3章 教会支部の闇

第12話 貧民区で見つけたもの

 誰もいない。人っ子一人いないってこんな感じなのか。


 貧民区に人が少ないのは良いことなのかもしれない。だって、お祭り騒ぎの賑やかさも変だし。でもこれほどまでに空虚で寂しい場所が、賑わいを見せる中心部と目と鼻の先なのは、気味悪い現実だった。


 おれはどうにもお気楽に考えていたらしく、貧しい人は貧しい人なりに生活を営んでいるものだと思っていた。でも実際、貧民区に入ってみると、そこにあるのは「生活」や「営む」なんて言葉が陳腐に聞こえる現状だ。ここは生きているより死んでいないが似合う場所だった。


「誰もいねぇな」

「というか、おれたちを警戒して逃げてんだろ」


 そうなのだ。誰もいない、とはちょっと違う。なんていうんだろう、生き物が持つ残り香のようなものが微かに残っていて、それが幽霊のように漂っている気配があるのだ。


 おれたちの隊服は一見すると盗賊団だ。そうは見えなくても、おれは弩、他は帯刀しているのだから、住民が警戒するのは当然かもしれない。にしても誰もいない。


 吸血鬼探しどころか、人探しをして歩いていると、「あ!」とジャンが声を上げた。


「今、子どもがこっち見てたぞ、こんくらいの」


 と腹あたりで背丈を示しつつ、そちらへ走っていく。おれたちもあとを追う。二階建てだが二階部分は天井がなくなっている邸宅の前で止まる。割れている窓ガラスに、ジャンが顔を突っ込んで中へ呼びかけた。


「お兄さんたちは怖くないよ。ちょっとお話いいかな?」


 めちゃくちゃ猫なで声だ。気持ち悪っ。警戒心を解こうとしたんだろうけど、あれではますます警戒するに決まってる。おれはジャンを押しのけて代わりに声をかけた。


「ねえ、ちょっと話さない?」


 ナンパか、と後ろで聞こえたが無視だ。中にいたのは、たぶん女の子かな。肩の長さまで伸びた髪はボサボサだし服装でも判断付きにくい。十歳はいってないと思うけど、ひどく痩せている。


 おれは上着のポケットから飴を取り出した。修道院の談話室からくすねてきたものではない。ちゃんと商店で購入したものだ。リュシアンはああいったくせに忙しくて一緒に外出してくれなかったから、先週、頑張って一人で菓子店を探し歩いたのだ。


 といっても店内に入り後ろを見れば、「偶然だな。おれたちも菓子を見に来たんだ」といってわらわら仲間たちが集まってきたけど。好物の木苺の飴は品切れだったけど、他にもいろんな味の飴が瓶に入って宝石のように輝いていた。


『あ、ペッシュ・ボンボン桃のアメちゃんだあ!』


 二番目に好きな飴に、大喜びで手に取って売り場に持って行くと、店主のおばさんが「あんたカワイイね」とおまけで他にも菓子を詰めてくれた。


 その戦利品の一つであるキャラメルが、今おれの胸ポケットにある。


「お嬢ちゃん」ととりあえず呼んでみた。おれの嗅覚があの子を女子と判断したから。

「キャラメルあげる、ほら」


 後ろで「プー、クスクス」と笑っている野郎共は無視して、「来て来て、キャラメルだよ」と手をうんと伸ばして呼び続けると、部屋の隅でうずくまっていた少女は膝を付いてハイハイするような恰好でにじり寄ってきた。


