第25話 通い詰める場所と渡さない浄化の灰

 ——そうして表向き、平穏な時間が過ぎた。


 討伐隊の仕事はなく、吸血鬼とは無縁の日々が続く。


 そして季節は変わろうとしていた。

 緑葉の潤いが減り始め、花弁の色は濃く深くなっていく……。


◇◇◇


「もう食わないのか?」


 夕食時。食堂に集まって討伐隊の仲間たちと一緒に食べていたのだが、一足先に席を立つと、ジャンがそう言ったのだ。


「昼食べたのがまだ残ってて」


 おれは腹をさする仕草をした。でもジャンは咎めるように目を細めてくる。


「何が昼だ。昼は昼、夜は夜だ。お前、全然食ってないだろ。小皿に取り分けた分一回で終わりなんてさ。ほら、よそってやるから皿出せよ」


 追加で具沢山のスープを食わせようとしてくるから強めに言う。


「いらねえって」

「だめ。おれなんて三杯食ってまだ足りないんだから」


 と、

「ジャンと一緒にしてやるなよ」

 端の席に座っていたアルベールが助太刀してくれる。おれはこくこくうなずいた。


「お腹いっぱいなんだよ」

「何を言うか」


 今日のジャンはやけにしつこい。


「そんな小鳥の餌みたいな量じゃ何の筋肉もつかないぞ」

「太りたくないんだ」


 不満げに言い返すと、ぷっ、とアルベールが吹き出す。


「ミシェルは、お前みたいになりたくないってよ、ジャン」

「どういう意味だ。おれは食いしん坊の自覚はしてるけど太っちゃいないぞ」


「いや、太ってる」


 それまで黙々とパンを食べていたジェルマンが静かに断じる。

 急に参戦してきた彼に、皆の視線が集まった。


「ほらー」とアルベールが勢いづき、ジャンが「太ってない、この膨らみは筋肉だ」と立ち上がって腹を叩く。


「ドニ。お前もジャンはもう少し瘦せたほうが良いよな。シアン・ド・ギャルドの一員として、あれじゃあ恥ずかしいってもんだ」


 アルベールが、下っ端ドニの背を叩くもんだから、スープを口に運んでいた彼はむせてしまっている。そんな賑やかさからこっそり離れて部屋に戻ろうとしていると、最年長のガスパールが振り向き、「そういや」と声をかけてくる。


「ミシェル、お前最近、菓子店に足しげく通ってるらしいな。昨日行ったら店長のマダムからそう聞いたぞ」


「なんだよ、菓子の食いすぎで飯が入らなくなったのか?」

 アルベールの呆れ顔に、おれは苦笑を返した。

「そんなとこ」

「ダメだ、肉を食え肉を」

「ジャン、お前はそれ以上食うな。そう思うだろ、ドニ?」

「ゴホッ」


 またむせているドニには同情するが、おれは食堂を後にし、静かな夜の廊下に出た。リュシアンは今日も帰りが遅いようだ。連日、おれが寝た頃に戻ってきているらしく、朝は朝で、自主練のためか早くに起き出していて、ほとんど顔を合わせる機会がない。


 襲撃事件の後、激怒のリュシアンが出した一方的な「ミシェル接近禁止令」は、まだ解除になっていないものの、命じた隊長が不在なことも多いため、今ではかなり緩くなった。


 でもおれは相変わらずカロン助祭の助手だし、特訓も訓練場には出向かず、カロンの助祭立ち合いの元、「改良点の洗い出し」という名目で個別に的打ちの練習をしているだけ。慈善活動と呼んでいる治安隊の補助活動だってほとんど参加してないから、仲間と会うのは夕食時くらいになっていたけれど。


「何だ、明るいと思ったら満月だったのか」


 石畳の外廊下がやけに視界良好だと思い見上げると、びっくりするくらい丸くはっきりした月が夜空に浮かんでいた。久しぶりにじっくりと月を見上げた気がする。月光が暖かいと感じるほど強く輝いていた。でもやっぱり季節の変化か、たたずんでいると腕あたりが寒くなってくる。


「それにさっきはひやっとした。全部バレるのも時間の問題かも」


 ボソボソと独り言ちる。静寂。食堂からの笑い声はもうここには届かない。


 ガスパールが菓子店の話を出した時、肝が冷えるとはこの事かと思った。変に顔に出てなかったらいいのだけれど、案外人の目というのはどこにあるかわからないものだと思う。


 あの菓子店のおばさんも、ぺらぺら客のことを話さなければいいのに。まあ口止めを頼んでなかったのだから仕方ないか、悪気があったとは思えないから。いつも余分に菓子をおまけしてくれる良い人だ。


