最終章 葛藤
第42話 おれは神を欺いた
リュシアンは、最初からわたしが女だと知っていた。
「隊長に就任した時にカロン助祭から聞いたんだよ。ミシェルは……って」
と、彼は気づかうように言葉を濁すと、重ねている手を握り締めてくる。
おれはがつんとやられた気分だった。でも思えば隠し通せていたと考えるほうが能天気だったのだろう。
「カロンがお前に言ったのか。なんで、いや、どうして彼は知ってたんだよ」
知られていて当然だと思う一方で、足元が崩れる感覚を止めるのは難しい。つうと涙が頬を伝う。リュシアンが伝う涙を拭おうとしてくるので、顎を引いて避けた。雑に袖口で拭う。リュシアンは跪いた姿勢のままおれを見上げた。
「助祭は手を見て女だと気づいたらしい。おれも——」
「手?」
はっ、と笑いが口をつく。手だと? 手。手でわかるだって。
おれは自分の手を見た。甲を向け、平の側に返す。それからリュシアンの眼前に突き出した。
「これは男の手じゃねぇって?」
「小さいんだよ」
握ってくるので、逃げるように手を引く。彼は軽くしか力を入れてなかったから、すぐに離れた。それでも、ちぎられそうになったかのように、おれは自分の手を胸に守るように抱える。
「小さい手をした男もいるじゃないか」
「骨格や筋肉の付き方、肌の質感とか、そういうの、違うだろ?」
言いながらリュシアンはうつむく。
性的な表現を避けたくてした気づかいなのか、それとも照れているだけなのかわからないが、どっちにしろ、腹が立って仕方なかった。
「カロンが骨格や云々もお前に言ったのか。それともお前が、おれのこといつもそういう目で見てたのかよ」
「ミシェル。侮辱するつもりはないし、貶めるつもりもなくて」
「気持ちわりぃ」
遮って吐き捨てると、彼は悲しそうに黙った。この言い方は棘がありすぎるのはわかっている。彼はいつも優しく、そこに性的な不快感を抱くものは何一つなかった。
それでも今の態度を改めることができない。
全部知っていて、わたしが男のふりをするのを「あいつは女だ」と思いながら接していたのかと考えると、不快さでいっぱいになるんだ。
「なんだよ、なんだよ、お前は」
この苛立ちの根っこは身勝手な願望からくるものでしかない。自覚している。
わたしは女だ。男になりたいわけじゃない。
彼らの前で男として存在していると思い込んだうえで、好きに振舞ってきたのがそれを示している。演じたつもりはない。でもだからこそ、当然のように男同士の関係性でリュシアンの隣に立っていると信じて生きてきた。その日々が、自分の錯覚だった事実に直面し、狼狽しているのだ。
八つ当たりだ。それでもリュシアンをなじり、後悔させ、屈服させたい衝動に駆られ、おれはそれを飲み下すことが出来ない。
おれは彼の肩を強く突いた。されるままにしているリュシアンだが、その体はわたしが押したくらいで床に転がるわけでもなく、わずかに揺れる程度でしかない。そのことがまたわたしを腹立たせ、そんなことに腹を立てている自分を軽蔑するおれが共存している。
「他には?」
攻撃的な口調に、ただリュシアンは悲し気に見上げるだけだ。
「他には誰が知ってる。他の仲間は?」
「ガスパールとジェルマンには隊を結成してすぐに話した。人となりを見て、伝えても大丈夫だと判断したんだ。二人はおれより隊歴が長いし、秘密を共有できるなら仲間は多いほうが良いと思って」
「じゃあ、他は知らねぇのか」
「おれが直接伝えたのはその二人だけだ。でもアルベールとジャンも知っているような気がする。お前への接し方を見ているとさ。ドニはまだ知らないだろう」
あの二人の接し方が、なぜおれの素性を知っていると判断するのか腑に落ちない。それが顔に出ていたんだろう。リュシアンは視線を外すと、ため息をついた。
「アルベールはやたらお前に触りたがるし、ジャンは貢ぎたがるだろ」
「……おれが女だとそうなるのか?」
「ドニとミシェルで接し方がだいぶ違うだろ。ドニは舎弟扱いでお前は姫じゃないか」
「その理屈だとアルベールは姫に触りたがる変態なのかよ」
「だからいつもおれが止めてただろ。引っ叩いても、あいつ懲りてなかったけど」
反論したくなるが言葉が出てこない。思い返してみれば、確かにアルベールは接触が多かった。でも変な部位を触ってくるわけでもないので気にしてなかった。肩を組んできたり頭を撫でてきたり、そんな程度。他の隊員相手でも、彼はよくああいう絡み方をする。
ジャンに関しては食いしん坊なのだと。でもよく菓子をくれ、食事の世話をしてくれるのはジャンだったと気づく。というか、その点を指摘するなら、接触も気遣いも、全部一番甘く接してきたのはリュシアンなのだ。
「お前はおれが女だから今まで」
言いかけ止めた。くだらない。聞きたくない。
男だったら何か違ったのかなんて知ってどうなるんだ。わかっているのは、仲間のほとんどはおれが女だと知っていたのに、周囲を騙しおおせていると思い込んでいた能天気なミシェルが存在しただけだ。
「カロンは聖職者のくせに」
そして、お前らは聖騎士のくせに。
