第4話 11歳の夏(2)


 彼女は言った通りにすぐ戻るだろう。心配性で、主人思いのメイドだから。



 わたしは幼い頃からたびたび熱を出してばかりいた。

 そのたびに彼女は、公爵として多忙な父や亡き母にかわって、ずっと寄り添ってくれた。



 少なくない回数、夜通し眠らずに額の布を取り替えてくれたし、うなされるわたしのために子守歌を歌ってくれた。


 わたしは心を落ち着けるために、ふうっと呼吸して周囲を眺める。


 夏の庭園は穏やかな空気で満たされていた。


 ひとりになって鞄の横に座り直すと、わたしの髪を風が揺らしていく。




 ……普通、貴族の子女が外出先でひとりになるのは勧められない振る舞いだ。




 けれど、今ここは例外。


 なんといっても、この美しい庭園は王家のもの。


 立ち入る人間は限られているし、入り口の門近くに護衛や使用人が控えている。



 きらきらと陽光を反射する、たっぷりと水を湛えた池のほとり。


 景色からすると、ここは庭園の入り口から小道をいくらか歩き、池にかかる橋を渡ってすぐの木陰のはず。


 この季節、涼やかな水辺は招かれた王侯貴族で賑わう場所だった。


 今日は特に幼い子どもたちが招かれた日なのだろう。

 けれど日差しが強すぎるためか、今日はもうわたしの他には、向こう岸にいる一団だけのようだった。





「坊ちゃんたち! 隠れていいのは、ここから見える範囲までですよ」




 向こう岸から小さく聞こえる、そんな侍女の呼びかけ。


 やんちゃな少年たちは返事もおざなりに草原を駆け回っている。




ーー真星歴1602年、青葉の月、21日。




 平穏そのものの時間の中、わたしは必死に今の状況を整理していた。


 頭がおかしくなった訳ではないならば、私の身になにがおこったのか?



 落ち着くのよ。

 いま考えられる可能性を並べてみよう。



 ひとつ考えられるのは、この光景が死に際の走馬灯であること。


 ただ、何の痛みもなく、こんなにも長い時間を過ごすものかしら? この可能性はいったん置いておくことにする。



 どうせ、もし走馬灯ならば、それは受け入れるほかないのだから。

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