 あれからも森に住む女性におれは会いに行っていた。


 さすがにあの量の手土産を毎回持って行くには財政状況が厳しいので、菓子店で二人分の菓子を買って行き、お茶と一緒に食べながら会話する、そんなことを繰り返していた。


 楽しいからと朝から何時間も話し込んで、って訳にもいかなくて、いつも昼食を食べに行くふりをして修道院を出、菓子店によってから宿で馬を借り森に入る。そして夕方前には戻って一仕事済ませて夕食、そんな感じだ。


 今ではカロン助祭も黙認していて何も言わない。ただ夕方戻るとものすごく物言いたげな目でじっと見てからヤレヤレって感じで嘆息し、今日の一仕事を言い渡すのだ。それはわざとかというほど力仕事でうんざりするが、体力づくりだと思って頑張っている、あまり変化は実感してないけど。もちろん毎日通い詰めているわけじゃない。週に一度か二度の楽しみだ。


 菓子のほかにも塩漬けの肉を持って行ったこともあるし、街に寄っている時間がなさそうな時は修道院の厨房に顔を出して軽食をもらい、そいつを渡すこともあった。それから薬草。修道院のハーブ園にはここでしか育てていない貴重な植物もあるから、あげるとすごく喜んでくれた。


 修道院から直接城外に出るほうが馬を借りる手間も省けるんだけど、いかんせんここの厩でばたばた準備していると目立ちそうで、なるべくいったんは何食わぬ顔をして街へ出、森に向かうようにしていた。なにより馬丁の口の軽さが気になったからだ。でも菓子店のおばさんにも注意すべきだった、ってところに話は戻るんだけど。


 それにしても、こんなに足しげく通い、日々の楽しみにしている割に、おれたちは互いにまだ名前を教え合っていなかった。気さくに冗談を言い合い笑っていても、そこには暗黙のルールが横たわる。


 彼女は森での生活についてなら事細かに話してくれた。でも家族や、いつからここで暮らしているかの話は一切出さない。うっかりそちらへ話しが行きそうになることもない。


 おれはたびたび子どもの頃はプリュイ領に住んでいたと言いそうになるが、かなり意識して避けるようにしていた。どの菓子が好きだとかもよく話題に出たが、「木苺の飴」が好物だとは言わずにいる。おれが話題にするのは騎士団やその仲間たちのこと、カロン助祭とその助手をしている今の仕事についてばかりだ。


 それでも一度だけ、気まずく黙る瞬間があった。


 その日は朝から浄化の灰を作った後だった。汗だくになりながらロマランを燃やしていたせいで体中が煙臭くなっていたのだ。


 そのことを最初は愉快に話しているつもりでいて、その流れて「浄化の灰が欲しかったら、いくらでも持ってこられるよ。おれが自分で作ってんだもん」と言ってしまった。気前のいいところを見せようと口を滑らせたかたちだ。


 浄化の灰は貴族たちが大金を払ってでも欲しがる貴重な灰。修道院や教会の良い収入源でもある。もちろん大金にするためには、ただ灰を作るだけでなく祈祷を施し、燃やした火も聖水で消す必要があった、さらには灰を聖具の杯に入れて礼拝堂で冷ます時間まである。


 これだけするから貴重なのだが、内部にいる人間、それも灰作りに関わっている助手からするとバケツ一杯分くらい容易に持ち出せた。


 だが、この灰の使い道は一つだ。浄化。清めに使う灰。

 その対象は魔獣や魔女、そして吸血鬼である。


 気にし過ぎなのかもしれない。彼女はラミアにそっくりなだけの他人で、何かの理由で森にひとり暮らしている、ただの若い女性なのだ。でもおれは「浄化の灰」を話題に出した瞬間、自分がしくじったと恐怖しているのに気づいた。


「いらないわ。素敵なものだけどわたしには貴重すぎるもの」


 彼女の返事はすぐにあった。頬杖をつき、小鳥のように軽く首を傾げて微笑していた。でもおれは二度とこの話題は出すまいと何度も何度も自分に言い聞かせた。


 たとえ煙臭かろうが、その理由を言う必要はない。いや。浄化の灰を作った日は、森に行くのはやめよう、そう思ったんだ。

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