第45話 記憶〜東洋の旅人〜

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 不満と不安は、いずれ怒りや暴力となる。


 そのはけ口になるのは、いつだって立場の弱い者だ。


 たとえば、子どもや女性に。


 ときには、繋がりが薄い少数派の立場に。


 多数派の人間は、自分たちとは違う相手に冤罪を着せたり、むりやり原因を求めていたぶることで、解決できない原因への怒りを発散することが、人間にはある。


 人間の美しさも知っているけれど、信じられないほど醜悪にもなれるのが人という生き物だ。


 そんな悪意が牙を向いたのが、一度目の人生の飢饉のときだった。


ーーそう、シンのような異国の旅人に、悪意が向けられてしまった。


 シンが殴られていたのは、やはり行き場のないそんな憂さ晴らしのためだったという。


 シンが宿で食事をしていたら、


「この国の民である自分たちよりも良い食事をして、衣服も良い品」


 だからと絡んできた男たちがいた。


 ……そんないいものを手に入れられるということは、不正をしてこの国で利益をむさぼっているに違いない。


 だから、シンを殴っても良いのだ……と。


 そんな、理由にもなっていない言いがかりで、シンは食事処から引きずり出され、暴行を受けていた。



 わたしは慰問に訪れた帰りに、たまたまその現場に行き会ったわたしがその人だかりに気づき、馬車を止めて従者にシンに群がる人々を追いやってもらったのだった。


「自国の民がそのような振る舞いをしたことを、代わりに謝らせて欲しい」


 わたしは堪らなくなって、自宅へと向かう馬車の中で、ハンカチを傷口にあてながら謝った。


 一緒についてきてくれていたジェーンは、痛々しそうに顔をしかめた。


「あなたのような子どもが……いいところのお嬢様が……代わりにあやまるなんてね」


 シンはぶたれた部分が赤く腫れ上がり、力なく座っていたけれど、うっすらと笑った。


「わたしはそういう立場なのです。責任を負うためにこそ、必要な権力をもっている」


「なるほど」


 数年この国で過ごしたのだろう。流暢な言葉遣いだった。


「だとしても、そうやって義務を果たせる人間はそう多くないよ。この国に限らず、ね」


 車内に三人も乗っているうえに、さらにジェーンがあの旅行鞄を開いていろいろな品を取り出していくので、余計に車内はぎゅうぎゅう詰めになった。


 ジェーンはまずまっさきにキルトを取り出すと、着の身きのまま放り出されたのだろう、この季節にしても薄着だったシンに覆いかけた。


 このときには、ジェーンが用意してくれた旅行鞄にいっぱいの、いざというときの準備が遺憾なく力を発揮した。


「ふう……うっ」


 ジェーンが消毒のために傷口に触れると、少しだけ痛そうに顔をしかめたが、


「これはこの国の上流階級での治療薬? なかなかの品質」


 同時に興味深そうにした。


「それにしても、けっこうな量を持ち歩いてる」


「そうですね……。とくにわたしは体を壊しやすいので、ジェーンが取りそろえてくれているんです」



「まさかお嬢さま以外の患者さんに使うとは思っていませんでしたけどね」


 ジェーンはシンに親切に振る舞いながらも、少し警戒しているようだった。


 見知らぬ相手と密室にいるのだから当然だけれど、彼女の場合は、シンがこの国の出自ではないからという理由ではなくて、単にわたしに危害がないと確信がもてないからのようだった。


