第43話 結婚しよう、って言われた

 夜に作業部屋を訪ねるのは普段なかったから、彼は不在かもと思ったけど、ドアを開けた隙間から覗くと、薄暗い部屋でいつものようにガチャガチャ何かよくわからない器具を触っているカロン助祭の姿があった。


「入って良い?」

「……びっくりした。堂々と入って来いよ、生首かと思ったぞ」

「カロン助祭ってもしかしてココで寝泊まりしてないよね。宿舎で他の助祭や司祭たちと談笑している姿が想像できないんだけど。いじめられてるの?」


「おれだって夜中まで仲間と語らうことはある」

「本当? 何話すの」

「教区長は見た。謎の白い幽霊と沼から這い出る巨大生物!!」

「ふざけてるよね」


 椅子に座るとカロンは作業の手を止め、蜂蜜入りの茶を入れてくれた。


「で、どうした。リュシアンと喧嘩したのか」

「結婚しよう、って言われた」

「ほう、結婚……ぶはっ、け、結婚!?」


 見事に茶を吹き出すカロンだが、正直オーバーすぎて嘘っぽい。


「そんなに驚く?」

「いや、白状すると、そそのかしたのはおれだ。今を逃すとミシェルは一生手に入らなねぇと脅してやったのさ」


 フハハと笑いながら、彼はその辺にあったボロ布で拭き出した水滴を拭くと、ぽいと後ろに放る。


「さっそくかましたか。で、お前の返事は?」

「弩で撃ってきた女に誰が求婚すんだって」

「確かに。今日することじゃないな。逆に弱みに付け込む作戦か?」

「撃ち殺そうとしたのを悪いと思うなら結婚しろって? そんなの、失望するわ」


 は、と息を吐き、お茶に口をつける。甘い。少し緊張がほぐれた。さっきから普段通り会話しているつもりでも、カロンのほうをまともに見ることができないでいた。


「で、話はそこで終わったのか」

「まあ」

「ちっとも良い雰囲気にはならず?」


 おれは顔をしかめた。


「べつに何もないけど」

「抱擁からの口づけは?」

「あるわけないじゃん」


 驚き含めて見返すと、カロンは「あらまあ」と眉をしかめる。


「残念な求婚だったようだな」

「だって……もしかして、そのつもりだったのかな。跪いてたのに、求婚してきた後、横に座ってこようとするから、『下りろよ』って押し返したらまた素直に跪いてた」


「笑っていいのやら泣いてやるべきなのやら。あいつ、あの見掛けで奥手なのかよ」

「さあね。おれ、カロンのところ行ってくる、って言って逃げてきた」

「こんな場所がお前の避難所か」


 はは、と笑ったカロンだが、茶を飲む仕草の間に、ぼそりと「気の毒に」と漏らしているのが聞こえる。


「カロンがバラしたんだろ、おれが女だって」

「バラしたとは失礼な言い草だな」

「だって」


 むっ、と不服を示したが、カロンは「よく考えろ」と指先で机を叩く。


「もしも身体を洗ってる最中にばったりリュシアンと出くわして見ろ。きゃーっと悲鳴あげて終わりならいいが、そうじゃないだろ」


「……なるほど」


「なるほどで終わりかよ。感謝してもらいたいもんだ。同部屋で四六時中一緒にいてみろ、危機は何度も訪れるぞ」


「でも勝手に話すなんて」


「おれが気づいた瞬間、馬鹿正直に指摘したら、お前はどうしてた。ここから逃げ出すか、おれが脅してくるんじゃないかと怯えて、何もできなくなるんじゃないの?」


「……そうか」


「感謝しろ、は、まあ、言い過ぎだが」

 背を丸めていると、不憫に思ったのか、カロンは態度を軟化させた。

「訳ありなら、それとなく手助けしてやろうと思ったんだよ。おれもリュシアンも」


「それはどうも」


 器を触っている指がせわしなく動いてしまう。茶を見つめながらおれは言った。


