第36話 公爵との対話


 あの子のように、飢えて苦しむ国民を減らしたい。



 それが、エドワードを支えることと共に、わたしの心に生まれたもう一つの願いだった。



 もちろん、人間の力には限りがある。

 本来ならこれから起こる最初の年の飢饉だって、わたしは知るはずもない。



 けれど、この人生なら。



 一度目の人生での悲劇が起こると知ったからこそ、できることがあるはずなのだ。




 わたしは手始めに、公爵家の領地の小麦の価格を調べる事から始めた。


 ここ数年、農作物は我が国で豊作が続いているだけでなく、交易によって他国からさらに安い麦が仕入れられて、非常に価格が下がっていたのだ。



 良いことだと思うかもしれない。



 たしかに、安価で主食が手に入ることは、暮らしていくうえで食への不安を和らげる。

 けれど、国内の麦の価格が下がると言うことは、例年と同じ生産量の農地では、収入が減ってしまうことを示す。


 じりじりと押し下げられた農作物の価格は、公爵家のなかでも農耕を営む者達の暮らしを苦しくしていた。


 こういうときには、飢饉の時とはまた別の政策が必要なのだ――。

 そして、それはわたしが知る未来にとって大きな意味をもつ策となる。




「お父さま、お時間をいただいてもよろしいでしょうか」




 わたしは帰宅したばかりの父を捕まえて、そう願った。




「もちろんだが……お前が約束なくそう言うのは珍しいな」



 お父さまは多忙だ。公爵として自身の領地経営だけでなく、王国の運営のためにも欠かせない働きをしている。

 だからこそ、なるべくわたしも事前の約束なく父の時間を奪わないようにしていた。



 でも、これはまさに収穫期である秋を終えた今、急いでしなければならない話だった。




「申し訳ございません。けれど、どうしても……」



「わかった。書斎で待っていなさい」




 そう言われて、お父さまの書斎のソファに座ってそわそわして待つ。


 この部屋には窓を背にするように書斎机がおかれ、その前に革張りのソファと応接机を並べてある。わたしはそのソファの一端に座っていた。


 立派な木製の書斎机には、いくつもの書簡や書きかけの書類が束ねられていて、お父さまの忙しさがうかがえる。


 そんな多忙ななかで、大切にしている娘とはいえ、お父さまはこんな子どもの言うことを聞いてくれるだろうか?


 身分や年齢を超えて、有用な人材には目をかける人ではあるけれど……。




「待たせたな、すまない」


「とんでもありません」




 父はわたしと向かい合うソファに腰を下ろした。


 帰宅した時とは衣服だけ変わっていたけれど、この短時間では本当にただ着替えただけで、急いでわたしのもとに来てくれたのだろう。




「体調は悪くないか? めまいは?」


「ふふっ、お父さま。心配しすぎですわ」




 何をおいてもわたしの体調を気遣う、少し過保護なお父さまに思わず笑ってしまう。


 くすぐったいけれど、温かなきもちになった。




「もしわたしが少しでも体調を崩していたら、ベッドから起き上がることすらジェーンが許しません」


「それもそうだな。ジェーンには頭があがらない」




 お父さまも少し頬をほころばせた。




「それで、話したいこととは?」




 すぐに本題にうつるのは貴族的ではないが、実務的な父らしいことだった。わたしも助かる。




「こちらをご覧下さい」




 わたしは持参した書類を机にひろげた。

 それは公爵家がいつ、いくらで、どこから麦を買い入れたかの表だった。


 一見すると不思議なことに、公爵家は麦の流通が増えて安くなる(・・・・)収穫期の秋に、毎年相場価格よりも高く(・・)買い入れている。




 もう一枚の表を取り出す。




 こちらは逆に、公爵家がその麦を売った価格と時期、そして取引相手をまとめたものだ。


 その売り渡し先は、寒村や麦の収穫が悪く、普通なら価格があがる(・・・)はずの地域に、なぜか安く(・・)売り出しているのだ。




 もしも、万が一これを父が知らないと言ったなら、公爵家の何者かが私腹を肥やすための横領の可能性もありえるだろう。



 けれど――。




 わたしの考えは違った。

 語らなくても、お父さまの領主としてのあり方をこの資料が示しているのなら……。




「これは……自ら考えて調べたのか?」



「数字自体は執事長に言って、我が家の書庫にある領地の資料から抜き出してもらったものです。わたしはただそれを図表にしただけですが……」



「ふむ」




 お父さまは少し顔つきを変えた。

 片方の手を口元に当てて、何かを考えるようにその茶色い目を瞬く。

 わたしは確信をもった。




「……これはお父さまが、以前から麦の価格が暴落・高騰しないように、公爵家で買い入れを行っているためかと存じます」




 父は目を見開いた。

 具体的な政策まで公爵が11歳の娘に口にすることはない。



 だから、これはわたしが公爵家の経営の数字から推測したことだ。




「毎年王都に納める麦とは別に、我が家では領地にいくつかある倉庫に麦を積んでいます。……麦の価格も一年を通じて一定というわけではありません。


 ですから、お父さまは流通が増えて安価になりすぎる秋にそれをある程度(・・・・)の価格で買い入れて、値段が安くなりすぎないようになさっている。


 逆に在庫が減る季節や、冬の前に麦を蓄えられていないだろう貧しい地方には、麦の価格が高くなりすぎないように、一定の(・・・)価格で倉庫から流通させている……」




 時間の軸と、地域の軸で、それぞれ主食となる小麦が安定した価格になるよう父は采配していた。



「その通りだ」



 父は感心したように言った。



 少しだけホッとする。

 でも、これはあくまで第一関門。




「そのうえで……わたしからご提案があるのです」


「なんだ?」


「今年の麦を普段の数倍を買い入れていただけませんか?」


「…………」




 父は無言になった。




「アイリーン、その根拠は?」


「こちらの資料です。いまの公爵家領地の麦の価格を図表にまとめたものです」




 わたしはまた別の紙をいくつか机に広げた。


 調べられる範囲だけだったので、ここ12年のものだ。生産量はむしろ増えているのに、取引額が減っている。

 単価が安くなっているのだ。




「平均するとひとつの農家あたりの収入は3割近くも下がっていることになります。

 これは食糧事情が改善して人口が増え、その分、農耕地の開墾も増えているにも関わらずです。以前以上に労働しているのに、一家の収入が減っている――。

 これは領地の民にとって危機的な状況です」




 お父さまは無言で先を促した。




「さらにつけ加えれば、これはお父さまが公爵家として市場価格が安定するように介入して、それでもなお発生しているのです」


「なるほど……」




 お父さまはにやりと笑った。けれど、その目は笑っていない。




「これを全て、誰にも頼らずに自身で考えたのか?」




 冷静に娘を推し量ろうとする、為政者の目だった。

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