第46話 治療と変化


 あのときのシンは、わたしが道ばたで手を差し伸べたことを恩義に思ってくれていた。


 だからこそ、自分の時間と知識を使ってまで、わたしを助けてくれたのだ。


 けれど、この二度目の人生では、今が初対面ーー。


 しかも年齢もまだ12の娘に、シンが進んで力を貸してくれるかは分からなかった。


「それで……わたしを治療していただけますか?」


 だから、決死の思いで言ったのだ。


 それをまさかーー、


「イイよ」


 こんなにあっさりと引き受けてもらえるとは思わなかった。


「っ……えっ……」


 だから、だいぶ間抜けな顔をしていたと思う。


「た、助けてくださるのですか……?」


「ウン」


「なぜ……」


「だって、ワタシは貴女に興味ある」


「興味が……?」


 この人生では、初対面のはずだった。


「そう、話したイ」


「その……もちろん充分なお礼をしたいと思っています。けれど、シン様の興味に見合う人間なのかは心配がありますが……」


 わたしは戸惑って、小声になってしまった。


「もう対価は受け取ってル」


「……え?」


「だから、お礼いらなイ」


「一体どなたからーー?」


「たくさん」


 シンはにこっと笑った。


「貴女の父ーー公爵から。執事とメイドも、庭師も手紙寄越した。王子からも。それとディランやこの領主ご夫婦。たくさんで驚き」


 わたしは言葉が出なかった。


「金額じゃなイ。貴女のため動く人数」


 わたしは堪えきれずに、顔を覆った。


「ワタシ、そういう貴女知りたい。助けたイ」


 シンはそっとわたしの隣にやってきて、そっと肩に手を置いて温めてくれた。


 メアリーさまもーーわたしと同じように体が弱かった孫がいた彼女も、目に涙を溜めて頷いた。


 翌日からは、さっそくシンの教えが始まった。


 一度目の人生で、もっと詳しく食事や理論を知っておくべきだったと反省していたから、わたしはシンの弟子のように話を聞いてまとめていった。


 シンはこの港町で暮らし始める予定らしいが、必要な薬は公爵家に宛てて定期的に送ると約束してくれた。


 こうして、わたしの起こした行動をきっかけに、変化は少しずつ増えていった。




   ⌘ ⌘ ⌘




 一年がめぐり、再び待ち望んだ夏がやってくるーー。


 確かに冷夏という危機は発生していたけれど、打てる手は尽くしていた。


 それもあって、わたし自身は、この夏も変わらぬ時間を過ごしていた。


 平穏で愛しい日々。


 ただ、時の流れに少し焦りを感じることはある。


 冬の間はできないことが多い。だから焦っても仕方がないと自分を落ち着かせていたのだけれど……。


 いざとなると、この輝く短い夏の季節の間になにができるのかーー、手がかりもないままに時間だけを過ごしているような気がして、気持ちが落ち着かない。


 同時に、エドワードとウィリアム、そしてお父さまや公爵家の人々と過ごす日常の大切さをひしひしと感じていた。


 自分の人生の終わりを強く意識するからこそ一層愛おしくて、この平和を守りたいと、これまでになく願う。


 もしこのまま結婚式を迎えるとして、未来を変えられるのだろうか。


 不安はある。


 あと4年。


 できることをするしかない。


 そして、焦りの一方で、たしかにわたしの起こした行動をきっかけに、変化は生まれていた。


 顕著なのは、一度目と同じく発生してしまった、今年の冷夏に対する備えだった。


 ほかの地域では、夏の半ばを過ぎたところで、麦が育たないことに焦りの声が聞こえていた。


 それはもちろん公爵家の領地に広がる麦畑でも同じだったけれど、安心できる材料がある。


 一度目の人生のときには、このまま涼しすぎる夏が過ぎ、不作で大きな打撃を受けてしまった公爵家の領地。


 しかし今は昨年の豊作のときに、安い価格で麦を買って蓄えた備蓄がある。


 そこから領民に向けて良心的な価格で放出する小麦によって、ほとんど餓死者を出さずに乗り切ることができるはず。


 それに、お父さまにも進言して「あの植物」をわたしの庭だけでなく、我が家の荘園にも植えてもらうことができた。


 春先には、追加の苗をディランが取り寄せてくれて、思った以上に広い面積で育てることができたのが功を奏していた。


 いま、公爵家の私有農地に、わたしが想像していた以上に栽培が広がってきていた。


(これならーー来年に間に合うわ)


 もうあの星型の可愛らしい花の終わり頃がやってきて、秋に向けて花弁を散らしていく。


 その前に、こうして我が家を訪ねてきたエドワードとウィリアムに花畑を見せられたのは嬉しい誤算だった。


「へえ、可愛らしい花だね」



「ふふっ。そうでしょう?」


 わたしは花を一つ積んで、耳元の髪に刺して見せた。


「いいな! ぼくにも! ぼくにもちょうだい!」


「もちろんよ」


 わたしはウィリアムにも花を一輪渡し、そのあとエドワードの髪にもそっと差し込んだ。


「ありがとう。窓辺の姫君」


「いつまでそう呼ばれるのかしら?」


「嫌だった?」


「いいえ、とんでもない。嬉しいですよ、名無しの見習い騎士さま」


「光栄です」


 お互いに目を見合わせて、思わずくすぐったくて笑ってしまった。


「それにしても可愛い花だね。君によく似合う。ウィリアムが欲しがるのもわかる」


 わたしはそのとき、ふと思いついた。




ーーぼくにもちょうだい!


ーー欲しがるのもわかる




 頭の中にウィリアムとエドワードの言葉がリフレインする。


 わたしが急に固まったからだろう、エドワードが不思議そうに顔を覗き込んできた。


「どうしたの、アイリーン?」


「そうだわ! ねぇ、エドワード!」


 わたしは興奮していた。


 これなら、公爵家の領地だけでなく、この国のもっと多くの人を救えるかもしれない!


「エドワード、お願い! 協力してほしいの」


 突然わたしに両手を握られて、彼は慌てたようだった。


「それはもちろん、できる限り協力する」


 長いまつげをパチパチとさせて、その瞳にわたしを写し込んだ彼に、わたしは2つのお願いをした。


 これから彼が率いていく国を守るためにーー。




   ⌘ ⌘ ⌘

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