「魔女を見つけても告発しようとしなかったんだな。どうしてだよ」
リュシアンは何かを否定するように軽く首を振った。
それは「魔女」という言葉だったかもしれないし、全く違うものだったかもしれない。
「告発する理由がない」
「あるだろ」
「ない」
リュシアンは嘆息した。
「隊長に就任した時、カロン助祭は、お前が女だと言ってきたかと思えば、本気で脅してきたんだよ。ミシェルを保護するつもりがないなら、今すぐ殺すとかなんとか言って。まあおれだって告発する真似なんて脅されなくても端からするつもりはなかった」
そして彼は視線を下げたまま続ける。
「何らかの事情で男のふりして騎士団に入っているなら、隊長として、その補助くらいはできると思ったんだ。他の連中も似たようなものさ」
いいか、とリュシアンは眼差しをおれに向けた。
「何かに追い詰められている状況でもないのに、誰かを告発して火刑送りにするなんて、まともな神経の持ち主ならやらない。ましてその罪が男装して騎士団に入ったというだけで。おれたちはまず最初に仲間じゃないか」
「おれは神を欺いた」
「欺いたのは人間であって、神ではない。主は万時お見通しさ」
「だけどおれが女だとバレたらリュシアンたちだってどうなるかわからないじゃないか。そこまでして庇う価値が、おれにあるとは思えない。神は男装を禁じてるんだ」
「神じゃなくて教会が定めた決まりにすぎないだろ。それともミシェルは、神の声が直接聞こえる聖女だったのかよ」
「リュシアン、おれが言いたいのは」
「わかってるよ。でもな、おれもカロンも、それなりの地位を得ている。もしも罪の加担を問われたとしても『知らなかった』で通せるはずだ。その辺の村人じゃないんだから。助祭と侯爵家の嫡男なんだ。どちらも教会で才能を認められている。……と、思ってるんだけど?」
突然おどけた調子で微笑むから、つられて唇が緩んでしまう。すぐに引き結んだが、彼をなじりたい気持ちはいつの間に消えていた。
でも衝動が引くと惨めさだけがじくじくと胸の奥に残った。
男のミシェルを楽しんでいた。討伐隊の一員で、弩を武器に戦う。仲間と語り合い、尊敬する隊長の元で過ごす生活を気に入っていた。
でもそれが女であり、カロン助祭の言うように彼らの保護の元で成り立つ日々だとしたのなら、おれはそれを素直に感謝できない。きっと感謝できる程、女の地位にいる自分を愛しておらず、また男でありたい、と言い切れる程の確信がないからだ。
己が女だと自覚した瞬間、保護は卑怯に映るし、そう感じる己の矮小さが混乱の渦を招く。
おれは一体何だったのか。わたしは何を楽しいと喜び、仲間を愛したのか。
抱いてきた感情のすべてに疑いを持ちたくなる。
何もかも錯覚、何もかも虚ろ。
何もかも茶番だ。おれは踊るピエロだ。恥ずかしくてたまらない。
「ミシェル」
優しい呼びかけに顔を上げるとリュシアンと視線が合った。
「フォア卿、彼はどうもよくわからない。もしかしたら君が女だと知ると告発しかねないんだ。そうなる前に騎士団を辞めるよう勧めるつもりだった。でも騎士見習いを辞める決断をしたなら、無理強いしなくて済むよな?」
「フォア卿は」喉の奥で言葉が絡まった。呼吸を整える。
「あの人、おれが女だと知ってるの?」
「たぶんまだ知らない」
彼は首を振り、目にかかる前髪を払う。こういう時は彼が神経質になっている時だと知っている。胸の奥がちくりとした。
——そんな痛みを覚える自分を、なぜかかわいそうに感じた。
おれはリュシアンをずっと見つめてきたのだ、尊敬の眼差しで……と自分を騙してきた。なぜならおれは男だから、男として接しているから。でもそれが錯覚だとしたら、この気持ちはひどく揺らぐ。
「だが安心できない。フォア卿は調べるのが得意だし、君に関心を寄せてる、寄せすぎてる。何を探り出すかわからない。信用できないだろ」
早口になっていくのに彼自身気づいたのか、言い終わると、はにかむように微笑む。
「だからな、ミシェル。君が自ら騎士団を辞めて故郷の伯爵の元に帰るつもりなら、おれも同行してもいいかな」
「……何しに来るんだよ」
「冷たい言い草だな。伯爵が亡くなったらミシェル、君はどういう立場になるんだよ。伯爵を継ぐのか? お前が自ら男装しているとはおれもカロン助祭も考えなかった。きっと、お父上の影響があるんだろ?」
「お前は息子だ、の一言で始まったことだ」
「だろ? でもそれも」
「終わる。で、どうなるかなんて。そんなの、わからない」
息子を続け、伯爵家を継ぐのか。
娘に戻り、婿を迎えるのか。
それとも、何者でもない女になり、修道院に入り、そこで死ぬまで静かに暮らすのか。
おれはきっと家門の奴らの言いなりになる。
面と向かって拒絶するほどの闘志がないのは、これまでの日々で証明している。唯一した抵抗は父から離れた場所で、彼の望まない騎士団に入団したこと、それだけだ。
「ミシェル」
跪くリュシアンは、握る手の甲に口づけしてきた。
「おれと結婚しないか?」
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