第10話 大嫌いな副隊長 エルマン・ド・フォア卿

 新任の副隊長と向き合うおれたちの間には、気まずさと緊張、それから変に高揚している空気が満ちていた。で、それを打ち破ったのは、我らが隊長リュシアンだった。


「何を集まってるんだ」


 おれはその声に、ドアの前でペッタンコになりかけていた体をひねくり出して抜け出す。そのままリュシアンに突撃。抱きついた。


「リュシアァン、どこ行ってたんだよぅ」


 腕に思いっきり力を込めながら、おでこでぐりぐりすると、リュシアンはちょっとたじろいでいたみたいだが、ぽんぽんと頭を二度なでる。


「どうした、誰かにいじめられたのか?」

「あいつらがおれを潰そうとするんだよぅ」


 そっちを見ずに後ろを指差すと、盾を担ってくれていたジャンとアルベールが、「違いますっ!」と悲鳴に似た声を上げた。


「おれたちはミシェルをかばってたんです」

「隊長隊長、この新しい副隊長殿が、ちっちゃいミシェルを威圧してました!」


 ごほんと咳払い。例の感じ悪い副隊長殿だ。


「ベルナルド卿、ご挨拶が遅くなりました。副隊長に任命されましたエルマンです、エルマン・ド・フォア。父は伯爵です」


 リュシアンの胸にくっついたまま首をねじって見てみると、フォア卿は胸に手を当て、会釈していた。隊長のリュシアンにへりくだっているようでいて、小ばかにしているようにしか見えないのは、おれがひねくれてんだ、とは言わせないね。


 でもジャンとアルベールも同じくそう思っているようで、フォア卿の後ろで顔をゆがめたり思いっきりにらみつけたりしている。そうだろそうだろ。こいつ、マジでいけすかねぇ野郎だ。


 リュシアンの評価はどうだと、見上げると、彼はほとんど無表情だった。少しだけ、目元がいつもより不機嫌に細くなっている気がする。顎を押しつけてこすったら、胸元がくすぐったかったのか、口元が緩んだが、すぐ引き締めて眉間に皺が寄った。


「ミシェル」

「何?」

「フォア卿と揉めたのか」

「ううん」


 揉めてはない。とっちめられそうになったんだ。おれ立場が弱者だもん。揉めるのは対等の奴らがすることだろ。


 リュシアンはおれの肩に手をやって引きはがそうとしてきたが、両足に力を入れてふんばって抵抗すると、諦めたらしく、また頭を軽く叩いてくる。いい加減にしろ、って感じでさっきより優しさ加減が減っていたけれど。


 それから、「フォア卿」と彼に呼びかけた。


「着任早々、宿舎で揉め事を起こしてもらっては困るんだが」

「それは違います、ベルナルド卿」


 またちらっと首をひねって盗み見ると、フォア卿は気持ち悪い微笑を浮かべていたが、目が冷酷さでいっぱいだった。ああいう目をした奴とはまともな会話ができないと相場が決まっている。


「ところでそちらの少年は卿の小姓でしょうか?」

「……ミシェルはうちの射手だ」

「騎士ではないのですね」

「まだな」


 くす、と笑っていやがる。もう二度と奴の方は見ないと決めてますますリュシアンにしがみついた。気分はもう樹液を吸う虫だ。ここから離れると死ぬ。


 おれは貴族出身だけど、まだ騎士の叙任式をすませていない。だから立場は従卒だ。でも、うちの隊は実力者揃いでも騎士は少数派。これは単純に家柄と資金力の問題だから、そこでいちいち立場を誇示するなんて風土じゃなかった。ってのに、このフォア卿の態度ときたら。おれたちの地雷踏んでるからな! 


「フォア卿」


 リュシアンも腹立たしく感じたのか、声音が低くなっている。


「我が隊に副隊長として参加するなら、調和を乱す行為は慎んでもらいたい」

「わたしが何か致したでしょうか?」


 大いに致しただろうがっ。ピリッとした空気に変化したのが、おれと同意見の者ばかりいることの証明だ。


「フォア卿、うちは少数精鋭な分、結束が強くて全員兄弟のようなものなんだ。だから、信頼を得たかったら若い隊員にも親しみを持って接してもらいたい。それからミシェル」


 リュシアンが襟首をつかんできて、おれを自分から引きはがす。


「お前もびくびくしすぎだ。フォア卿は敵じゃないんだぞ」

「……敵だよ」


 言い返したが小声すぎたのか、リュシアンは眉を動かしただけで疑問符を浮かべている。


「はいはい、わかりましたよ」


 おれは両手を上げて二歩下がる。


「部屋割りの相談で隊長に会いに来ただけなのに、副隊長だっていうフォア卿が偉ぶるんだもん。怖くなって当然じゃん」



 ◇



「——それで、結局どうなったんだ?」


 カロン助祭の質問に、「万事うまくいった、今のところは」と答える。


 助祭に与えられた新しい作業部屋は初日に見た時は陽当たりが良く、風の通りも良い、とても快適な部屋だったはずなのだが、それから一週間。今までの出来事が夢だったのかと錯覚するほど、前任地の作業部屋そっくりに様変わりしている。


 薄暗くて血の臭いがする空気が濁って床に漂っている不気味さ。分厚いカーテンや作業台のひび割れ具合も、そのまま持ってきたように瓜二つだ。


 到着早々、カロンは、「さすが交易が盛んな都市だ。貴重な部品がすぐ手に入るぞ!」と興奮して、すぐさまいしゆみの改良に取りかかってくれていた。


 今日は試し撃ちしてもらいたいといわれて作業部屋に来たのだけど、そこで宿舎でのいざこざ含め、近況を語って聞かせていたわけである。


「おれはリュシアンと相部屋になったよ。で、それだとドニが下っ端なのに一人になるだろ? だから決闘で個室争奪戦をおっ始めようとしてたんだけど、リュシアンが却下して、最終的に」


 おれはひと息ついて苦笑した。


「嫌われ者の副隊長殿が一人部屋になった。あいつと同室なんて皆嫌だったから、まあ平和的解決かな」


 カロン助祭は「ふーん」といってから、弦の張りを調整していた手を止めた。弩は以前使ってから何も変わっていなく見えたが、杭の装着がさらに軽くなるよう滑車を付け変えてくれたそうだ。


「フォア卿は何も平和的解決だとは思ってなさそうだな。お前が駄々こねて規律を乱していると考えるだろう、違うか?」


「かもね」

 肩をすくめる。

「副隊長にさっそく目を付けられたのは間違いない。でも全員あいつのこと嫌ってるよ」


 もしかしたらフォア卿がまともで、うちの隊が異常なのかもしれない。でも一番大事なのは、任務をこなせるかどうかだと思う。シアン・ド・ギャルドは吸血鬼討伐をする部隊なんだ。そして、うちはその任務に自信を持っている。


 だから嫌われ者の副隊長のご機嫌取りなんてしなくていいじゃないか。


 って思うけど、カロン助祭は気にかかるのか、「用心しろよ」と目を見てくる。おれは素直にうなずいたけど、人目を気にして窮屈な気分に嫌だなと思った。


 特にあんな横柄な男を気にしないといけないなんて、急に空気が薄くなったようで息苦しい。

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