第37話 銀の杭が撃ち抜く

 小屋の角で出くわしたラミアは、「ミ」と口にした。はっきりそう聞いた。


 でも裏口から出て来たリュシアンとアルベールの姿に気づくと、歯を食いしばって黙る。両手を上げ、ラミアはおずおずと後ずさりした。


「え、その女がレゾンですか?」


 アルベールが物珍しげにラミアを見る。リュシアンより前に出て彼女に近づこうとしたが、手で制されて立ち止まる。


「下がれ。見た目に惑わされるな。レゾンは通常の吸血鬼より、さらに身体能力が上がると聞いている」


 ゆっくりベルトの剣を抜くリュシアン。彼が一歩近づくと、ラミアは微笑した。白い下の歯がちらりと覗く。


「騎士様、わたくしは人間です」


 胸の前で懇願するように手を組むラミア。


「得た情報と一致する」リュシアンは目を細めた。

「黒髪に灰色の目をした若い女、名前は、ラミア、だったか?」


「あら、美人って情報はないの?」


 ラミアは媚びを売るように小首を傾げた。おれには見せない艶めかしい微笑を浮かべている。不快だ。彼女の魅力はああじゃない、もっと無邪気に笑える人なのに。


「お嬢さん、あなたが吸血鬼だと証明できますよ」

 フォア卿がおれの横に並ぶ。

「ミシェルくんが良いものを持っていますから。ねえ」


 と肩に手を乗せてくる。おれはラミアを見たまま答えた。


「カロン助祭が作った銀の十字架。吸血鬼が触れると灰になるんだ」

「いいじゃん」アルベールは面白がっている。

「さっそくぶち当ててやりましょうよ」


 リュシアンもラミアを見たまま黙っている。だからおれも何も言わず、弩を下に向けて立っていた。小屋の表から近づいて来る足音がした。


「へえーっ、レゾンは本当に人間と変わりませんね」

「隊長。そいつを生け捕りにすれば、今後の研究のためにも何かと情報が得やすいですよ」


 気絶した男たちを引っ張って外に出てきたジャンとガスパールだ。リュシアンの視線がそちらへ動き、おれも振り返った瞬間だった。ラミアが動いた。


「くそっ、捕まえろ」


 リュシアンが叫ぶ。ラミアはおれがいる方向へ走ってきた。フォア卿が腕を伸ばして捕まえようとしたが、ラミアはひらりと蝶のようにかわす。ジャンとガスパールも、捕まえていた男たちを落として、ラミアの方へ突進した。リュシアンがおれの横を駆け抜けていく。アルベールも後を追う。


「待て」


 ジャンがラミアに飛びつこうとした。ラミアは片腕を突き出す。するとジャンが山小屋まではね跳んで壁に背を強打した。その動きを目で追ったガスパールの後頭部をラミアが殴り、彼はその場に崩れた。


「嘘だろ」とアルベール。

 立ち止まり、ジャンが倒れたほうへ行くかどうか迷っている。


 ラミアはショールを優雅な仕草で肩にかけなおした。リュシアンが剣先を向ける。


「どうぞ、お斬りになったら? たいそうな神聖力の持ち主だとお聞きしてますわ、リュシアン隊長様」


 顎を引き上目づかいに彼を見る。リュシアンは、じりじりと距離を狭めても、彼女は動かなかった。


 ぽつ、ぽつ、と。


「雨だ」


 おれは空を見上げた。大粒の雨が間を開けて落ちてくる。獣の唸るのに似た雷鳴が聞こえた。そのうち土砂降りになりそうだ。


「……生け捕りは難しいな」


 低くつぶやいたリュシアンの剣が動く。彼と視線を合わせていたラミアの灰色の瞳が動く。目が合った。口がゆっくり動く——いや。数秒もない動きが、その時のおれには、のろく見えたのかもしれない。いしゆみを水平にかまえて焦点を絞る。


 光る雷。すぐ近くの木に落雷する。その轟音の瞬間、おれは引き金を引いた。


 銀の杭は肩に刺さる。その衝撃で背が曲がり崩れ落ちた。杭の刺さる肩を押さえている。ド、ド、ド、と雨が降ってきた。視界が鈍る。森に風が吹く。大鳥が羽ばたくように木々がうねり音を立てる。


「リュシアン」


 おれは弩を投げ捨て、彼に駆け寄った。


「ごめん、おれ」


 雨が冷たい。肩に刺さった杭をリュシアンはつかみ、一気に引き抜く。どく、と血が噴き出す。おれは必死に傷口を手で押さえた。熱い。呼吸ができなくなる。怪我したのはリュシアンなのに。


「フォア卿、早く来て。リュシアンが」

「わかってます」


 フォア卿が隣に膝をつく。傷口に押さえていた手を外すとすぐにフォア卿が手をかざす。神聖力で白く光る両手。雨が打ち付け、肩から溢れていく血と混ざる。張り付いた銀髪越しにリュシアンをおれを見た。


「大丈夫だから。そう取り乱すなよ」

「そうです、この程度の傷口を止血するくらい難しくありません」


 でもフォア卿の額には汗が浮いていた。そう見えただけかもしれない。雨の雫と汗の区別を見極めている余力はなかった。怖い。震える。何もかも悪夢だ。


「隊長」


 アルベールが片膝を付いた。


「すみません、レゾンを取り逃がしました」

「だろうな」


 リュシアンは、ふ、と短く息を吐く。呼吸を整えたのかもしれない。おれは彼の肩に手を当て、願った。神聖力なんてこれっぽっちもないけど、想いが少しでも癒しを与えるなら、そうして欲しい。おれの生命力を削ってでも彼の傷を癒して。


「この雨だし、お前ひとりで追っても無理がある」

「情けないっすけど、レゾンは神聖力なしじゃ手に負えませんね。あんな細い手足なのに」


 アルベールは雨でへばりついた額の髪をかきあげ、地面に倒れているジャンとガスパールへ視線をやる。


「一発お見舞いするだけで、ああですよ」


「あれでも手加減したはずです」

 リュシアンの治療を続けたまま、フォア卿が言う。

「調査記録では頭蓋骨くらいひと殴りで潰せるそうですからね。あのお嬢さん姿のレゾンだって例外じゃないでしょう」


「それなら手加減してくれたってことですか。おれたち相手に?」

「誰だって脳みそが手に付くのは嫌でしょ」


 フォア卿の言葉に、アルベールは呻く。


「あぁ、そういうこと」

 と、彼は急におれの肩を揺すった。

「おい、ミシェル、大丈夫か?」


「……おれもう射手はやめる」

「おいー、気にしすぎだって。ねえ、隊長。全然平気ですよね?」


「だとしても、ちょっとは気遣え」

 そう返したリュシアンは、身動きするとおれのほうへ向き直る姿勢を取る。

「気に病むなよ。こういうことくらいあるさ」


「ないよ」


「杭が頭を打ち抜いていたら大変でした」

 傷口から手を放すフォア卿。

「でも肩ですからね。止血はすみました。あとは兵舎に戻ってから治療しましょう」


「帰るか。それとも」

 リュシアンはゆっくり立ち上がると、頭上を見やる。

「雨が止むまで小屋で休むか?」

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