第18話 始まる追跡

 例の建物に近づき、窓から中の様子を確認したいが、危険すぎるだろう。


 だからおれたちは、どこかに覗き穴がないかと壁沿いに歩いて探した。で、元は立派な造りではあるものの、やはりというか、これだけの廃屋だ。すぐに発見。芋虫が入るくらいの隙間だけど中を見るにはこれくらいで十分だった。


 それがいくつか開いているのだから、おれたちは誰か通りかかったら怪しまれるものの(まあ誰も通らないだろう、こんな場所)、仲良く並んで中腰やら膝をついてやらで様子を観察した。


「あんな小さな子もいるのか」


 隣で見ているアルベールの言葉におれはうなずく。


 以前、お菓子を渡した少女よりも幼い子の腕に、男が刃をあてている。思わず目をそむけたくなる光景だ。子どもは指をくわえ、ぐっと歯で噛んでいた。きっと痛みと恐怖に耐えているのだろう。


 やり方は瀉血に似ていた。腕の血管に傷をつけ、血を絞り出しているのだ。ただ治療とは違うため、流した血のほうに価値がある。もう一人の男が桶に溜まった血を瓶や革袋に注いでいるのだが、その表情が砂金をつかむように楽しげなのが不気味だ。


「突撃して全員ぶっ倒してやりたい」


 壁から顔を離していうと、まだ覗き穴で観察をしているアルベールが、「だな」と短く答える。覗くのをやめていたジャンは、「良心ってもんがなさすぎる」と拳を震わせていた。


「でも耐えろよ」とガスパール。

「おれたちの目的は追跡だからな」


 最年長の言葉に、ジャンとおれは顔をしかめながらもうなずいた。


 それからさほど時間はかからなかった。

 男たちは仕事を終えたらしく、片づけを始める。


 貧民区の人たちは血と交換で食料を受け取ると聞いていたが、渡されているものを見て、ますます気が滅入ってしまった。


 血を抜かれるというのに、栄養価のあるものを受け取るわけでもなく、石のように硬そうなパンを少しなのだ。ひとり一個ですらない。


 袋から床に放り投げて拾えというのだ。焼かれて一体何日立っているのやらというパンは、視界の狭い距離で見ていても、あれで釘が打てそうだと思った。さっきジャンからもらって不味いと感じたチーズのほうが何倍も栄養価もあり、歯のあたりも柔らかいだろう。


「移動しよう」


 ずっと覗き穴に張り付いていたアルベールが、顔を離して言った。


「二手に分かれようぜ。おれとジャンが奴らを尾行するから、ガスパールたちは馬を持ってきてくれ」


 ガスパールとジェルマン、そしておれは、アルベールとジャンが表の通りに身を低くしながら出て行くのを見送ると、急いで馬を繋いでいる場所まで移動した。彼らのアジトがどこにあるのかわからないため、長距離の移動に備えて、あらかじめ馬を連れてきていたのだ。


「街の外まで出ると思う?」


 元は飲み屋だったらしき建物の軒下に繋いでいた縄をほどきながらガスパールに聞いた。彼は眉をひそめて考えている。


「どうだろうな。でも城外の森に入られると厄介だ。今のうちに誰か隊長に知らせに向かったほうが良いかもしれん」


 と、ガスパール、それから横で聞いていたジェルマンの視線がおれに向く。おれはあぶみに足をかけて騎乗した。


「おれに伝言を頼もうったって無駄だからね。急ごう。アルベールたち、ちゃんと尾行してるといいけど」


 馬に合図し、二人を待たず出発した。貧民区から出、中心部から外れた裏通りを走る。それから都市を囲む城壁沿いに進みながら知らせを待った。と、上空に紫の煙が見えた。吸血鬼を追跡する時に使っている信号弾だ。発射式だが音は限りなく小さく、煙が高く上がるようカロン助祭が作った特製のものだ。ジャンとアルベールに間違いない。場所は城外を示している。


「ミシェル」


 二人が追いついた。横に並んだのはガスパールだ。


「おれは戻らないよ」


 横目で見やると、ガスパールは気の毒なくらい泣きそうな顔をする。


「何かあったらおれの責任になるんだろうな、あーあ、あーあ」

「何も起こらないって」

「ミシェル、一人で飛ばしすぎるな。三人で移動だ」


 この忠告はすぐ後ろから聞こえた。ジェルマンだ。

「わかったわかった」と前を向いたまま手をヒラヒラ振る。


 疾走しながらも二人の大きなため息が聞こえたような気がした。おれは馬に刺激を与え、速度を上げた。聖騎士団の腕章を良く見えるように示して城外に出る跳ね橋を渡る。城門を守っていた兵士は何か言いかけたが剣と百合の紋章が確認できたのだろう、会釈して引き下がった。


「効果あったね。すっかり忘れられた存在かと思って心配したよ」

 声を張り上げると、追ってきていたガスパールとジェルマンが、「我らシアン・ド・ギャルドの威光は健在よ」と声を合わせて返してくる。


 吸血鬼の脅威から遠ざかっているプリュイ領の都市。でもその平穏の裏には金と血が飛び交う裏取引の臭いがしている。手綱を握る手に力が入った。慎重に行動しよう。自分に言い聞かせる。でも鼓動は弾けそうなほど高鳴っていた。


「見えた」


 二発目の信号弾に気づいたのはジェルマンだった。すぐ近くだ。おれたちは森に入っていた。速度を落として進む。馬車道を避け、木立を進むと、馴染みの外套姿が見えてきた。でも一人だ。こちらに気づいて振り返る。ジャンだ。両手を上げ振ってくる。


「見失ったわけじゃないよね?」

 馬を下り、たずねると、ジャンは、ちょっと気まずそうに顔をゆがめた。

「アルベールが追跡中。あいつ、今は馬車の屋根につかまってるんだ」


 どうやら、血を運んでいる男たちは荷馬車で移動したらしい。その幌の上にアルベールが乗っているんだとか。


「やるねえ」とのんびりいうのはジェルマンだ。

「見つかったら殺されない?」

 心配すると、

「あいつだって討伐隊の騎士だもん。あんな男三人くらい、余裕さ」

 と、ジャン。でもガスパールが肩をすくめる。

「レゾンが混ざってたら危険だ。見た目は人間と変わらないから」


「レゾンっ」


 おれがびくっとすると、三人はニヤっと笑いやがった。


「ミシェル、心配? アルベールが聞いたら泣いて喜ぶ」

「ジャンっ、心配するのが普通でしょっ。言っとくけど、おれはレゾンが出ても怖くないから。おれのいしゆみがうずいてしょうがないだけだからね」


「わかったわかった」とガスパールだ。

「お前の相棒が暴れないよう背中を押さえとけ、な?」


 背の弩を軽く叩いてくるから、厳しく叱ってやろうと振り返った、そこでだ。危機に気づき、叫ぶ。


「しゃがめ、矢だ!」

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