第32話 太陽と月


 しばらくの沈黙の間、彼は深呼吸していたけれど、ささやくように話し始めた。



「少し独り語りをさせてくれ」



 わたしは頷いた。



「……僕はいつか王位を継ぐ。……それは重責だけど、同時に誇らしくて奮い立つものでもある」



「……うん」



「アイリーンも知る通り、この国はいま隆盛を迎えようとしている。お祖父様の治世で、新たな領地は最大になった。同時に多くの血も流され、見知らぬ疫病が流行り、多くの命が失われた。王はこの地を照らす光とも、焼き尽くす熱とも言われて『灼熱の太陽』と呼ばれているそうだ」



 穏やかに語られる内容に、相槌を打つ。



「交易を中心に国は潤っている。正しいだけでは成せなかっただろう……。だからこそ決断と責任を負ったお祖父様はーーエドワード1世の大きさはわかる。それでも、僕はお祖父様の在り方をそのまま踏襲はできないだろう。飲み込むべきは飲むけれど……。できるなら、国民を暖かく照らす太陽でありたい」



 大人からすると、幼い理想論かもしれない。


 でも、エドワードなら新たな道を見つけるのではないかと、わたしは思う。



「……現実的に、武力だけでは統治しきれないほどに領地は拡大した。適切な法の整備や、反乱が起きないための仕組みがなければ、土地も人も荒廃してしまう」



 それは君主として先進的な在り方。ただの圧政よりも、圧倒的に難しく未来ある考え方だった。


 彼らしいと思い、耳を澄ます。



「けれど僕ひとりで成し遂げられることは小さくて、まだまだ知らないことばかりだ。だから色々な人の話を聞き、力を借りたい」


 彼にはその才能があった。


 人の力を引き出し、頼ることのできる器の大きさが。




「けれど……時々ふとたまらない気持ちになる」




 彼はまた小声で


「先日も大切な君のことさえ、王の無礼から守れなかったしね……」


 と呟いたけれど、あまりに小声すぎて、また聞き取れなかった。



「まるで、自分は闇夜にぼんやり浮かぶ月のように感じる時がある。祖父王の光を受けて、うっすら青白く夜空に漂うだけの存在。自分では太陽のように周囲を温めることもできない。そんな存在に意味はあるのかな?」




 彼は賢い。


 賢いからこそ絶望しているーー。



 わたしは胸が苦しくなった。


 たった13歳で、これほどの重責を負って立っている。


 祖父王の功績と罪をまっすぐに受け止めて、幼いながら自分なりの考えをもっている彼を、だれが価値のない存在だと言うのだろう?


 けれど同時に、そんな環境に置かれた彼の胸の内を思う。



 あの王は、次世代を担う王子に対しても、甘い態度は取らないだろう。

 むしろエドワードだからこそ、他よりもいっそう厳しく当たり、鍛えるべきだと考える性質に思えた。


 だからエドワードが今のように、必死に為政者として思考を巡らせる少年になったのかもしれないけれど……。



 それは家族や王家の在り方としては冷たく、行き過ぎたほどに少年を追い詰めて、それでも構わないと言っているようなやり方だった。




 思わず、わたしはつい口を開いてしまう。




「ーーねぇ、エドワード」


「ん?」




「あなたは月を頼りないと思うかもしれないけれど……。わたしはそうは思わない。月の光が好きよ。月は、暗闇の中で私たちの足元を照らし出してくれる唯一の存在だわ。月がない夜がどんなに心細いか。エドワードが月だと言うなら、そんなあなたは、暗い夜に民や国を照らしてくれる希望だとわたしは思う」



 わたしはさらに言いつのる。



「自ら光を放っていないと言ったわね。でも、月が夜を追いやるほどギラギラと光り輝く必要がある? もしそうなったら、わたしたちは安心して1日の終わりを迎えられない。


 静かな眠りに包まれることも、時には夜空をこうして見上げて、か細い星々の美しさを知ることもできなくなってしまうわ。


 強すぎる光は、星の光を打ち消してしまうから。わたしは、暗闇や弱さを許してくれる、月のような国王がいてもいいと思う。自らが強く光り輝くかわりに、ちいさな星のささやきを聞き取るような。


 エドワードが目指す、さまざまな人の力を借りながら作っていく時代は、きっと安心してベットに潜り込む夜のように、温かくてほっとする時間になると思うわ」




 余分な話かもしれなかった。



 でも、どうしても言わずにはいれなかった。




「そしてーー夜空に月がひとつに思えて心細いかもしれない。でもよく見て。周囲にはたくさんの星がいる。


 同じように、あなたの近くに私もいる。ウィリアムも、王太子ご夫婦も、騎士たちもーー。


 私も力になるから、どうか心を曇らせないで」



 話し終わると、また沈黙が温室を支配した。



 そうすると、ついふれあった手を意識してしまう。

 おおきくて、温かい手ーー。




 この11歳の体に舞い戻って、彼と再会した時は、随分とかわいらしい少年の姿に微笑ましく感じたものだった。


 けれど、こうしてみると彼が着実に大人への階段をのぼっていて、いつかと言わずあと3年ほどで、わたしが見上げるほどの長身の麗しい青年になってしまうことを実感させられる。




(時はまた針を進めていくのね……)




 顔を夜空へと戻すと、わたしたちの見上げる星空のなかに、ひとつ、ふたつと瞬く光が見えて、すぅっと流れ星が軌跡を残して輝いた。




「アイリーン」


「なあに?」


「…………」


「…………」




 わたしは彼が口を開くまでじっと息を詰めていた。


 ふうっとエドワードが息を吐いて、沈黙を破った。




「……君は僕にとって、無数にある星の一つじゃない」


「え?」


「君はかけがえない唯一の存在だーー。覚えていて」




 ぎゅっと、繋いだ手を握り返された。




「それから、自覚していた以上に、思いのほか僕は欲深かったらしい」


「……? どういうこと?」


「ふふっ、君を大切に思うってこと」




 そうして、わたしたちはまた夜空を見上げた。




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