第57話 銀の女神
わたしは馬車の上に立ち、ドレスの裾をはためかせていた。
「皆さん!」
威厳を損なわないよう、けれどできる限り響き渡るよう、声を張り上げる。
移動してくる間、ずっと握りしめていた布ーー公爵家と王家の紋章が入った大きな旗を、護衛に掲げさせたその隣で。
「男爵領の皆さん。わたしは公爵令嬢アイリーン。皆さんに救いの手を差し伸べ、誤りをしかるべく正すためにやってきました」
馬車の後ろには、国境近くを警備していた者たちがずらりと並んでいる。
民からはまるでいきなり多くの兵士が現れたように見えるだろう。
後ろに従えてきた、連れられるだけの公爵家の者たちは、みな揃いのローブを着て同じ旗を手にしている。
それらは、王国の誰もが見知った紋章がーー王国の紋章が織り込まれた旗だ。
太陽王と呼ばれる我らの国王が、勝利の印として各地に立てた旗。
これは王家の権威の象徴でもある。
男爵家や領主を憎む民衆にとっても、さらにその上の王家が突然関与してるとは想像もしない存在だったはず。
それがこうして目の前に翻されたら、少なくとも虚を突かれて、いきり立って暴動を起こそうとしていた心に空白ができる。
それが狙いだった。
わたしの言葉に少しでも耳を傾けてもらうために。
けれど実は、引き連れているのは武力自慢の兵士たちばかりではない。
実は健康である程度の背丈があり、馬車についてこられる者はコックだろうと執事だろうと、果ては体力自慢の洗濯係の女たちさえ動員しているのだ。
もちろん、彼らには荷物を持たせず、後方にただついてくるだけでいいと言ってあるし、普段の賃金に割り増した手当を払うと伝えてあるけれど……!
ここまでしたのは、この緊急事態に、とにかくこちらの手勢を多く見せかけて暴動の機運をくじく必要があったから。
いまーー民衆にとっては、救いの手があればすがりつきたくなる状況であるのは違いない。
けれど、それだけではない。
暴動が起こるのは、いくつかの条件が重なったときだ。
後先を考えられず、「暴力に訴えても処罰されない」と彼らがいきりたったときにその行動を加速させる。
つまり、集団になれば相手より自分たちが勝てそうだとーー単純に言えば、人数の多さで調子に乗らせてはいけないのだ。
その勢いさえ殺せてしまえば、普段のひとりひとりは決して暴力的な人格ではないのだから。
だから、権力に楯突くと、苦痛がもたらされる……と思わせなければならない。
同時に、権力に従うなら救いがもたらされるとも。希望を与えるのだ。
もしも暴動によって、男爵家が隠し蓄えた麦を解放されてしまったら、それが一時的な結果であっても、民主は「武器を手にして血を流すことが唯一の道」だと思い込んでしまうだろう。
けれど、実際には破滅への道だ。
圧倒的な武力と財力をもとに、権力者は暴動を主導した者だけでなく、関わった全てを断罪する。
だから、どうか間に合ってほしかった。
わたしは掲げられた旗を仰ぎ見る。
ーーまさか、こんな形で「太陽王」の残虐さと恐怖を利用するとは思いもしなかったけれど。
今の国王……エドワードの祖父王は国内外を制圧するため、一切の手心を加えずに武力で制圧した。
子供たちは知らないかもしれないけれど、貴族や親になる世代はその凄惨な行動を直接に間接に見聞きしている。
この旗を見せただけで、彼らの脳裏には、抵抗が死に直結するイメージが浮かんだことだろう。
すでに城の正門とわたしたち公爵家の一段に前後を挟まれた民主は、さきほどまでの勢いを失いつつあった。
わたしは息を吸い込んだ。
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