第3話 浄化の灰とカロン助祭

 納屋の全焼を見届けた後、おれたちは教会支部がある修道院に戻った。


 裏門をくぐり、礼拝堂の裏口に到着すると、いつものように顧問であるカロン助祭が出てくる。隊員に浄化の灰を撒くためだ。


 灰はロマランの枝を焼いたものだ。


 大陸中に自生しているロマランは年中常緑の枝が手に入るし、灰を使う浄化法は、平民も手軽に利用できるやり方だ。教会ではさらに司祭の祈祷もすませてあるから効果は民間のそれとは雲泥の差がある。豪商や貴族が大金を積んででも手に入れたがる代物だった。


 だから通常、司祭や助祭は浄化する時、一握りの灰を、隊員の頭と肩に少量ずつ振りかけ祈りを捧げるわけなのだが、うちのカロン助祭は一味違う。


「目ぇ閉じろ、口閉じろ。鼻もつまんで息するな」


 討伐隊と同じ肘まである手袋をはめると、カロン助祭は、銀の大杯に山盛り積んでいる浄化の灰をむんずと掴んだ。そして投げつけてくる。全力で。


「痛いです、助祭っ」

「顔面はやめて、目が見えなくなる!」


 次々上がる隊員の悲鳴と、「ありがてぇ浄化の灰だぞ。逃げるんじゃねぇ」と追いかけ回しては灰をぶつける助祭の笑い声。一緒に礼拝堂から出てきた侍祭はいつもの光景だと黙って突っ立っているのがまた不気味である。


 おれは目も口もしっかり閉じ、鼻もつまんでその時を待った。おれの場合はいつもカロン助祭が頭の上からドサッと灰をかけて終わる。


 投げつけられるよりマシだけど、どうしたって息を吸ったと同時に灰が入り、二度ほど咳き込んでしまった。散々追いかけまわされていた新入りのドニなんか、目は充血しているし、酸欠になるんじゃないかというほど背を折って咳をしている。


「次はこいつだ」


 カロン助祭が手を叩いて合図する。控えていた侍祭が木製のコップを盆に乗せ、隊員に配った。受け取ると、カロンが水差しに入った聖水を雑に注いで回る。この場合も彼に丁寧さを求めてはダメだ。聖水だって喉から手が出るほど欲しがる輩は多い貴重なものなのに、ドバドバと贅沢にこぼしながら注いでいくのが常である。


「飲め飲めぇ、全部飲めよぅ。ミシェル」

「何?」


 おれはコップに口をつけたところで止まり、上目で見る。


「あとで作業部屋に来い。最新型の感想を聞きたい」

 いやっとしている。助祭というより武器商人だ。

「ひと眠りしたあとで行くよ」


 おれは答えると、ぐいっと聖水を一気にあおった。


 苦い、苦すぎる。唾液が湧いて出てくるし、みぞおちあたりが熱を持った。浄化してくれるのは感謝だけど、この味だけは何度飲んでも慣れない。


 コップを盆に戻すと、この次は全員、被った灰を落とすため中庭の井戸まで移動する。空は白み始めていた。吸血鬼の出没に昼夜は関係ないが、それでも出動命令は日が暮れてからが多かった。それから討伐を始めるのだから、夜通しなんてざらだ。


 井戸までくると、仲間は外套を脱ぎ、手袋、ブーツを投げ捨てるようにして外していく。それからシャツに手をかけ上半身裸になるわけだが、おれは立ち止まらず、そのまま中庭を抜けると、厩と番小屋を工房の裏まで進んだ。


 木戸と垂らした布で目隠ししてあるだけの簡素な造りだが、ここにはパン焼き釜を利用して温めた水が貯めてあり、この時間帯だとお湯を利用して体が洗えるようになっている。カロン助祭が許可してくれたので、おれは以前から中庭でなく、ここを利用させてもらっていた。


 だって仲間内とはいえ、あんな周囲から丸見えの場所で肌をさらすことに抵抗があるからだ。よくもまあ平気で胸や腹を出せるものだ。尻出して歩く奴もいるし。


 しかも粛々と洗い流しているだけならまだ耐えられるが、すぐ筋肉自慢が始まるし、他の隊と合流した日なんて。「今日こそ決着をつけようぜ」と何の決着なのかわからんが、半裸での取っ組み合いになってゴブリンの群れと化す。


 あんな場所にいたいと思う方がバカだ。


 この洗い場を使うのは各部隊の隊長くらいなのだが、主にリュシアン以外はゴブリンの仲間入りを好むようで、人目も気にならない場所で安心して使っていた。


 おれは外套と手袋を外すと木戸にかけ、手桶で貯め湯をすくうと、手と顔を簡単に洗った。それから革製の鎧の紐を外し、ベルトを外そうとしていると、声がした。


「ミシェル?」


 リュシアンだ。一瞬身構えたが力がすっと抜ける。


「うん、ごめん今脱いだとこ。すぐ出たほうが良い?」

「いや、ゆっくりしてくれたらいいんだ」

「すぐ、すぐ終わるからね」


 おれはあたふたと服を脱ぎ、頭から湯をざぶりとかぶった。水滴を跳ね飛ばす犬みたいにして大急ぎで灰を落とすと、シャツで水気を拭い、湿ったそれを着込む。鎧はつけず、木戸に掛けてあった外套の汚れをはたいてから上に羽織ると外へと飛び出した。


「ごめんごめん隊長。どうぞお使いください。お湯加減はばっちりですよ。まだたっぷり残ってます」


 背を向けて立っていたリュシアンは振り返るなり、顔をしかめた。


「ゆっくりで良いと言ったのに」

「待たせてると思うと急くもん」

「待ってない、見張ってただけ」


 リュシアンは小声で何か言うと、「ほら」と麻布を広げて頭にかぶせてきた。


「拭け。リンネル室から取ってきたやつだから洗い立てだ」

「ありがと」


 中庭まで戻ると、隊員の姿はなかった。今日はゴブリン合戦はやらなかったらしい。たぶん宿舎か食堂に行ったのだろう。どちらも薬草園を通っていく必要がある。


 アニスが伸びている畑では、修道士の姿があった。腰を曲げ、雑草をとっているのだろう、もごもご低い位置で動いていて黒い芋虫みたいだった。


 軽く頭を下げたが、ちらと目が合ったはずなのに無視だ。たまにいる、ああいう奴らが。こっちは命がけで吸血鬼討伐をしているのに、感染源といわんばかりに軽蔑してくるのだ。


 あんたらがどれだけ尊いってんだ。ただ祈りを捧げている間に、こっちは剣を振り回して戦っている——といっても、最近おれは射手専門で、剣はほとんど持たなくなったけど。


 おれも食堂に顔を出そうかと思ったが、空腹より眠気が勝っていたから宿舎に戻った。

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