第26話 月光の花園と低俗な質問

 あまりにも月が綺麗だから。

 このまま宿舎に戻るのは惜しくなって、礼拝堂近くまで歩いてみることにした。


 向かうのは来客用に建てられた正門近くにある礼拝堂だ。


 アーチ状の開口部と石柱には、神話の世界を模した装飾が細やかに施してある。ブドウの蔓、貝殻、幼児姿の天使や女神、戦士などが彫り込んであるのだ。そして礼拝堂の周囲は、ぐるりと囲むように草花が植栽してあり、花園の言葉がぴったりの憩いの場所になっていた。


 日中は出入りしている貴族や商人、観光目的で立ち寄る人の姿でごった返すこともあるのだけれど、夜の今は誰の姿もない。ただ花々が美しさを競うように咲いているのが、月明りの下でも浮き上がるようにはっきり観察できた。


 足を伸ばして良かったとその光景に感動する。月光を浴びた植物、特に房状の白い花を咲かせる薔薇は雪が積もったように神秘的だ。この薔薇には確か香りもあった、と鼻を近づけて嗅ごうと首を伸ばした。すると。


「ここにいたんですね、部屋にもいないので探しましたよ」


 その声に、自然と笑顔になっていた頬が殴られたようにひりりとした。ロマンチックな気分、ちょっとスキップして鼻歌でも歌ってみようかなって気分から、一気に暗い沼底に沈んだかに思えた。無視したい。でも相手のしつこい視線を背に感じ、おれは不快さを隠すことなく振り返った。


「どうしました副隊長殿。何か御用ですか?」


 エルマン・フォア卿だ。認めたくないが我が隊の新しい副隊長で、リュシアンによると本部のスパイ。おれに目を付けているらしく、当初はしつこく絡んできていたが、最近はほとんど接触することがなかったため、気に留めなくなっていたってのに。どうやらフォア卿は、まだおれにご執心だったらしい。


「最初は食堂に行ったんですよ」


 フォア卿は、まるで愛想が良く朗らかな人間です、とでも強調するようにゆったりした口調でそう言った。こっちとしては今すぐ腹を蹴り飛ばしてやりたい。でも面倒が増えるだけなので歯を食いしばって耐えておくけど。


「ですが、レネ隊員は席を立った後だと聞きまして。それで部屋を覗いたのですがいない。カロン助祭のところか、と思ったんですけどね。ふとこちらに通りがかってみると」


 フォア卿は自分の髪を摘まむ。


「見事な金髪が見えましたので。よくお似合いですね。美しい庭に、美しい少年だ」


 彼は微笑んだ。薄い唇から歯がにたりと覗く。まったく気色悪いったらない。おれは、じりと地面をこすって後退していた。脳裏にリュシアンの忠告がよぎる。フォア卿とは二人きりになるな。呼び出されても行くな。


 あれ以来、部屋に呼び出されることはなかったし二人になる場面もなかった。だから、すっかり警戒しなくなっていたのに、それが今急激にむくむく戻ってくる。


 でもこいつが向こうから勝手にやって来たのだ。おれに非は一つもない。それとも何か。さっさと部屋に戻らなかったのが悪いのか?


 リュシアンならそう言いそうだ。一人で夜、どこほっつき歩いてたんだって。


「少年じゃなく青年のつもりなんですが」


 おれはなるべくフォア卿を見ているふりをしつつ、彼の後方に視線を飛ばした。すぐにでも誰か駆けつけないかと期待して。ジャンやアルベール、誰でもいい、庭師見習いの小僧でもいいから来て欲しかった。


 美しいと思っていた月光だが、フォア卿を照らしていると、それはまるで邪悪で冷たい光に変わる。彼は笑っている。舌なめずりしていないのが不思議なくらい、その瞳は薄気味悪かった。


「レネ隊員に伺いたいことがありまして」

「そうですか」


 おれは腕組みし、動じていないことを見せるためにぐっと胸を張った。でも嘲るように、くすりと笑うのを見てとり、首筋を撫でられたかのようにぞっとする。


「レネ隊員は仲間たちにとても人気ですね、とても可愛がられている」

「そう見えますか」


 フォア卿は両手を広げて小さく肩をすくめた。おどけたのか何なのかわからない仕草にこっちも腕を組んだまま肩をすくめる。


「皆よくしてくれます」

「そのようです。その中でも特にベルナルド卿とカロン助祭。このお二人はレネ隊員を優遇していますね?」


「そう見えるのならそうなのでしょう」

「レネ隊員は」


 フォア卿が動いたので、おれは組んでいた腕を解き身構えた。彼はそんなおれの行動を横目で見やり、微かに口角を上げる。自分でも情けないと思う。完全に猫に追い詰められたネズミみたいだもの。


