第31話 星空の下で



 その思い出はなくなってしまったけれど、代わりにこの二度目の夏には別の思い出が増えた。


 ある夜、ひそかに寝室を抜け出し、温室に寝転んで二人で夜空の星を見たことがあった。


 このガラス張りの温室はドーム型になっている。


 中央にキルトを敷いて寝そべると、骨組みの間の透明な天井から素晴らしい星空を望むことができた。


 わたしひとりでは、とても夜に寝室から抜け出すことはできなかった。



 けれど今日はエドワードが泊まりがけで遊びに来ていて、二人で示し合わせて窓から抜け出してきたのだった。


 こんな夜ふかしは2回の人生を通しても初めての経験で、わたしは小さな冒険に胸をときめかせた。



「あれがアスペリウスの瞳?」


「うん、建国神話のなかで、王族に三つの秘宝を授けたと言われている神だ」


「綺麗な紫だわ」




 神の紫の色は、王家に授けられた色。


 三つの秘宝をめぐる神話のなかでは、その秘宝を扱える者の証として、王家の血筋に紫の瞳が現れるようになったと語られている。



「じゃあ……そこから北に少し離れたところに……」


「そう、あの三連の星がそれらの秘宝」


「『不滅の神剣』と『黄金いばらの冠』、『時超えの宝玉』ね」



 それら三つは、いまでは王族の成人と結婚の儀のためだけに用いられる品々だ。そのとき以外、決して人目に触れないよう王が保管している。


 わたしはあの死の夜にも宝玉を目にすることになったけれどーー。



「本物が最近持ち出されたのは、僕らが生まれる前。叔父上の成人のとき」



 エドワードには王位継承権を返上した、少し変わった叔父上がいて、今は諸国を放浪している。



「あっ、こっちの星座はアスペリウスの名を騙って、始祖の王子を破滅させようとした偽物の黒山羊でしょう」


「…偽物……」


「……エドワード?」


「あ、ああ。ごめん」



 ――彼はこの頃、わたしと二人きりだと無防備に黙り込む瞬間がある。



 今もそうだった。


 常に完璧を求められ、『優れた王子』の仮面を意識的にまとう彼にも、せめてこんな時くらい気を緩めて欲しかった。


 彼が大人に近づくにつれて、もともとの人を惹きつける魅力はそのままだった


けれど、彼がより慎重に、意図して年相応(・・・)の賢く穏やかな王子の振る舞いをしていることを知った。


 そして、いかに二人きりの時には、素のままの彼として振る舞ってくれているかも……。


 彼が息をつける居場所になれているのなら嬉しいと思う反面で、同時にわたしの頭をよぎる思いもあった。



 この彼の悩みが、数年後の未来につながっていたのでは?



 今この少年の抱えているものを、そのままにしていいの?



 でも、やっぱり乱暴に問いただして、彼に踏み込むことはできなかった。


 それよりも、彼の友人として、黙って静かに寄り添いたかった。



「ううんーーわたしも少し話し疲れてしまったみたい。静かにするけど、そばにいるから安心して」


「…………」



 彼はまじまじとわたしを見つめたあと、



「……君のそういうところ……」



 ふっと笑い「言わなくても一緒にいてくれるんだな」と、何かを口にしたけれど、小声だったので上手く聞き取れなかった。


 そのかわり、そっと彼がわたしの手に触れた。



「…………!」



 思わず横を向いて彼の横顔を確かめた。


 けれど、暗闇の中で彼がどんな表情を浮かべているのかは、よく見えなかった。


 ただ、彼の手はそっとわたしの手を包んで、優しく握りしめた。



(……初めて会った時よりも、ずっと成長した手のひらだわーー)



 彼がわたしの部屋に忍び込んだ時を思い出した。


 あのときは、まだ小柄な体に似合った小さな手のひらをしていた。けれど、すでに王家の後継者として厳しい教育を受けていることが分かる、剣だこをつくった手のひらでもあった。


 まだ子どもだけれど、その手は成長を先取りしたように、少しずつ大人に近づいているのだ。

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