第16話 記憶~夕暮れ~(3)


 さっきあんなに大胆な行動をとったのに、まるで叱られた子猫のような表情をした彼を、わたしは笑って許してしまった。





「ふふふっ。うん。今は秘密でも許してあげる」


「ありがとう」


「それじゃあ……名無しの騎士見習いさま。2階にたどり着いた記念に、どうぞお確かめになって?」




 わたしがそっと細い腕を持ち上げると、彼は静かにベットまで近寄ってきて、宝物に触れる様にうやうやしく手を握った。




「本当だ、ちゃんと生きてる。あったかい」




 なんだかくすぐったい思いが湧き上がって、クスクス笑ってしまった。思い切って冗談まじりに尋ねる。




「ねぇ、わたしってそんなに死にそうな見た目かしら?」


「どういうこと?」


「だって妖精か幽霊なのかって訊いたでしょう」


「あぁ。それは違う」


「?」




 繋いだ彼の手は温かかった。剣だこが少し硬いけれど、綺麗に爪を切り揃えた柔らかい手をしていた。




「窓から君が見えた時、不思議なくらい綺麗だった。銀の髪がキラキラしていて。ーーだから、妖精とか天使とか、やっぱり生きてる人間じゃない存在かもしれないと思ったんだ」





 真正面からそんなことを言われてどきりとした。


 彼と視線が絡み合う。


 ふと、彼から石けんの良い香りがして、それがわかるほど近くにいることに気づいた。彼もはっと息を飲んで、まだ触れたままだった手を慌てて離した。


 互いに頬が少し赤らむのがわかった。





「初めて言われたわ、そんなこと」


「僕も初めて言った」





 ほとんどを屋敷で過ごしてきたわたしにとって、同年代の子どもは物珍しかった。

 それからは、お互いのことを話した。


 『名無し』殿は首都を中心に暮らしているけれど、国のいくつかの街を旅したこともあると。

 彼が話してくれる、わたしが知らない街の話につい聞き入ってしまった。




 とくに面白かったのは、冬至祭のときの話だった。




 祭りで配られる振る舞いのぶどう酒を試し飲みした酒豪たちが、そろってひどい悪酔いをしたのという。そのために毒の混入を疑われて、賓客である皇太子夫婦は一口も飲めなかった。


 その情景がありありと浮かぶ語り口に、何度も吹き出してしまった。



 逆に、彼はわたしの好きな書物に興味を持ったようだった。

 ここにはわたしのために両親が集めた本が壁一面に並んでいる。


 彼の家の蔵書にもあるはずなので、帰ったら探して読んでみると言っていた。

 短い時間だったけれど、こんなに楽しいのは初めてだった。




「また遊びに来るよ」


「楽しみにしてるわ」




 わたしは本当に楽しみで、気分が高揚していた。だからつい、彼が窓から降りていく時に口が滑ってしまった。




「じゃあね、アイリーン」


「次はぜひドアから来てね! エドワード殿下(・・・・・・・)」


「ーー!」




 口にしてから「あっ!」と思った私と、目を丸くしたエドワードの視線がしっかりと噛み合った。

 彼が口を開こうとしたところで、ちょうど折悪く、



「お嬢さま、夕食をおもちしました」




 とメイドのジェーンが扉をノックしたので、彼は身を翻して去っていった。





   ⌘ ⌘ ⌘


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