第31話 フォア卿が仲間に?

「乾いたわね」


 暖炉の前でラミアが言った。雨に濡れていたおれのシャツを持っている。


「着替えなさい。ちょっと湿ってるけど、これくらい平気でしょ」


 それから、「ほら早くなさい」とシャツを突き出してくる。


「君って少し乳母みたいなところあるね、ベテランの乳母」

「乳母ね」ラミアはからりと笑った。

「おばあちゃんでもいい歳ですからね」


「吸血鬼になったのはいつ?」

「五十年は経ったと思う。もっと前だったかしら。忘れたわ」

「その時、何歳だった?」


 と、ラミアは「あなた今いくつ?」と質問で返してくる。


「十九」

「わたしは十七だったわ」

「越しちゃったね」


 十七歳だなんて。おれのほうが年上——もちろん見た目だけの事だが——彼女の年齢を通り越してしまっていると知り、大人になりすぎた喪失感に似たものが胸を刺した。でも彼女の方ではただ愉快そうに笑っている。


「出会ったときはおチビちゃんだったのにね」


 そして口元に手を当て、ますますおかしげに笑った。


「かくれんぼした時を覚えてる? あなた、厨房のお鍋の中に入っていたのよね。面白かったわ。ほんとやんちゃなおチビちゃんだったわ」


「家では大人しい子で通ってたんだけどな」


 借りていた服を脱ぎ、シャツに腕を通す。ほとんど乾いていたが、肌に接するとひんやりする箇所がいくらかあった。ボタンをとめていると、彼女の視線を感じて手を止めた。


「何?」

「痩せてるのね」


 ラミアは机に肩肘を付き、頭を支えていた。


「さっきのスープは全部食べてくれたけど。討伐隊の食事は美味しくないの?」

「美味しいよ」


 おれは襟元までボタンを留める。


「でも太りたくないんだ。体が丸くなる気がして」

「男装に不都合だから?」


 そしてラミアの視線が、審査するみたいに上から下へ移動する。

 恥ずかしかったが不快には感じなかった。母親が子どもの成長を確かめるみたいな視線だったから。


「貧弱だろ」

「そうね。細いわ、心配になる」

「君みたいに出るとこ出たら困るんだ」

「まあ何を言うのかしら、この子は」


 彼女は付いていた肘を外すと、胸元を押さえて笑った。


「いつまで続けるつもりなの?」


 何を、は聞かれなくてもわかる。


「父が死ぬまでかな。あの人が始めたことだから」

「息子になれって?」

「そんなとこ」


 ベルトを締め、上着を羽織る。こちらはまだずしりと重いくらい湿っていた。あの銀の十字架は首にかけてなかった。借りた服に着替えた時、ポシェットに入れて、そのままにしている。


「お父上はお元気なの?」

「ベッドに居座って久しいよ。でも葬式を出したって知らせは来てないから生きてると思う」

「亡くなったらあなたは娘に戻れるの?」

「さあね」


 窓を見やる。雨の上がった空は青く広がっていたが、そろそろ日が陰り始める時刻だ。


「いつまで続くかなんてわからないよ、ラミア」

 おれは戸口に向かいながら言った。

「父が死んだら親戚が何か考えるんだと思うよ。討伐隊なんて辞めて家を継ぐよう言われたら、おれはそのまま男装し続けるんだろうけど、それはないと思う。伯爵になりたい男はいくらでも家門にいるだろうからね」


 そしておれはそいつの妻になるのがオチだろう。以前もそうだったから。


「大変ね」


 ため息交じりのラミア。ドアを開けたおれは振り返った。


「吸血鬼より大変じゃないと思うよ。君、レゾンでしょ?」

「正気はあるわ、理性的に見えるならそうでしょうね」


 彼女は見送りに出てくれた。


「またおいで」

「うん」


 抱擁して別れる。彼女もおれも似たような背丈だから視線は鼻先ですぐかち合う。温かく優しい香りがする。腐敗臭でも血の臭いでもない、ラミアの香りだ。


 吸血鬼とこうして自然に触れあっているのが信じられなかった。

 噛みつかれたり唾液や血が体内に入ったりしない限り感染はしない。


 でもそれでもこうして温もりを感じ合うほど近くにいられるのは、まだラミアを人間だと信じたがっている気持ちが抜けていないからかもしれない。


 ラミアは若返っているように見える。貴婦人から森に暮らす女性へ、それから今は同世代の少女へと年齢が減っていく。吸血鬼だなんていうことよりも、時空を超えて旅する女性だと言われたほうが受け止めやすかった。


