第34話 未来を変えるために


 夏が終わると、エドワードは王都に戻っていった。



 本格的な秋が駆け足でやってくる。

 麦の穂が金に色づき、風に揺れる様は素晴らしい眺めだ。


 四季それぞれの美しさがあるけれど、わたしはこの季節に見える部屋からの眺めがとても好きだ。




 景色の変化とともに、わたしはいくつか決めていた行動を起こした。


 まず手をつけたのは、夏の間に書き留めた自分の記憶をもとに、特に大きな天災や事件について考えること。

 この記憶帖にまとめるのも、実は思った以上に大変な作業だった。



 殺される直前の記憶はしっかりと焼き付いていたけれど、やはり時が経ったものほど記憶はおぼろげになる。



「一度目のわたし」にとっては数年前となるーー今のわたしにとっては未来となるーー12歳から15歳の記憶は、日付やニュアンスまで事細かく思い出すのは難しかった。



 それに、残念ながらわたしが実際に経験した記憶は少ない。

 幼少期のほとんどをベットの上ですごいていたから……。




 世間の出来事は、都で発行される新聞や書物、お父様との会話で知った情報が多い。


 それでも、これから起こることを知っていれば役に立つ。


 ウィリアムが命を失いかけた日も、本当にギリギリのところで記憶が鮮明になって、わたしは動くことができたのだから。


 なるべく早めに知っておければ、もっとさまざまな備えができるはずだ。


 ちなみに、もしかしたらこの世界は、何もかもしなくたも一度目と全く違う歴史を辿っていくのではないか?という淡い期待は、たちまちのうちに砕かれてしまった。


 新聞で一度目の人生と全く同じ、「王太子の弟殿下が、ある冒険の末に隣国の皇女と出会い、婚約した」という記事を目にして、わたしは確信をもっていた。




 なんといっても、あの記事は印象的だった分、見出しの一言一句を思い出せた。


 一度目も二度目も、句読点に至るまで同じだった。


 こうしてみると、時を遡ったことも不思議だけれど、同時に、記憶の不思議さも思う。


 数年前の日付を言われても何があったのか思い出せないのに、具体的なきっかけがあると、ありありと目に浮かぶのだから。




 わたしはこの記憶を頼りに、いくつかしたいことがある。


 まずは、この翌年からの災いに備えたい。


 翌年ーーつまり、わたしが12歳になる、すぐ未来の話だ。


 現実になってほしくないけれど、これから数年にわたって、国を超えた規模で冷夏による食料飢饉が発生する。



 主食である小麦が育たず、公爵家も不作で大きな打撃を受けることになってしまう。


 最も酷い被害が出てしまった地域では、餓死者が人口の1/3にも及んだという報道もあったほど。


 そこまで被害が拡大したのは、不作だけでなく、商人たちがここぞとばかりに小麦の値段を釣りあげたことも影響していた。


 上げられた金額に見合う収入がない庶民は、当然飢えることになる。



 もともと予測のできない天候の不順。

 本来ならば、神のみぞ知る未来だ。

 しかも、ここ10年近くは豊作が続いていて、麦の価格は下がる一方だった。



 むしろ過剰な麦の生産を抑制しようとしていたこの国は飢えた。


 飢饉が起こると、従わぬ商人に罰則を課してまで麦を放出させ、領主たちが納税のためにしまっていた麦の袋を開けて、なんとか冬を越した。


 もちろん春には王城に献上する蓄えなどなく、その年には納税免除のおふれが出されたほどだった。


 そうやって最初の飢饉はなんとか乗り越えたが、立て続けにまた冷夏が起こると頭を抱えた。


 最後はなすすべなく、弱者を切り捨てるしかなかった。




ーーあのとき、薄いスープすら食べられずに、ひもじいお腹を抱えた子どもがどれだけいただろう。




 数は少ないけれど、わたしも父やエドワードに同行して、児童院や都の炊き出しに慰問した。


 あのときの筆舌に尽くし難い様相……。




   ⌘ ⌘ ⌘




 とくに目に焼き付いているのが、都にある児童院へ視察した日の光景だった。


 そのころにはわたしは14になっていたはずだ。


 わたしは馬車の窓から見える街角の様子だけで、たまらない気持ちになっていた。


 だれもが下を向き、少なくない頻度で物乞いをする子どもたちがいた。彼らは大人に縋りつくが、乱暴に振り払われていた。



「…………」


「アイリーン、お前はやはり帰っても良いのだが」



 父は躊躇いながらもそう言った。

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