第46話 教会の思惑と黒い実験

 通常、吸血鬼は人間の血をひたすら欲するだけの怪物になる。


 独特の瘴気を放ち、身体能力が上がると同時に痛覚がなくなるので、手足がなくなろうと動き続けようとする。人を食らい、その血をすする。その願望だけで動く。


 でも稀に誕生するレゾンは理性を持ち続け、身体能力が上がるだけでなく治癒力も増すという。ラミアによると片腕くらいならまた生えるというのだから、驚いてしまう。


「瘴気も消せるし数日なら食事をとらなくても平気」

「血は?」

「あんなもの毎日飲むようなものじゃないでしょ」


 ラミアは吐く真似をする。


「美味しいと思って飲んでない。ただどうしようもなく欲しくなって耐えられなくなるの。だから飲む。それから正気を取り戻して自分で自分がおぞましくなる。口を拭うと血がつくでしょう」


 彼女はその時を再現するように口元を袖口で拭う。


「また飲んでしまった、我慢できなかった、って。だから最初の頃は泣いてた。二度と血なんか飲まない、絶対飲まない、って。でもまた飲んでるのよ」


 月に一度くらいで十分だ。もっと我慢できる時もある。

 それでも耐えられなくなって血を欲する。ラミアは悔しそうに唇をかむ。


「今は平気?」


 ラミアは目を大きく見開いた。


「充血してないでしょ」

「澄んだ瞳だ」

「牙もない」

「犬歯、おれより小さいよね?」


 口を開けて見せると、指先がおれの歯に触れる。


「あなたも小さい方だと思うわ」

「そうかな」

「ミシェルは顎が細いのね」

「君より?」

「わたしが噛むと大男の背骨だって砕けるわよ」


 がぶっ、と噛みつく恰好をするので、わざと悲鳴を上げて寝転ぶ。


「シッ、おバカさん。大声出すと何事かと思って人が来るわよ」

「おれを助けに?」

「今の悲鳴は女性だと思うわ。あなたがわたしを襲ったと考えるでしょうね」

「こんな非力な腕で?」


 片腕を突き出す。ラミアも突き出して交差する形になった。


「わたしたちの腕ってよく似てるかも」

「おれも同じこと思った」


 嬉しくなってくすくす笑った。手のひらを合わせてみると、ラミアのほうがわたしより中指が長く、おれはラミアより小指が長かった。


「教会とはどういう関係だったの?」

「踏み込むわねぇ」


 ラミアは顎に手を当て少し考えていた。


「話すとあなたはわたしを嫌いになるわ」

「ならないよ」

「そういう男ほど正直に話した後『失望した』って怒るのよね」

「経験者談、って感じだね」

「長く生きてますからね」


 わたしはラミアを揺さぶって催促した。


「ねえ話して。貧民区の人たちの血を飲んでたんでしょ?」


 ラミアはため息のあと、教えてくれた。


 月に数度、教会支部が手配した男たちが貧民区の住人から血を抜き取り、あの小屋まで運んで来ていたのだと。


「でもあの日、家の中を探したけど、血は見つからなかったよ?」

「床下に保管してるのよ。しっかり探せばわかったはず。上に本棚を置いてあっただけだから」

「毎回本棚を移動させてたの?」


 ラミアは力こぶを作り、意味ありげに口角を上げる。


「そっか、君には本棚くらい余裕なのか」


「ええ。でもね、保管する必要なんてないの。血だって鮮度が大事よ。ただでさえ飲みたくないのに腐った血なんか吸血鬼もお断りだわ」


「だったら大量に持って来ても意味がないわけ? でもあの日は」


 住人のほとんどが死んだ。食料と引き換えに血を抜くのではなく、すべて搾り取られていた。


「たくさんあげると喜ぶと思ったのかもね。勝手に運んでくるのよ。あの人たち、わたしを怖がってるから長くいようとしないし、会話なんてないの。一方的にしゃべって、さっさと帰って行くわ」


「じゃあ、殺しは君の指示じゃないんだね」

「当たり前でしょ」

「やっぱり」


 安堵すると同時に別の理由で胸がつかえた。


「おれたちが余計なことしたせいだね。裏取引を暴こうとしたから、証拠の住人を消したんだ。ラミアと取引することで他の吸血鬼が人間を襲わなくなるなら何も問題なかったんだよ」


「ミシェル」


「だってそうだろ? 食料と交換に血液を渡すだけなら、良い条件だった」

「違うわ」


 ラミアはきっぱり言う。


「問題なのは自分の命を他人に握られているということよ。生きるも死ぬも、相手の一存で決まる。その地獄はミシェル、あなたもよくわかっているでしょう?」


「でも」


「あなたに男装の罪を犯すよう命じたのは父親よね。もしもあなたが火刑になれば、告発した人を恨むでしょうけど、何より憎むべきは父親であるはずだわ」


「そうかもしれないよ。でもリュシアンなら告発しないで女に戻る方法を見つけてくれた。でもおれたちは血を抜かれなくて済む方法じゃなく、殺される原因を作ったんだ」


「そこまでして自分を責めたいわけ?」

「違うよ、だって」

「ああもう、わかったわ」


 ラミアは舌打ちすると、嘆くように両手で顔を覆う。


「ミシェル。あなたが頑固だから教えてあげるわ。そんなに良い取引ではなかったのよ」


 聞いたって楽しくない話ですからね、と前置きしてラミアは打ち明けた。


 ラミアのようなレゾンは、他の吸血鬼を遠ざけることも呼び寄せることもできるそうだ。だからプリュイの港町には吸血鬼が出没しなかった。


「領内全体は無理。でも数は減らせる」


 ラミアは穏便に血を提供してもらえるのなら、と教会支部の誘いに乗った。最初は良い条件だと彼女自身も思っていた。血を欲しないときはラミアだって普通の人間と変わりなく暮らせるのだ。日々、討伐隊の目を気にして生きるよりうんと楽になる。


