第37話 対策

 それは当然だ。でなければ、この国を動かすことなどできない。




「はい。……でも、執事長とジェーンには資料をさがすのを手伝って貰いましたけれど……」




 というか、ほこりっぽい書庫にわたしが長時間いすわるのをよしとしなかったジェーンによって、強制的にそうなってしまったのだ。




「ふっ、はははは! さすがは我が娘だ」




 今度こそ、父は本当に面白そうにくくくっと笑って、そっとわたしのほうに近寄った。


 そして、隣の空間に腰を下ろして、わたしの頭にぽんと手を置いた。




「よく考えたことだ」


「お、お父さま……?」




 わたしが病気から元気になったときのように機嫌良く、激しいくらいに頭をなでる。


 年端もいかない令嬢が領地経営に口出しすべきではない……もしかすると叱られるかもしれないとすら思って、決死の覚悟で口にしたので、父の上機嫌ぶりに毒気を抜かれた。




「お前の母とも、しばしばこうして領地の行く末についてよく語り合った」


「そう……なのですか?」




 実は、亡き母のことはあまり父から話を聞くことがなかった。


 わたしが知る限りだけれど、いつも首のペンダントに母の小さな似顔絵を収めて下げていることは知っていたけれど、その愛の深さゆえに、あまり軽々しく触れるのもためらわれていた。




「そうだよ」




 お父さまは目を細めて、懐かしそうにわたしを見た。




「とくに、お前が生まれる前はわたしも領主としての経験が少なかった。大きな決断のときにはよく背中を押して貰ったものだ」


「知りませんでした」




 わたしはもっと話を聞きたいとねだった。




「もちろんだが、その話は今度にして、今は先に麦の買い入れについての話をしよう」




 お父さまは顔を引き締めた。




「実は、アイリーンの提案がなくとも、今年か来年には、買い入れを増やそうという話はしていたのだ」


「そうなのですね」




 わたしは頷く。そうなのだ。わたしが気づくことを、父が思わないはずがない。



 けれど――。




「そのためにはこれまで以上の介入となる。商人にとっては面白くなかろう。数年かけての調整を重ねていたのだ」




 そう。麦を生産する農家や、麦を食べる立場の民にとっては嬉しい。

 一方で、麦を安く仕入れて高く売りたい商人にとっては、公爵家の過剰な介入は利幅を少なくする邪魔だ。敵対しかねない施策でもある。


 商人達との摩擦は避けられないだろう。

 けれど、どうしても今年でなければならないのだ。




 なぜなら、来年には冷夏による飢饉が発生してしまうから――。




「だが、あらためてこうして図表を見せられると、今年すぐに動くべき段階であることがわかる。

 なにより、わたしの11歳の娘ですら危機感を覚えると言うことは、この数字の向こうで生きている人民にとっては、いかに大きなことか。

 時期や商人達の意向を見計らううちに、重要な機会を逃しては元も子もない」



「では……!」


「ああ、お前の提案を採用しよう。今日明日ではないが、この秋のうちにな」




 お父さまは大きく頷いてくれた。

 わたしは胸をなで下ろす。

 お父さまなら、やはりわたしが介入する必要など無く、適切な政策を行ってくれると知っていた。




 けれど、一度目の人生ではそうも行かなかったのだ。




(ウィリアムが亡くなり、王太子夫妻の分の政務まで担っていたから……)




 普段から父が担っている仕事だけでも膨大なのに、さらに王太子夫妻が行う視察や慰問など、どうしても外せないものまで引き受けていたのだ。



 そのような状況では、とてもではないが公爵家の領地の細かい政策まで実行にうつすのは難しかっただろう。

 その間に飢饉が起こってしまっては、買い上げる麦すらなくなってしまう。



 実際、1年目の飢饉で在庫を放出してしまった公爵家は、2年以上つづいた冷夏によって大きな打撃をうけてしまった……。




 けれど、もうこの二度目の人生ではその悲劇は起こさない。





   ⌘ ⌘ ⌘





 次第に本格的な冬へと移り変わっていく。

 厳しい寒さを感じさせる窓の景色を見ながらも、わたしの心は温かな安心で一杯になっていた。



 いつもなら、冬の訪れは少し憂鬱だった。

 今年も冬がやってきてしまった……と。



 この雪に閉ざされる国の冬から春にかけては、時が止まったような季節だ。それは雪がしんしんと降り積もって、この公爵家の窓から見える全てを白く覆い、全ての音を吸収してしまうせい。

 木々は成長を止めて、動物たちは寝ぐらで一冬を越す。



 誰も足跡をつけない雪原を屋敷の窓から見下ろしていると、自分の存在がこの時の中に溶けていくように感じる時があった。


 一方で、大人たちは本格的な社交のシーズンを迎え、首都での舞踏会や会議に忙しない。



 とはいえ、この冬は、わたしもただ息を潜めているわけにはいかない。

 毎年冬を迎えるときの気持ちと違って、わたしは奮起していた。

 この冬が終わり、春、そして次に迎える冷夏。




 そして飢饉……。



 そのとき公爵家の領地は、備蓄庫から良心的な価格で放出する小麦によって、ほとんど餓死者を出さずに乗り切ることができるはずだ。


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