「おれが女だってすぐ気づいたの?」


 しっ、と鋭く指摘してくるカロン。驚いてびくりとすると、彼は演技くさく周囲を見回した。


「誰がどこで聞いてるかわからないんだ。気を付けろ」

「さっき結婚の話したばかりだろ」

「それはそれ、これはこれ」


 カロンは茶を飲み干すと器を後ろの棚に置き、また姿勢を戻した。


「最初は単純に見てられなくてな。どう考えてもお前、訓練に付いていけてなかっただろ。奴隷のほうがまだ綺麗な顔して生きてるもんだ」


「そんなに酷かった? 頑張ってついていこうとしてたんだけど」

「その必死さが、見るに堪えなかったんだよ」


 そういうもんかな。確かにあの頃を思い返してみても、吐き気と眩暈、喉の渇きに激痛の記憶しかない。


「だから助手として使えそうなら、騎士じゃなく聖職者の道を示してやろうと思ったんだよ。そうしたら、まあ、なんだ」


「手?」

「あいつ、そんな細かいことまで言ったか」

「筋肉と肌質も言った。あと骨格。骨格って腰の事かな?」

「あーあー、その発言の後に求婚しても引くだけだな。あいつ、ダメだわ」

「おれ、リュシアンによく抱きついてたもんな。嫌だったかな、彼」


「苦行だったろう」

「何で? 苦痛じゃなく?」


 カロンは数秒、黙って見てきてから言った。


「リュシアンには、お前に会う前に、『レネ隊員はああ見えて男装令嬢だ』と伝えたんだ。で、実際会った後にあいつが漏らした感想が『アレが女ですか?』じゃなく、『可愛い子ですね』だったから、こりゃもうこっちのもんだと思ったね」


「全然話が見えない」


「バカだなあ。こんなのは惚れさせたもん勝ちなの。お前を守りはしても、売る真似なんてしなくなる。嫉妬に狂ったら終わりだが、お前は『リュシアン、リュシアン』って慕ってたし。そうなると苦行だろ。カワイ子ちゃんが同室で寝起きしてるんだぞ」


「でもおれ、ガリガリだし」

「筋肉だ、肌だ、と言ってくる男は、しっかりいろいろ感じ取ってるぞ」

「うわあ」

「いやあ」


 カロンまで自分を抱いて身をよじるので笑ってしまった。


「おれ、幸せだよね。良い人たちに囲まれて」

「幸せを享受できる価値が自分にあったと思えばいい」

「そういうものかな」


「死にかけの父親の話は聞いたか?」

「うん。リュシアンも一緒に帰ってくれるって」


 それは安心だな、と言ったカロンは心からそう思っているようだった。その彼らしくない優しい笑みに、おれも笑顔を返したが、視線はやっぱり合わせづらくて少し下を見ていた。


 そのあとは、今カロンが作っている武器について話したり、リュシアンと結婚したら、仲間やカロンとは疎遠になるね、って話をして、「手紙くらい書け」と頭を小突かれたりした。


 何もかも良いように運ぶだろう。男のミシェルがいなくなっても、レネ家にどこからか現れた令嬢が、リュシアンのベルナルド侯爵家と縁繋ぐのだから。レネ家がどんな反応をしようと、どんな困難が待ち受けていようとも、隣にはリュシアンがいてくれる。


 だから大丈夫だ。

 ミシェル・レネにはリュシアンの妻という身分が出来た。

 あとは母親になれるよう頑張ろう。


 ……なんて。


 以前なら大喜びで神に感謝しただろう己が想像できるだけに、おれは自分自身に吐き気がした。身の内から湧く毒をすべて吐き出してしまいたい。


 だがその毒は、浄化の灰でもなく、聖水でもなく、十字架でも銀の杭でもなく、全く別の方法でなければ解毒できない。


 だからわたしはその夜、修道院を出て城外の森へ向かった。ラミアに会うために。

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