 だが出してくる条件は、それだけではすまなくなった。


「あの人たちはレゾンの『血を欲する』点だけを消せないかと研究し始めた」


 レゾンになれば不老不死だ。神聖力で浄化しない限りこの世に存在できる。


「だからわたしの血液を抜き、実験を繰り返していたわ。貧民区の住人や罪人にわたしの血を混ぜるのよ。でも失敗ばかりだったみたいね。ミシェル、知ってる? レゾンはレゾンからしか生まれないのよ」


 出産を想像したのが表情に出ていたのだろう。そんなぞっとした顔をしないで、と笑われた。


「腹から出すわけじゃないわ。普通の吸血鬼と同じよ。感染させるの。でもいくつか条件がある」


「噛むだけじゃないの?」

「相手をレゾンにしたい、と念を込めないとレゾンは誕生しない。それにすべてが成功するわけじゃなく、成功する確率はとても低いわ。わたしを」



 ラミアは言葉を止めると、深呼吸した。


「わたしをレゾンにした男は、それまでにも何人もの女性をレゾンにしようとして失敗したと言っていた。わたしは一度も試したことがないからわからないけど、簡単ではないみたいね」


 レゾンは瘴気を消し、人間からはわからなくするが、レゾン同士ならその存在を感知できるようになるらしい。


「同じ街にいたらわかる。でも今まで一度もそんな経験したことない。この世にレゾンが何人いるのか、わたしも知らないわ。もしかしたら、わたしが最後の一人かもね」


「貴重だ」

「だから教会も大事にしたのかしらね。ある程度の敬意は感じたから」

「怒らせたくなかったからじゃない?」

「それもあるかも」


「君をレゾンにした男はどうなったの」

「シアン・ド・ギャルドが討伐したわ」

「いつ?」

「うんと昔。その時はせいせいした。わたしはあの人が好きでなかったから」


 疑問に思ったが黙っていた。踏み込んでいいかわからなくて。でもラミアは見透かしたように微笑み、話を続けた。


「わたしの許可なく勝手にレゾンにした男よ。身勝手でね。でも女を惑わすには十分の容姿をしていたから、当時のわたしはころっといってしまった。でも仕方ないじゃない。まだ十七の小娘だったんだから」


「かっこいい人だったんだ」


「見た目だけね。中身は弱い人だった。でもその気持ちも、あの人がいなくなってから理解できるようになったわ。レゾンって寂しいもの。仲間が欲しくなる」


 だけどラミアは今まで一人だった。成功するかわからない方法で仲間を増やす気はなれなかったから。だって失敗したら一緒に生きようと思った相手が吸血鬼になり正気を失うだけだもの。それなら相手には人間のままでいて欲しい。


「でも教会は狂った実験を繰り返して。わたしは嫌になって血を提供するのはやめると宣言したの。どうせ成功しない実験だもの。すると面白いことに」


 ラミアは胸に手をぐらぐら揺れて笑う。楽しいというより投げやりに見えた。


「優秀な騎士を呼び寄せたわ。リュシアン・ド・ベルナルド卿。彼が来たらお前なんて一瞬で浄化だぞ、ですって」


 くるっと目を回すラミア。おれはあんぐりした。


「まさか」

「おかげであなたと再会できたわね」

「カロンは?」

「その助祭も優秀だから、わたしを脅すために呼び寄せたのかも」

 

 おれは天を仰ぎ大げさに手を振った。


「嫌になるな。シアン・ド・ギャルドを脅しの手段に使うなんて」

「本来の使い方よ。討伐隊なんだから」

「でも」

「不老不死の実験が厄介なのよね。わたしのほうが善良に見えるでしょう?」

「邪悪なのは教会だ」

「教会にも良い人はたくさんいるわ」

「教皇は知ってるのかな」

「さあ、わからないわ」


 それから二人とも黙ってしまった。

 どちらからともなく、手を握りあう。


「カロンは実験に協力していたと思う?」

「その助祭は武器開発専門なんでしょう、何も知らないと思うわ」

「そうだといいけど」


 レゾンは不思議な力を持つ。ラミアを見ていたらもっとたくさんの不思議なことが出来てしまうのではないかと想像する。その力は人間を狂わせるのかもしれない。


 カロン助祭が言っていた。森にたくさんいたユニコーンは、その角で作った杯を使い水を飲むと不老不死の力を得ると信じた者たちのせいで絶滅寸前なのだと。


「ねえ、ラミア」


 彼女の瞳に映る自分が見えるほど、視線を外さないでいた。


「おれをレゾンにして」

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