 シンはその警戒には慣れているようで、特に気にしていない様子だった。


 逆にわたしはこれが彼の日常なのだと思い知って、勝手に居心地わるく感じてしまう。


「いまはこの中身がこういう形で役に立つことが嬉しいわよ。ありがとう、ジェーン」


「そ、それでしたら……いいのですが」


「いい主従関係だね。……とはいえ」


 シンは肩を落とした。


「ワタシの薬は、半分は道ばたで踏んづけられてしまったな」


「……薬? 薬を扱う商いを営んでいるのですか?」


 わたしは興味深く思って訊ねた。


「薬売りが本業じゃないけどね、仕事の一端としてかじっているのさ」


 そこで、シンは教えてくれたのだ。


 西洋の薬や治療法とは違う、東洋の医学の力を。




 殴打されたケガが癒えるまで、王都にある公爵家の屋敷にシンは逗留することになった。


 そのころには、父に代わって時々わたしが家のことを指示することもあったし、頼りになる執事達も、シンが落ち着くまで支援することは、この国の者として正しい行いだと賛成してくれた。


 その間、好奇心が刺激されたわたしは、この国に来るまでの旅や、シンが学んできた薬について話を聞くのを楽しみにしていた。


「――という考え方なんだ。つまり、西洋の医療で明確な原因を改善するための治療とくらべると、漢方などをあつかう東洋医療は”明確な原因のない体質や状態”そのものを改善することも考えている」


「興味深いです」


「……ねえ、アイリーン嬢」


「なんでしょうか?」


「貴女も、もし嫌でなければ、ワタシの治療を受けてみない?」


「……え?」


 わたしは分かりやすく驚いた顔をしていたと思う。


「あ、いや。やっぱり嫌かな」


「いいえ! とんでもない!」


 おもわず前のめりになって答えてしまった。


 シンがにこっと笑った。


「で、でも、改善できるのかしら?」


 すでに西洋医療の範囲では、尽くせる手をすべて尽くしている。


 それなのに、高熱を出しやすく、ちょっとした外出で倒れてしまう。この体の弱さを……治せるの?


 それは望むべくもない話だった。


 ーーそれからの変化は、ゆっくりとだけれど着実に現れた。


 シンの治療は、薬だけに頼るものではなかった。


 食事、朝起きる時間、飲む水の温度……さまざまな生活習慣について、膨大な数の実例から見つけられた法則をもとに取り組むものらしい。


 明確な原因を見つけてそれを取り除いていこうと研究を重ねている西洋医学と違って、体そのもののもつ治癒力を高めて病を癒していく東洋医学。


 シンは、そのどちらもそれぞれに優れていると言ったうえで、


「医食同源といってね」


 そう言って、食事を重視していた。


 もともと食が細いわたしでも取り入れられるよう、考えるのは手間がかかったと思う。


「食べたものが体を作る。だから、貴女の体はあなたの食べたものの結果が現れているんだ。……とはいえ、まずは量をたべれるようになるのはいいこと。食欲を増す食材もあるんだよ」


「そんなものが?」


 貴族達が美味しいと言う脂っこい食事は、わたしにとって口に入れることもつらい食事だった。


「そう。といっても、特別なものを取り入れる必要は無い」


「でも、東洋の品なのでしょう……?」


「フフ。むしろ貴女にとっては、慣れ親しんだこの国の食材の方がいいんだ。その地域に長く根付いた食文化は、それだけその地域に住まう人々の体に合っているから。効果があるからといって、無理に東洋の食材を摂る必要はない。もちろん、ワタシがもっている薬も効果があるから使うけどね」


「不思議だわ……」


「う~ん、でも、思い浮かべてみて。たとえばハチミツをたっぷり入れた紅茶。飲むとほっとして、体も温かくなるでしょう? 紅茶はぽかぽかと体を温めてくれる力がある。ハチミツはその甘さで緊張を緩めるし、それだけじゃなくて食欲を増して消化能力を引き出してくれると考えられている。アイリーン嬢みたいに、疲れやすい子にはおすすめだよ」


「言われると……その通りかもしれません」


「でしょう? アイリーン嬢に取り入れてほしい食材については、シェフに指示しておいたから」


 シンがひとつの目標にしたのは、冷えやすく体調を崩しやすいわたしの体のバランスを整え、少しの疲労でめまいや気絶したりせずに済むようになること。


 劇的に改善……とまではいかなくとも、これまで何をしても効果を感じられなかったわたしにとって、どれほどの福音だったか、計り知れない。




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