠からさらに身を乗り出してリュシアンにたずねる。へそのあたりで体を支えて少しぐらついた。リュシアンは嘆息してから何か言おうとしていた。でも、その時がたりと物音がして全員そちらに意識が向く。
「待て」
家具の裏に隠れていたらしい。黒髪の女がショールで身を隠しながら駆けていく。裏口だ。おれは体を預けていた窓枠から飛び降り、裏手に回った。走りながら、背に斜めがけしていた弩を下ろして木の杭を取り、地面に捨てる。ポシェットから取り出した銀の杭をつがえようとしているところで彼女と出くわした。
ラミアだ。
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