 一瞬、立てないのかと思ってびくりとしたが、そうではなかった。窓枠まで来ると、ふらつきながら立ち上がり、おれの手の中になるキャラメルと見つめる。


「あげる、ほらっ」


 軽く投げると、彼女はうまく胸の前で受け取った。食べな、と促すと、上目でこっちを見ながら口に運ぶ。甘さを感じたのか、少し微笑んだように見えた。


「名前は?」

「それより本当にお嬢ちゃんか?」

「おれはお坊ちゃんに一票だなー」


 横から割り込んで少女を見ようとするアホたちを殴って押しやる。


「来るな、あっち行ってろ」

「こわー」

「ミシェルちゃん、こわーい」

「うるっせぇ、しっしっ!」


 追い払いに成功し、仲間は向かいの建物の壁まで下がった。向かいといっても両手を広げたら指先が届くほど狭い通路を挟んだ向かい側だけど。


「あのさ、聞きたいことあって」とおれはそこで言葉を止めた。視線が一点に釘付けになる。眉根を寄せてたずねた。


「その腕、どうしたの?」


 肘の裏あたりに黒い痣のようなものが見えたのだ。少女は、おれの指摘に首を傾げる仕草をした。


「腕だよ、怪我したの?」


 もっと見ようと窓枠に身を乗り出して目を凝らしたが、怖がらせたらしく、少女は部屋の奥へと引っ込んでしまった。


「ねえ、ねえったら。その腕、痛む?」


 中に入ろうと窓枠に足をかけた、その時だ。


 がしゃんと瓶と瓶がぶつかり合う音がした。振り返ると同時くらいに、ジャンとアルベールが音のしたほうへ駆け出していく。


「何? 誰かいた?」

「男」


 その場に残ったガスパールが言う。


「行商人みたいな恰好だったな。けっこう仕立ての良い服だったから、ここの住民じゃないだろう」

「だからってこんな場所に物売り?」

「だよな。だからたぶん」


 と、追いかけて行ったジャンたちが戻って来た。


「逃げられた。でもこいつを落としていった」

「見ろよ、ほら」


 アルベールが手に持っていた布袋を上げて見せる。


「中、何だと思う?」


 近づいて、彼が広げた袋口の中を覗く。


「うわ」と思わず顔を引っ込めた。


「何、その真っ赤なの。大量にあるじゃん」


 袋の底には十数本の瓶が入っていた。中身は真っ赤な液体だ。


 顔を見合わせたおれたちは、すぐさま貧民区を引き上げ、修道院に戻ることにした。向かうはカロン助祭の作業部屋だ。瓶が入った袋を作業台に置き、中を見せると、彼の判断は早かった。液体を嗅ぎ、すぐに言う。


「血だな」


 驚かない。おれたちもそう考えていたから。


「貧民区で何か起こってるな」


 アルベールの言葉に、うなずく面々。

 思い浮かんでいたのは、少女の腕にあった黒ずんだ跡。

 もしかして、あれって。


「ねえ、助祭」

「何だよ、ミシェル」


 助祭は布袋を戸棚の下にしまいながら振り向いた。


「プリュイ領って、まだ瀉血文化残ってる?」


「してないだろ」

 助祭は鼻に皺を寄せる。

「こんな立派な修道院に治癒系の神聖力を持つ司祭がたくさんいるんだぞ。あんな風習に固執してるのは異教徒くらいだ」


「だよね」


 一部では病を治すために血液を抜く治療法が試されることがある。でも地方ならいざ知らず、プリュイ領のような栄えた都市にその風習はそぐわない。そもそも。


「ミシェル、あれは医者っぽくなかったぞ」

「物売りだって」


 そう付け足す仲間に、おれは意味ありげに言った。


「もしも血を売る商売をしてるなら、それってさ」

「だよな、そうだよな」


 すぐに好意的な反応が返ってくる。

 おれだけじゃなく、皆そう思っていたのだ。


「あれってやっぱ、おれたち見て逃げたんだよ」

「我らシアン・ド・ギャルドに恐れをなしたか!」


 声を上げて騒ぎ出すから、おれも軽く高揚してきた。


「いるじゃん、吸血鬼。でしょ?」


 同意を求めて見やると、カロン助祭は「ったく」と頭を無造作に掻く。


「お前ら討伐隊ってのは、どうしてそう血の気が多いんだ。少しは平和を楽しめんのか」


「遊んでばかりじゃ腕が鈍りそうで」

「仕事だあ、狩るぞー」

「ミシェルなんて菓子ばっか食って太ったんじゃないか?」

「……太ってない」

「あ、気にしてた?」


 げらげら笑う。カロン助祭があきれたように嘆息した。


「せいぜい慎重にやれよ。この支部じゃ、優秀な討伐隊なんて誰もお呼びじゃないようだしな」

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