5章 逢瀬

第23話 限界を迎えたミシェルは脱走する

 リュシアンは隊長特権を振りかざして、おれたち全員に無断での外出禁止令を出している。ものすごく拘束力があるものじゃないけど、修道院の敷地から出る際は、外出理由と帰営時間を書いて提出するように、だって。


 そんな面倒なこと、誰も守らないだろうと思ったのに、よほど激怒したリュシアンが恐ろしかったのか、全員——といっても副隊長のフォア卿はもちろん安定の除外だけど——前日の夜までにはリュシアンの部屋に出向いて、「何それどこそこへ行きます、理由は○○、何時に戻ります」と書いた紙を持ってくるようになった。


 リュシアンの部屋、つまり相部屋だからおれの部屋でもあるんだけれど、リュシアンは相変わらず忙しくしてるから、戻るのはいつも深夜になる。


 そういうわけで仲間たちは、「ミシェル、ここに置いとくからな、ちゃんとおれは決まり通りに書いたからな」としつこく言って机に紙を置いていくのだ。


 しかもその外出理由を読んでみれば、「一般の人々の姿が見たいです」とか「修道院の周りを一周散歩したいです」なんて涙が出てくるものばかりなのだ。あいつらはいつ囚人になったんだ? 


 それでもあの襲撃から二週間程経過すると、自由外出は無理でも、外での仕事が増えて「民を見たい」とか「市井の空気を吸いたい」とかいう理由は減った。


 だが、その外の仕事というのが、カロン助祭が一枚噛んだらしいのだけど、討伐隊による慈善活動なのである。


 仕事内容は、ゴミ拾いとか植木の剪定とか、迷子案内、酔っ払いの対応などなど。交易の街だからか、外国語が飛び交う乱闘騒ぎを止めに駆り出されることもあるけれど、それだって本来は治安隊の仕事だ。討伐隊は、あくまで補佐でしかない。だもんで、治安隊員には見下されている。この前なんてアルベールはパンとミルクを買いに走ったそうだ。まだ打撲の後遺症が残っているのに。


 聖騎士団シアン・ド・ギャルドの精鋭部隊と名高いラパン隊が、すっかり小姓以下だ。吸血鬼がいないばかりに、いや吸血鬼レゾンと支部が手を組んでいるばかりに辛酸を舐めている!


 でもこれはおれ以外の隊員の扱いであって、おれこと「ミシェル」の扱いはもっと酷い。


 慈善活動もカロン助祭が許可したものしか一緒に行けないし、カロン助祭はほとんど「許可」を出さないから、もっぱら助祭の助手で、毎日朝から晩まですり鉢とすりこ木がおともだちでずりずりスリスリしている。たまに乾燥した薬草を燃やすため外に出るが、これだって修道院の裏庭、ハーブ園の隣まで。


 囚われの姫、と誰かがいった。何が姫だよ、うるせーよ。


 おれだって外出許可を願い出たんだ。でも、「お菓子を買いに行きたいです」と提出したら「買ってきた」とリュシアン、あるいはカロン助祭が(この二人は裏で結託し過ぎている)がお菓子を渡してくるし、「散歩したいです」と書くと、カロン助祭と一緒に街へ買い出しに連れ出されるだけ。しかも何も面白くない、幻獣の角やら羽根やら魔獣の牙が売っている怪しげな店か、輸入品専門店のかなりマニアックな店ばかり。


「一人で街を散策したい」と書くと、「だめです」とリュシアンの字で突き返され、「祝宴に出てみたいです」とリュシアンのお供を願い出ても、「ミシェルにはまだ早いです」と訳の分からん理由で却下である。早いって何だよ、ガキ扱いにも程があるっ!


 という事情で、おれはすっかり不貞腐れていたんだが、それでも二週間は大人しくしてたのだ。心配をかけたことは十分わかっていたから。


 でも心配が理由だとしても、あの日のリュシアンは、しつこすぎたと思う。


 この間、珍しく早く帰ってきたと思ったら、膝をつき合わせて懇々と説教してきたのだ。あいつ、同じこと何度も言ってうるさいだけかと思ったら、「復唱しろ」と「わたしミシェルは今後危険な地域へ出かけたりしません。他の隊員から熱心に誘われても必ずリュシアンに報告して指示を仰ぎます」と片手を挙げて言えとくる。


 おれだって誇りがある。もちろん復唱は拒否だ。


 だいたい「アルベールたちから悪い影響を受けた」なんてリュシアンが何度も言うのにもうんざりしたんだ。おれはおれの意志で行動したってのに、何が悪い影響だ。繰り返しになるが、おれはガキじゃない、ヒヨコちゃん呼ばわりはもうやめろ!


