第48話 記憶〜王家の中庭〜
一方で、例の治療法が効き始め、わたしも以前よりかなり動けるようになった。
とは言っても、人よりもやや体が弱い……という程度だけれど。
それでも、出かけるたびに発熱して家に運ばれ、寝込んでいた頃から比べると、わたしにとっては大きな進歩だった。
調べごとも易くなるはず。
シンには感謝するばかりだ。支援してくれたお父さまやエドワード、ジェーン、ディランたちにも……。
そして、体が丈夫になるにつれ、来年か再来年には国王へ正式に拝謁するデビュタントの話が持ちあがってきた。
これは思いのほか父が喜んでくれて、わたしはほっとした。
ーー1度目の人生では、心配ばかりかけていたから。
体がすこしは人並みに近づいたと思ったら、結婚の儀が目前に迫っていて。
親孝行をする暇もなかったから。
……ということもあって、わたしは今、二度の人生を通じて最も苦手な作業に取り組んでいる。
ダンスだ。
社交界デビューとあわせて、もちろん必須となるあのダンス!
目にする分には目に楽しく、少女たちにとっては優雅で憧れだけれど、私はできるかぎり避けて生きていた。
なかなか習得する機会がなかったからとも言える。
体が弱かった幼い頃は習うことすら難しく、一度目の人生では社交界デビューでも踊らずに挨拶だけで済ませたのだから。
エドワードは、伝統的なしきたりや王子としての振る舞いをこなす一方で、本当はかなり実利的な気質でもある。
しきたりや振る舞いで古くからのやり方を選ぶときも、そうした方が自分の目的を達しやすくなるからだといっていた。
おかげで、わたしのダンスは多めに見てもらえたけれどーー。
そのツケがいま回ってくるとは思わなかった。
あぁ、でも一度だけダンスが上手くなるよう、彼が手ずから教えてくれたことがあったっけ。
ーーそう言えば、12歳のあの日が過ぎたのね。
一度目の人生で、その場にいるはずのないと思っていたエドワードとダンスをした思い出……。
それは、王宮の中庭での出来事だった。
⌘ ⌘ ⌘
あの日、エドワードは王太子の地方視察に同行していて、王城には居ないはずだった。
本来の主人である王も、末の孫ーーつまりウィリアムーーが亡くなってからは、姿を見せなくなっていた。ごく限られた者しか出入りできない自室で喪に服していると聞いた。
わたしはなんで城を訪れたんだっけ。
記憶は朧げだけれど、お父さまの仕事が終わるまで待つよう言われていた。珍しい外出に気分が高揚していたのは覚えている。
小柄な12歳の少女だったわたしは、運良くメイドや王城の使用人たちの目をかいくぐり、待合室から抜け出せてしまった。
荘厳な回廊を渡り、わたしが迷い込んだのは、王家の暮らす後宮のなかにある、こじんまりした中庭だった。
待合室が王族の私的空間に近かったのは、公爵令嬢で王子の婚約者でもあるわたしへの配慮だろう。
政務で慌ただしい空間より、緑豊かな後宮の庭が見える待合室のほうが、たしかに少し呼吸はしやすかった。
そして王家の中庭は、もっと清々しい空気と、柔らかい日差しに包まれていた。
「気持ちいい……」
中庭は、整備された人工的なものというより、もっと自然に近い在り方をしていた。
つまり、手入れが行き届いていない、野生味のある空間だった。
足元の芝は太陽を浴びてふかふかと足首まで伸び、勝手に育ってしまったのだろう黄色や白の小さな花々がそこここに揺れていた。
木立もしばらく剪定されていないのだろう。
青々とした枝葉を思い思いに広げていて、いかにも気持ちよさそうに風にさざめいている。
そよ風はわたしの淡い色の髪も揺らし、鼻に緑と土の匂いを運んできた。
そのときは知らなかったけれど、その中庭は普段は立ち入りを禁じられていたらしい。たまたま大人の目を掻い潜ったわたしだから入り込めてしまったのだろう。
「わぁ」
思わず、はしたないということも頭に浮かばず、わたしは靴を脱いで裸足になった。
管理されていない庭など初めて見た。
この足で大地を感じてみたい。
そっと足を下ろすと、かすかに湿った感触とひんやりした温度が足の裏から伝わってきた。それに、草が足首をくすぐってこそばゆい。
「ふふっ。こんな感じなのね!」
体を冷やしてはいけません、外に出る時は夏でも羽織ものを……と、よく口を酸っぱくして言われていたけれど、このときばかりはすっかり忘れていた。
むしろ、禁止されていることをわざとやってみた罪悪感がスパイスとなって、変にわたしは高揚していた。
その時だった。
「なぜーーここにいる?」
呼びかけられて、わたしは慌てて振り向いた。
逆光になって、最初はすぐにわからなかった。
青年……?
いいえ、もっと若い……少年だわ。
彼が一歩前に進むと、影になっていたところに光が当たって、そこには見慣れた顔があった。
エドワードだ。
艶やかな黒髪。王族であることを示す紫の瞳ーー今日は普段にも増して一段と鮮やかな紫の色をしていた。
なのに、なぜだろう。
顔が見えなくても、その親しんだ空気で彼だと分かるのに、一瞬まるで見知らぬ人のように思えたのは。
「……エドワード?」
「……そうだ……エドワードだよ」
そこには麗しい王子が驚いたように立ちすくんでいた。
彼も驚いていたけれど、わたしこそ意表をつかれていた。ここにはいないと聞いていたから。
けれどーー。
「なぁに? そんなにまじまじと見つめるなんて」
驚きより先に、わたしは思わず笑ってしまった。
まるで、長年生き別れていた恋人とついに再会したかのように、信じられないという目でわたしを見つめていたから。
と、そこで気づいた。
「いやだわ。わたし裸足なの。ついこの足で草地を踏みしめてみたくて」
ごめんなさい、とあわてて汚れを払って靴を履いた。少し気恥ずかしい。
子供みたいにはしゃいで、幼いと思われただろうか。……実際に子どもではあるんだけれど。
「けれど、初対面でわたしの寝起き姿まで見たんだもの、そんなに驚かないわよね」
彼が庭から2階へと忍び込んだときのことを思い出して、ふふっとまた笑いがもれた。
エドワードは眩しそうに目を細めて、まだわたしを見つめ続けていた。
「…………」
彼がずっと無言なので、怪訝な顔をしてしまう。
「どうしたの? 体調が良くないの?」
「ーーいや」
エドワードはそっとかぶりを振った。
彼はとろけるように甘い顔をした。
「ただ……ただ、君が健やかでいる姿を愛しく思っていた」
「ふふふっ、ありがとう。いつも気遣ってくれて嬉しいわ」
いつもの冗談めかした『王子らしい』振る舞いとして、わたしはくすぐったく笑って受け入れた。
けれど、そのあともあじっと見つめられ続けると、少しだけ居心地が悪く感じてしまう。
なんというか……ふざけて交わす言葉なら受け止められるのだけど、今日の彼の態度はどこか違って……そわそわしてじっとしていられない。
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