第60話 舞踏会(2)


 人は、隠されたり限定されたものほど気になってしまう生き物だ。

 だから、興味を惹きたかったわたしはエドワードの力を借りて、この場でひそかな広報活動をしている。



ーー『いいな! ぼくにも! ぼくにもちょうだい!』



 わたしはふっと過ぎし日を思い出す。


 この作戦は、夏の庭でウィリアムが花を欲しがったことから思いついた。

 人のものがよく見えるのは自然なこと。


 それが自分のもっていない、特別そうなものならなおのことーー。


 ちなみに、この紫の花は、もちろん馬鈴薯(ポテト)の花。


 「秘密」というのは、馬鈴薯(ポテト)の根が冷害にも強い食べ物になること。



 けれど、これを普通に知らせて各地に植えるよう指示しても、なかなか広がりにくいのは知っていた。


 だから「羨ましくて、自分も欲しい」と各地の有力者に自ら(、、)思わせるよう仕向けたのだ。


 あとは、それなりの値段で種芋や苗を流通させればいい。



 馬鈴薯に、食物や花であるという以上の、「特別な」王家と公爵家が重用しているーーという価値を見出してくれた彼らは、自分たちの領地で積極的に栽培してくれることだろう。


 今日は、すでにもう何度かこのやり取りを、さまざまな地方の有力者と繰り返していた。



 確かな手応えと、変化。



 少しずつ、ほんの少しずつだけれど、一度目の歴史や不幸は変わってきている。

 その感覚が、わたしにとってかけがえのない希望だった。


 けれど油断ができないことも身に染みた。


 わたしが加えた変化によって、新たな危機が起こることだってあると分かったのだから。


 男爵領の暴動で、王太子の危機が去ったと思いきや、エドワードの命を危険にさらす可能性があったように……。


 気を引き締めなければ。



 でもーー。



「アイリーン?」



 それ以上に、今だけは。



 今は、この気恥ずかしくも幸せな時間にひたっていたい。


 ふと隣を見ると、わたしを見て微笑む彼。



 わたしたちは、会場の熱気と声をかけてくる客人たちから逃れて、人目につかないバルコニーに出ていた。


 頬を撫でていく夜風が心地よい。


「エドワード」


 隣に立つこの人といられることが、例えようもなく嬉しい。



「わたし、あなたとこれからも一緒に生きていきたい」



 エドワードが軽く驚いたように息を呑む。



「エドの隣に並び立つのに、わたしは相応しい女性になれるかしらーー。いえ、もちろんおこがましいとは思う……って、きゃっ!」


「アイリーン!」



 話している途中で急にエドワードがわたしを強く抱きしめながら笑った。



「君はもうすでに素晴らしい……大切な、かけがえない人だよ! そんな風に思ってたなんてーーははっ! ああ、アイリーン!」



 さらに気持ちが抑えきれないかのようにくるくる回り始めたので、わたしは慌てて彼の首筋につかまった。


「エ、エド!?」


「ふっ、ははははは!」


「まっ、まって……わたしっ、目が回って……!」



 と、吐息の合間に訴えると慌ててエドワードは止まってくれた。



「すまなかった! つい……ごめん」



 わたしの肩と腰を支えて密着した姿勢のままで、つぶさに顔色を観察してくるので、少しだけ自分の頬が赤らんだ自覚があった。


 照れだけでなく、急な動きに慌てたせいでもある。


「う、うん……」


 ぐったりしていてすぐに「大丈夫」と返事ができなかった。


 だいぶ丈夫な体になってきたのだけれど、どうしてもダンスの動きは苦手で。特にくるくる回るのは駄目だわ……。


 一方、激しく動いたはずなのにエドワードは全く平気そうだった。


 それどころか、ふらふらしたわたしの様子を危ぶんだのか、しばらく腕の中でしっかりと抱き抱えたままでいてくれた。


 厚意に甘えて、軽く彼の胸にもたれ掛かる。

 トクトクと規則的な鼓動が耳に伝わってきて、わたしはまるで母に抱かれた赤子のようにだんだん安心してくる。



「……ありがとう」



 落ち着いてきたので、そっと彼の胸に腕をついて、預けていた身体を真っ直ぐに姿勢を正す。


 澄んだ彼の瞳ーー濃い紫のなかには、幸せそうに微笑むわたしが映り込んでいた。


 まだ、これから長く厳しい道を進むのかも知れない。


 けれどわたしたちふたり一緒なら、きっと一度目の悲劇は起こらない。


 見つめ合いながら、わたしは不思議な安心感に包まれていた。




        第一幕 終

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