第30話 どちらを殺したい?

 ——あれは、二年くらい前か。


 吸血鬼が出没したとの情報が入り、片田舎の村に来ていた時だ。


「ねえ」


 おれは目に入った彼らを見てリュシアンに声をかけた。通りの向こう側。村の役人の男が二人、その間にいるのは様子からして罪人だろう。暴行の跡なのか、目と唇が腫れており、髪は散切りに刈り込んであった。一見するとその罪人も男に見えた。だが裂けた服の胸元から見えた膨らみに、罪人が女だとわかった。


「あの人、何したんだろう」


 リュシアンは手元の地図を見ていたので、向かいの彼らに気づいてなかったようだ。立ち止まり、何を言っているのかと、あたりを見回している。


「あの罪人のことか?」

「やっぱり罪人だよね? あんまり見ないで、行こう」


 おれはリュシアンの目にあの胸の膨らみが映るのが嫌で、彼の背を押して先を行くよう促した。


「女だったよ」


 耳打ちするよう小声で言う。無意識に嫌悪が混じっていた。ちらりとおれを見やるリュシアンの視線を避け、下を向く。


「何をやったんだろう」

 口の中が乾く。

「異性装じゃないか?」

 リュシアンの声は咎めるわけでもなく、あいさつするように自然だった。

「男装したんだろう。そう見えたけど」


 おれは黙ってうなずいていた。


「男みたいだったものね。髪も短かったし、でもその、服が破れてたから見えたんだ」


 おれはさっと自分の胸をさすった。リュシアンが再び立ち止まる。


「気になるのか?」

「え?」


 見上げると、リュシアンはじっとおれを見下ろしていた。内面を覗こうとするみたいに、ずっと。恥ずかしくなってまたおれは下を向いた。その首筋に彼の声が降る。


「気になるなら事情を聞きに行ってみるか? おれたちは治安隊じゃないけど、聖騎士団の一員だから、ある程度の権力はある。納得いかない理由で捕まっているのなら」


「男装したんなら仕方ないでしょ。あの人、魔女じゃないか」


 言葉を遮るとリュシアンは即座に黙る。


「魔女だ。どうして魔女の罪名が付くとわかってるのに男装したんだ、あの女バカだよ」

「事情があったんだろう」

「どんな」


 まるでリュシアンが悪いみたいに、おれは噛みついた。


「どんな事情? あの人、水責めに遭うの? それとも火あぶり?」


 魔女の疑いがあると、その者の体を縛ったまま水中に投げ落とし、沈んだら人間、浮いたら魔女と判断する。そして魔女は生きたまま焼かれ、その灰は川に撒くので遺体は残らない。


「ミシェル」


 リュシアンはおれの肩に手を置いた。


「あの人を助けたいのか?」

「違う」


 手を振り払う。腹が立っていた。涙が滲む。悔しくてすぐ拭ったが、きっと彼は気づいただろう。


「なぜ男装なんてバカな真似したのか知りたかったんだ」

「じゃあ聞きに行く?」


 なだめる声音。おれは肩で息をつき、うつむきがちに周囲を見た。注目が集まっているようではなかったが、口論していれば目を引く。ただでさえ、田舎には珍しいよそ者、それも聖騎士団のシアン・ド・ギャルドだ。小さな村では目立ちすぎている。