 腹が立って指を突き付け言ってやった。リュシアン、お前は未婚だが、おれば一度結婚したことがあるんだぞ、と。でも、「結婚歴が何だよ。おれに結婚の申し込みが一つもないとでも?」と綺麗な顔して言い返してくるから、呆れてしまった。


 そういうことを言ってるんじゃない、急なモテ自慢なんて全くかみ合ってない。そもそもお前が花婿候補で人気なのは十分承知ですよ、侯爵家の嫡男で、歴代の聖騎士の中でも群を抜いて優秀、莫大な神聖力がある長身の銀髪美形野郎なんだから!


 というわけで、おれは奴を三日無視してやった。あいさつも無視、飴をくれようとしても無視、目の前に立ちはだかって邪魔して来ても頭突きしてやって無視だ!


 そうして二十日間、お利口にしてたのに環境改善の兆しがないことで、おれ、ミシェルは荒れ狂うプサンヒヨコちゃんになったのである。


 カロン助祭の指示で、裏庭でロマランを燃やして浄化の灰を作っていると、一緒に作業していた教会事務員のおっさんが「ちょっと暑いですね、飲み物を取ってきましょう」といっていなくなったので、その隙に逃げた。脱兎のごとく街へと駆けた。


 どこに行くかって、そんなのは初めから決めていた。


 まず高級菓子店に向かう。いつこの時が来ても良いように常に手持ちの全財産は懐に入れて移動していた。


 菓子店で焼き菓子を買ったあとは舶来の生地が集まる市場に移動した。上質なシルクの生地をドレス二着分買う。深みのある黒色と落ちついた色合いのピンク色、これは二色とも、うっすら花模様が浮き出る特別な織り方をしていた。それからやっぱり気軽に使える生地もあったほうが良いだろうと麻とウールを買った。白と暖かそうな濃い灰色のものだ。


 アクセサリーの露店も気になったけど今回はやめて、果物を買うことにした。ブドウとスモモを籠にいっぱい。それから貴族の屋敷に卸している高級バターとチーズも買った。


 金貨だって入っていた財布はすっかり軽くなったけど、良いんだ、このために金を貯めていたといっても過言ではない。後悔はない。だって命の恩人——ってのは大げさだけど、おれはこれから城外の森に住む、あの女性に会いに行くんだから。


 ちゃんとお礼しないといけない。親切にも傷の手当てをしてくれた。あと森からの帰り道も教えてくれたし、それにそれに……。


「ラミアに似てるんだもん、また会わなくちゃ」


 リュシアンには、「危険な地域には行きません」と誓わされたけど、若い女性一人に会いに行くのが危険なはずない、だから平気だ、大丈夫だ。


 宿場で馬を借りて荷物を積み駆け出す。

 緊張していたけど興奮もしていた。


 でもやっぱり罪の意識があって緊張のほうが大きかった。城門の橋を渡り、森に入る。またあの家を無事に見つけられるだろうか。まともな神経が「無理」だと信号を送っていた。でもおれは確信があったのだ。無謀で夢見がちで幻想的な感覚だけが頼りの確信だけど、あの女性が住む場所に到着できるって。


 そして見つけた。今回は古城じゃない、いや元々探していたのは古城ではないのだ、ここはあの森とは違う。おれは幼い子どもじゃなく、着ているのは討伐隊の制服で立派な大人だ。お礼の品もたっぷり持ってきている。家、あの小屋みたいな小さな木の家のドアをノックする。


 聞き耳を立てなくてもすぐに返事があった。あの懐かしい声とそっくりのもので。


「いらっしゃい、また会えると思ってたわ」


 迎えてくれたのは黒髪で灰色の瞳を持つ少女のような女性。

 彼女の名前は一体何だろう。今日はそれを確かめるつもりだ。

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