第38話 プラント・ハンター


――加えて、海を超えて手に入れたこの植物!

 飛び上がって喜びたい気分だった。




 わたしたちは今、公爵家の玄関ホールにいる。




 この植物を手にした時、これが転機になるかもしれないと、わたしは雷に撃たれたように思った。

 実は、父から12歳になる誕生日にほしいものを尋ねられて、必死でお願いしたのがこの植物だった。



 残念ながら真冬は花の季節ではないので、わたしが手にしたのは、来年植えるための根の部分と、押し花にした花と葉、そして花開いて生えていたときのスケッチだ。

 押し花は、花弁や葉が折れたりちぎれたりしないよう、丁寧に作られたのが分かる。



 スケッチの方も、緻密にさまざまな角度から何枚も描かれ、まるで目の前にその花が咲いているかのように感じる。



 一本の茎の先は枝分かれして、数個から十個ほどの花が一本の茎に花開いている。ひとつひとつの花は親指の爪よりニ周り大きいほどの、薄紫をした星型の花弁をもつ。中央にあるちょこんと黄色い色が鮮やかで目を引く。

 その可愛らしい花に対して、先が少しとがった葉は、生命力の強さを示すように四方八方に向かって緑を茂らせている。



 引き抜いた根の形状まで観察されているスケッチーー。



 添えられている文字も読みやすく、理知的に植生を書き記している。

 これらを書いたのも、この植物を手に入れてくれたプラント・ハンターだという。




 目にしてどれほど嬉しかったか!




 つい人目も気にずお父さまに抱きついてキスしてしまった。

 普段のわたしを知るメイドや執事たちはもちろん、これを持ってきてくれたプラント・ハンターも驚いた顔をしていた。




 これを手にできたのも、公爵家の財力とツテ、そして運が良かったからだった。




 いまの時代、船での交易と別大陸への進出がさかんになり、プラント・ハンターという新たな職業が生まれていた。

 彼らはその名の通り、珍しい植物を狩ることを仕事にしている。入手先は、主に航路を使った異国からだ。



 いままでこの国になかった、独特な形が印象的な草や、匂い立つような香りを振りまく原色の花々、南国の大きな葉を茂らせる樹木などを船で運び込み、愛好家である貴族や富裕層に提供する。



 見つけた植物によっては、庶民ならもう働かなくても暮らしていけるほどの大金を払う貴族もいるそうだ。




 我が家も出資する船団があり、その中のあるプラント・ハンターに「この条件を備えた花があったら根っこから欲しい」と紙に書き記して託していた。

 情報だけでも提供されれば良いと思っていた。



 すると、この珍しい植物を偶然にも前回の渡航で入手していて、公爵家に提供するというプラント・ハンターがいて……。

 そのハンターである、いま目の前にいる青年・ディランには感謝するばかりだった。




「本当にありがとう」


「お目にかかれて光栄です。アイリーンお嬢様」




 彼は挨拶をしたあと、許可をとってからわたしの手の甲にキスをした。

 わたしは落ち着いてキスを受け入れ、そのまま簡単にお茶の準備をした部屋まで案内する。

 着席すると、さっそくジェーンがお気に入りの紅茶を入れて持ってきてくれた。




「この雪の中、よくぞ公爵家にお越しくださいました」




 ディランは野生み溢れる男くさい顔に茶目っけを浮かべ、パチンと片目をつぶってみせた。

 彼はいかにも海の男といった、恵まれた体格をしていた。



 公爵家を訪れるためか、彼は略式だがジャケットを身につけている。着慣れていないのか、窮屈そうな様子だった。

 とはいえ、少し前から流行している紺の布地で、日に焼けた彼の肌に似合っていた。




「公爵家への道のりなど、荒れ狂う海を渡って別の大陸へ行くのと比べればなんてことありませんよ」


「ふふっ。おっしゃる通りです」




 いかに造船技術が発達し、新大陸への渡航に複数回成功しているとはいえ、荒れ狂う海を渡って帰ってくるのは命懸けだった。

 天候だけでなく、長い渡航中の謎の病や、積荷を狙って現れる海賊との戦いも覚悟しなければならない。



 いかに過酷な旅か。

 それはディランの頬についた十字の傷からも窺い知れた。



 大金を支払うに値するだけの危険。



 だから、困窮していない中流階級出身の人間でも、大いなる夢をいだいて別大陸への航海船に乗り込む者は多数いた。ただ、その出航はときに死への出発となり、船の設備によっては半数以上が亡くなるとも聞く。必ずしも生きて戻れる旅ではないーー。


 それほどの旅を経て手にした植物。

 しかもわたしが望んでいた以上に立派な品を大量に納めてくれた。




「こちらこそ、どれほど言葉を尽くしても感謝しきれないわ……。本当にありがとう」




 本当に……。




 わたしがつい目を潤ませてディランの手を両手で握りしめてしまっても、仕方ないくらいに貴重な品なのだから。


 握った彼の手はごつごつしているだけでなく、指先にペンだことインクのあとをつけていて、普段から熱心にスケッチをしているのだろうと推測できた。

 父はわたしのあまりの喜びように小さく呟いた。




「この子はそれほどに希少植物の愛好家だっただろうか……」




 そこで秘書が父に耳打ちした。

 王都から急な連絡が入ってしまったらしい。

 公爵としての責務は何よりも優先すべき事だ。

 しばらく父は席を外すことになった。




「すまないが、娘とふたりでしばらくお待ち頂けるだろうか」


「もちろんです、閣下」


「アイリーン、おもてなしを頼むよ」


「お任せ下さい」




 父はわたしの頬にキスをしてから出て行った。

 もちろんドアは開けたまま、周囲のメイドと執事もひかえていて、二人きりではない。

 わたしは改めてディランに尋ねる。




「……それにしても、本当に追加報酬がこんなことで良かったのですか?」


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