「彼女が何者か知らないけれど」


 リュシアンは前屈みになり、声をひそめた。


「元々流れ者だったんじゃないか? この村の出身なら男装したって素性はバレバレなんだから。きっと男のふりして商売でもしてたんだろう。魔女はだいたいそうだから」


「そうかもね」


 おれは彼を軽く押し、歩くよう促した。


「それでも男装なんて」


 おれは舌打ちした。むかむかする。馬鹿げている。愚かしい、汚い、穢れている。


「ミシェル、あの人の罪が魔女と決まったわけじゃ——」

「そうだね、わかってる、わかってるよ。魔女じゃないかも、ただの人殺しかもね、そうだろ、ねえ?」


 先を歩いていたおれは止まり振り返る。リュシアンは心底困った様子だ。


「ごめん。リュシアンに八つ当たりした」

「見たくない光景に出くわしたんだから仕方ないだろ」

「どうかな」


 リュシアンは微笑すると軽く肩を叩いてくる。

 その優しい温もりが、胸をしめつけてきた。


 女が商売する場合、父親か息子、男兄弟などの許しがいる。女は単独で何事においても権利を持たないからだ。


 だが一般に、貴族だろうが平民だろうが、その点が弊害になることは少ない。よほどのことがない限り、皆、誰かの娘であり、妻であり、姉や妹、姪やおばである。家庭内で実質権利を握っているのは妻の方だ、なんて珍しくもない。


 それに女は権利がない分、責任もない。妻が犯した罪を夫が償う仕組みになっている。だから悪妻の話題は尽きない。酒場に行けばそんな話題で男たちが盛り上がっている。


 でもこの世に、男の何者にもなれなかった女が存在しない訳でもなく。男親や兄弟、夫が横暴で女を家畜より下に見る者の支配下に置かれる場合もある。


 その困難を人々は「あの女は運が悪かった」で済ますのだが、もしも、そこから逃げようとあがけば、女が辿る道は二つ。魔女になるか、娼婦になるか。


 権利がないとはそういうことだ。

 運命は他人の手に握られるのである。


 魔女は人心を惑わす存在だから、男装は魔女の所業になる。異端、魔術。賢すぎても魔女、女の本分から反れても魔女。娼婦だってある日突然、魔女と罵られることがある、あまりに魅力的すぎて、男を惑わしたという罪で。


 教会や国家、階級秩序を乱し、権力に挑戦する行為はすべて罪である。


「魔女、魔女、魔女」


 おれはそう口にしていた。隣に並んだリュシアンは黙っている。


 男が女装しても魔女とはならない。そんなの宴の余興でよく見る光景だから。

 笑い話か、あるいは武勇伝にすらなる。


 もしも罪になるとしたら、あまりに美しすぎて、男が男に惑わされた場合だろう。その男が権力者であり、一方は奴隷のように低い身分だとしたら魔女と罵られる、そんな記録は見たことがあった。


 王が乞食に扮するのと、乞食が王に扮するのとでは扱いが違う。

 それと同じ理屈だ。


「リュシアン」


 立ち止まる。隣にいる彼を見ようとすれば、自然と視線は上向く。


「魔女と吸血鬼、どっちを殺したい?」

 

 彼の答えはすぐだった。


「おれは討伐隊の隊長じゃないか。なぜ魔女を狩るんだよ。狩るなら吸血鬼だ」

「そうだよね」


 ——その夜だ。


 深夜に叩き起こされて外に出てみれば、吸血鬼の群れが出現していた。雑魚ばかりだったが、全隊員で対処しても数が多く、被害が増える一方だったため、無事鎮圧した頃にはすっかり日が昇っていた。


「ミシェル」

 

 首をはねた吸血鬼の死体を集め、燃やそうと準備していると、リュシアンが声をかけてきた。彼は一体の吸血鬼を見やる。視線の先にある死体は、前日の昼、通りで見た罪人の女だった。


「この人、吸血鬼に噛まれたの?」

「ああ。体力がなかったからだろう。すぐ正気を失って襲ってきた」


「リュシアンが斬ったんだ」

「牢屋にいたんだよ、明日の処刑を待つ身だったらしい。逃げ場なく襲撃に遭ったようだな」


 女は首と胴体を切り離してあったが、すぐそばに置いてあったので普通の死体のようだった。でもその死顔に宿る形相は吸血鬼のものだ。牙が唇を破るように突き出し、爪は異様に伸びて黄色くなっている。


「火刑や水責めよりいいよ」


 おれは薪に火を点けると、死体の山に向かって投げた。


「生きたまま焼かれるより、うんといいじゃないか」


 その夜、おれは思ったんだ。


 魔女として死ぬより、吸血鬼として死にたい。

 そうしたらリュシアン。君は、おれを殺してくれるよね?

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