 怖気づくな、と喝を入れるが今すぐ逃げ出したくて足が浮く。この場にとどまって、彼と向かい合っているのが嫌だった。腰が抜けてないだけ勇気があるほうだと、自分ではそんなことまで思っていた。フォア卿は面白がるようにおれを眺めやると、ふっと口元を緩めた。


「お聞きしたい。レネ隊員は男色なんですか?」


 ハ?


「ベルナルド卿とカロン助祭。二人とはそういう関係なのでしょうか?」

「わたしが同性愛者だと言いたいのですか? 教義では禁止しれていますよね」


 だが表向きはそうでも実情はそう厳しくないのを知っている。ありゃデキてんなという聖職者たちを何度も見てきたから。


 でも禁止は禁止なので、宗教裁判に出されたら平民なら死刑だ。おれは貴族だから爵位と領地の相続権の放棄と伯爵家の財産没収くらいだろうか。


 レネ家が没落しようがどうでもいいが、頭が固そうなこの男は、その点でおれを追い詰めようとしているのかもしれない。本部のスパイだ、隊の風紀を乱しているといっておれを処罰する魂胆なら戦うしかない。


「わたしは隊長も助祭のことも、どちらも同じように尊敬していますが、副隊長が勘繰るような関係ではありません」


 嘘じゃない。おれは自信満々に答えられる。

 だいたいこいつの言い分だと、おれが二股してるみたいじゃないか。どういう頭してんだ。腹が立つ。憎たらしさに強くにらみつけてやったが、余裕の表情はフォア卿の方だ。


「男色の罪を問うつもりはありません。ただ相手は選んでいただきたくて」

「ですから違うといってるでしょう」


 即否定したのに、フォア卿は全然信じていない様子だ。ちょっとでも誰かと親しくしてたら何でも性愛と結び付ける性質なのかもしれない。だってこいつ、友情だって誰とも築けそうにないから。


 フォア卿は顎をさすりながら、上から下へと見てくる。月光に照らされながら検査されている不快さでいっぱいだ。彼の視線はおれの体の線を一つ一つなぞっていっているようで叫び声を上げたくなる。正気を保つのは難しい。取り乱しても意味がないとわかっているから我慢しているけど限界が近かった。


「隊長もカロン助祭も、わたしに良くしてくれているのはわかっています。特別扱いだというのならそうでしょう。でも友情です」


「それにしてはお二方があまりにレネ隊員に固執しているようなので」

「そうですか、だったらわたしではなく、お二人に聞いたらどうです?」


 フォア卿が大股で踏み込んできた。おれは二歩下がった。それでも距離は詰められていく。なんだよ、どうしたらいいんだよ。気味が悪い、怖い。月光も白く輝く薔薇も夜も、何もおれを守ってはくれない。


「ベルナルド卿は以前、本部からの引き抜きの話を断りました。また同時期にあった皇室騎士団からの誘いも断ったそうです。その理由があなただとわたしは思っているんです」


「わたしですか?」


 驚いたように目を見開き、冗談を聞いたように笑ってみた。何の励ましにもならず、むしろ相手が勢いづいてしまったけど。


「カロン助祭も似たようなものでして。のらりくらりと誘いを断る。小隊ごとの移動は了承しましたが、単独では嫌なんだそうで。能力を笠に傲慢な態度ですよね。ベルナルド卿とカロン助祭以外、何の戦力にもならない部隊なのに」


 やっぱりそうか。でもこうもはっきり言うとは失礼にも程がある。一応、この人、討伐隊の副隊長の席に座っているというのに、まるで無関心というか、やっぱり根っからのスパイなんだ。


「それが事実だとして、おれに何だってんです」


 噛みつくように言い返す。声は思ったよりしっかり出た。


「除隊しろとでも? おれは男色で隊の規律を乱すので辞めます、と卿に提出したらいいのでしょうか、そうしろと?」


「わたしは」


 フォア卿が大きく動き、おれの手首をつかんだ。


「あなたに興味があるんですよ、ミシェル」

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