第58話 銀の女神(2)


「皆さん、この冬は大変な時間を過ごされたことでしょう」



 できるだけ慈悲深く、けれど威厳を保って呼びかける。



「わたくしは皆さんを救うために参りました」



 一度、あえて間を開けて、聴衆の耳にしっかりと言葉が届いていることを確認する。



「ご存じの通り、公爵家の領地には充分な麦があります。わたくしの父が、昨年のうちに多くを買い取っていたからです」


 こういうとき、隣り合った領地の話は耳にしているものだ。



「すでに土地を捨て、公爵領に流れやってきた方もいます。彼らにも粥を配っていることはご存知でしょう。」


 周囲はしん、と静まり返っていた。

 全ての目線がわたしに集まっている。

 本当は人前に出ることに震える。けれど、わたしは胸を張ってみせた。



「わたくしたちは、皆さんを見捨てたりはいたしません!」


 そっと、静かに腕を民に向けて差し出す。



「しかし、わたくしは住み慣れた地を離れる心許な差を知っています。あなたがたには、この地で暮らしながら、ひもじい思いをせぬよう支援を予定しています」


 わたしが言葉を口にするたび、絶望と虚無がはりついていた民の顔に、少しずつ戸惑いと希望が湧いてくるのが見てとれた。



「その証拠を、すぐにお見せいたしましょう。すぐにここに王家の馬車もやってくるのです。わたくしたちも王家も、不正を正すために参りました。皆さんが武器を取らずとも、これ以上の血を流さずとも、すぐにこの扉から必要な物資を運び出し、支援に役立てることをお約束します」


 こわばっていた彼らの腕から、武器となる農具が下げられていく。



 そうこうして、わたしが時間を稼いでいる間に、王都からのエドワードたちの馬車が小さく見えてきた。


 もうすでに、虚をつかれた領主の兵たちも持ち直しているし、そこに公爵家の護衛とエドワードたちの人数を合わせれば、もし今から暴動が起こっても鎮圧できそうだった。


 何より、軍事において敵を囲いこむことは、勝利を意味する。


 囲まれてしまえば逃げ場はなく、四方八方からの攻撃に抵抗もできない。人は正面以外からの不意打ちに弱いのだ。


 賢い人々は、すでにもうそれをさとって戦意を手放していた。


 いま、すでに農具を手に城の前に集まった人々は、私たちに囲まれているのだから。


 わたしはほっと胸を撫で下ろす。


 エドワードのことも、暴動で血を流すはずだった兵士たちも民衆も、守ることができた。



 ……いいえ、ある意味では、本当に守るべきはこれからよね。



 民衆に最低限の食糧を行き渡らせ、今後の男爵領の統治体制を立て直す。

 一朝一夕には行かないけれど、わたしはしっかりとした希望を感じている。



「アイリーン」


 呼びかけられて、わたしは振り向く。

 本当は少し慌てているだろう、けれど民主の前で威厳を失わないよう振る舞うエドワードの声。



「エドワード」


 言外に大丈夫だと伝える。



 そっと馬車から手を伸ばすと、わかっていると言うように彼はわたしが降りるために手を貸してくれた。



「まずは彼らの武器になるものを回収してから炊き出しだな」


 幸い、この領主邸には豊富な食物があるだろうから、炊き出しには困らないだろう。


 一度目の人生のときの通りなら、いち早く暴動を察知した領主は逃げ出していたから、エドワードの指揮に抵抗もないだろう。



「ありがとう」


 今、言葉多く説明はできないけれど、わたしたちは通じ合っていることがわかった。

 どうか一緒にこの場を乗り切るために力を貸して欲しいと。


 馬車から降り立ち、改めて民衆の前に立った時、わたしたちはあらかじめ決まっていたかのように微笑みあった。


 そう、大丈夫。

 わたしだけではないもの。

 隣にはエドワードもいる。


 だから、どんな険しい未来でも、希望は手放さない。

 この国を導くために、わたしたちなら夢や空想ではない道筋を描けるはずなのだから。



   ⌘ ⌘ ⌘


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