 おれにとって吸血鬼は醜く不潔な存在。血に飢えた怪物、動く死体だ。

 やっぱりラミアは吸血鬼じゃない。何かの間違いだ。


 そうだ、彼女は森の妖精じゃないか。女王様なんだよ。


 森を抜けると、その欺瞞が確信に変わりかける。橋を渡り街に入っても夢から醒めきらない朧な思考で、そんな夢想を掴もうとしていた。


 日は落ち、群青の空に星が瞬く。馬を宿場に返すのは明日にし、修道院内にある厩舎に置いて世話を任せた。兵舎に戻り、食堂に向かうと賑やかな声が聞こえてくる。それが徐々におれを現実へと戻していった。


「ミシェル、待ってたぞ」

「どこへ行ってやがったんだよ」

「遊び惚けてたな、悪いヒヨコちゃんめ」

「隊長に黙っててやるから恩に着ろよな」


 食堂に入るなり、アルベールとジャンが近づいてくると問答無用で引きずり込まれて席に着く。今日のメニューは香ばしい鴨肉と豆のスープだった。テーブルの中央にある籠に入った丸パンにジャンが手を伸ばし、おれの皿に置いてくれる。


「食べながらでいいから聞けよ。なんとあのフォア卿が例の件に乗り気だ」


 ちぎったパンを口に運びかけていたおれは手を止め、彼を凝視する。


「フォア卿? 例の件って?」


 周りから「おいおいー」と次々と声があがる。リュシアンとフォア卿以外の面子は全員そろっていた。皆が上体を乗り出して会話の輪が狭くなると、アルベールが小声で言った。


「例の件といや、貧民区のレゾンに決まってるだろ。捜査、再開だ!」

「ちょっと待って」


 声が大きかったらしく、「シーッ!」だ。全員、周囲をきょろきょろ確認している。


「でも何でフォア卿?」

「ほらお前も知っての通り、副隊長殿は本部のスパイだろ」

「内偵捜査官」


 アルベールの言葉に、ジャンが訂正する。

「似たようなもんだろ」と返すアルベール。


「で、嗅ぎまわるウザい奴をどうしてやろうか、って話だったんだけど。そこでこのおれが機転を利かせてだな」


 アルベールは自分を立てた親指で示す。


「レゾンと教会支部の癒着疑惑をリークしたわけよ。だって内偵ならおれたちより、こっちのほうが重大事件だろ?」


 と、彼はかしこまった表情をして胸に握り拳を当てる。


「腐った支部を粛清しましょう、我々の手で!」


 そして決意に満ちた目でうなずくと、へらっと表情を崩した。


「そうしたら、すっかり乗り気よ、あの副隊長殿」

「明日、さっそくまた貧民街に行くことになった」とジャン。


 おれは何も口に入れてなかったのに、むせてしまった。


「落ち着け。盛り上がって来たよな」


 おれの反応を興奮と取ったらしい。アルベールは目をキラキラさせている。見回せば他も似たように、はやる気持ちを隠そうとしていない。


「う、うん。でもさ、本当にフォア卿が協力するって? 森での襲撃だって彼からこっちの情報が漏れたのかもしれないのに。信頼できないよ」


「その点は逆に引き込んだほうが安心だろ。裏でコソコソやられるより」

 とアルベールは腕組みして続ける。

「でもフォア卿は本部から最近来たばかりの人だ。支部と繋がってる可能性は低い気がしてきたんだよ」


「そうかなあ」


「いいか、吸血鬼討伐を目的に設立した騎士団の支部が、レゾンと手を組んで裏で血を提供してるんだぞ。大事件だ。このまま見過ごすわけにはいかねえって、なあ?」


「まだそうと決まったわけじゃ」

「どうしたの、ミシェル」


 ジャンが心配そうに顔をのぞき込んでくる。無意識にうつむいていたのだ。


「元気ないね。何かあった? やっぱりフォア卿と関わるなんて気持ち悪い?」


「まあミシェルを見る目がきたねぇもんな、あいつ」

 と、アルベールは励ますように肩を叩いてくる。

「でも絶対二人きりにはさせないから。おれたちがお前を守るぞ」


「守らなくてもいいよ」

 苦笑し、手に持ったままだったパンをかじる。

「おれだって立派な討伐隊の一員だからね。いざとなったら股間を蹴りつぶしてやる」

「その意気だ、ミシェル」

「でもリュシアンはこのこと知ってる?」


 おれの質問に、仲間の視線がてんでばらばらな方に向かう。


「ま、まあ」とアルベール。

「隊長はお忙しいからな。事の次第がはっきりしてから伝えても遅くないだろ?」

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