第3話 11歳の夏(1)
――どういうことなの?
衝撃から一拍置いて、わたしは思わず立ち上がる。かぶっていた帽子がパサリと落ちた。
「アイリーンお嬢さま、どうなさいました?」
メイドのジェーンが心配そうにわたしを覗き込んだ。
「……ジェーン?」
「はい。お嬢さま」
焦茶のくせっ毛、気にしていたそばかす、そしてどこか愛嬌のある笑顔。
……確かに彼女だ。
取り乱しかけたところを冷静になれたのは彼女のおかげだった。
一瞬で世界がまったく変わってしまった、ありえない状況でも、親しい相手の存在というのは安心を与えてくれるらしい。
そのとき、冷静になったわたしは疑問をふと口にした。
「あなたは嫁いで公爵家の勤めを辞めたはずじゃ……?」
わたしも彼女の門出を祈って、ウエディングドレスに祝福を込めた刺繍を刺したはずだった。
細身で背の高いジェーンは彼女に似合いの清楚な白いドレスを着ていた。両手でわたしの手をにぎりしめたあと、涙ぐみながら旅立っていった……。
しっかりとその記憶があるのに……。
「なにをおっしゃっているのですか?」
本気できょとんと目を丸くする彼女に、わたしは混乱する。
「やはり木陰で休むよりも、すぐに帰宅したほうが良かったかも知れませんね。我々も屋敷に戻りましょう」
「いえ、待って」
確認しなければならないことばかりだ。
必死で頭を働かせて、わたしは尋ねた。
「今はいつ? ええと、今日は何日?」
「青葉の月、21日目です」
「……何年の?」
「ふふっ、なにかの謎かけですか? 真星歴(しんせいれき)1602年です」
ーー5年前! わたしがまだ11歳だった年の夏だわ!
衝撃で言葉が詰まった。
そんなはずはない。なにかの冗談?
でも、わたしはジェーンを信じざるを得なかった。
ジェーンには冗談を言っている様子はない。
それに、自分の手や体のこの小ささも、若々しいジェーンも、この風景も!
7年前にわたしが体験したことそのもの!
じわじわと理解していくにつれ、疑問がよぎる。
なら、これは死に際の夢?
そうでなければ……わたしが16歳まで生き、エドワードに殺された記憶のほうが夢なの?
今この庭園でうたた寝して見た、夢。
ううん、そんなはずない。
あの雷雨の結婚前夜の出来事が、夢であるはずがない。
そう判断するほど、エドワードの顔をした男から与えたのは、あまりに生々しい痛みだった。
血しぶきの鉄臭い匂い。
わたしの体に走る痛み。
そして、たしかに命が体から抜け落ちていく、あの圧倒的な絶望感……。
沈黙したわたしを見て、ジェーンは本気で心配したらしい。
「お嬢さま、顔が真っ白です。少々お待ちくださいね。迎えを呼んで参ります」
ジェーンは大荷物をテキパキと旅行用のトランクに納めていく。
この頃わたしは特に病弱で、ちょっとしたことで寝込んだものだ。
そんなわたしのために、どこに行くにもジェーンが携えたのがこの旅行鞄だった。
ジェーンは「すぐに戻りますので」と迎えの馬車を手配しにいった。
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