◆カミのもたらす幸福 ~魔法のカツラ~[前編]
──バタンッ!!
「父さん! 姉さんが馬から落ちて、重傷ってホント!?」
「落ち着け、ツァーリ、ドアが壊れる。なにぶんこの屋敷は古いからな」
「そんなコト、どうだって……」
「ならば、ドアの修理代は来月のお前の小遣いから差し引くとしよう」
「──うん、父祖伝来の我が家は大事にしないとね」
僕の家は、10代続く男爵位を持った由緒正しい貴族の家系である。あるんだけど──恐ろしく貧乏だ。
どれくらい貧乏貴族かと言えば、築200年を超える館の改装もままならず、自分達でちまちま修理しつつ騙し騙し使ってるくらい。大工仕事が得意な貴族の長男って、どうなの!?
住み込みの使用人も、中年のメイド長と村娘から雇ったメイド見習いがひとり。父(男爵)-メイド長-メイド(見習い)という、棒のようにシンプルな縦社会だ。
ちなみに、長年我が家に仕えてくれていた執事のセバスは、持病の痛風から現在半ば引退状態にあり、その後釜さえ見つかっていない有り様。
さすがにそれだけでは手が足りないので、通いで馬丁と園丁を各ひとり村から雇ってはいるのだけど、どう考えても王都のちょっと富裕な商人のほうが、贅沢な暮らしをしていると思う。
我がヴォルフィード男爵家の領地の広さ自体は爵位相応なんだけど、辺境なのはまだしも、特産品とかが何もないのが痛い。
おまけに、領主は代々お人好しが多く、「自分たちは多少苦労してでも、そのぶん領地と領民の幸福を考える、温厚な平和主義者」という、ある意味領主の鑑(でも、逆の意味で貴族失格)のようなご先祖様ばかりなため、ロクに金が貯まらないんだ。
若い頃は父さんも、そんな家風に反発して家を飛び出し、一攫千金を夢見て冒険者なんてやってたらしいけど、結局10年かけても中堅どころにしかなれなかったため、おとなしく実家に帰って来たというていたらく。
さらに十年間の冒険者稼業ですっかり性格が丸くなり(こういう場合、普通はその日暮らしの危険な生活から荒むものじゃないの?)、「やっぱり、日々是平穏無事がいちばんだよなぁ」と、すっかり我が男爵家の家風に違和感がなくなったらしい。
その後、爵位を継いで勧められるままに幼馴染(隣接する子爵家の三女)と結婚し、姉さんと僕が生まれたってわけ。残念ながら、母さんは3年前に流行り病で亡くなったんだけどね。
母さんは、子供の僕らから見ても驚くほどの美人だったけど、その反面、体が弱かったから仕方ない。
まぁ、そのへんはさておき。そんな母さんに似たラフィーリア姉さんもまた、こんな辺境の田舎貴族の娘にしておくのが惜しいほどの美少女だ。
主に財政的な理由から、中央の社交界とかにはそれほど頻繁に顔を出してるわけじゃない(最低限の顔繋ぎのため2年に1回くらいかな?)けど、それでも「白金の
その姉さんが落馬したと聞いて、館の書斎で本に埋もれていた僕も、飛んできたってワケ。
え? ずいぶんと姉思いな弟だって?
うーん、確かに姉弟仲は悪くないと思うけど、それだけが理由じゃない。
「今日」と言うタイミングが問題だったんだ。
* * *
「それで、姉さんの具合は?」
「安心しろ。ヨルムンの見立てでは、かすり傷程度らしい。ただ、頭を打ってるせいか、意識が戻らんのだ」
と、男爵の言葉を受けて、背後にいたローブを着た小柄な人物も口を開く。
「──はい。念のため、頭蓋骨や脳その他も透視しましたが、とくに損傷は見当たらないのですが……」
この人物は、ヴォルフィード男爵家のかかりつけの医師であり、男爵の相談役であり、一応顧問魔術師でもあるヨルムン。
冒険者時代の男爵のパーティーメンバーで、彼が引退する際に酔狂にもついてきて村の外れに住み着いた
男爵の仲間だけあって、純粋に冒険者として見ればせいぜい中堅クラスだが、見識豊富で、攻撃・防御・補助・回復と全系統の魔法が低位ながらひととおり使える「学者」という職業は、この領地のような辺境では非常に重宝する。
ある時は村の医者として、ある時はモンスター討伐時の後衛として、ある時は政治関連のご意見番として、万年人手不足のヴォルフィード家にはなくてはならない人材だった。
実際、つい数年前まで、ツァーリ少年やラフィーリア嬢もこの人に勉強を教わっていた、つまり彼らとっても恩師にあたるのだ。
「──おそらく、一時的なショックによる症状かと。ただ……それだけにハッキリとした回復の時期が読めませぬ」
ヨルムンいわく、ラフィーリアが目を覚ますのは明日かもしれないし、1週間後かもしれない。下手したら1ヶ月後ということもありうるのだとか。
「──さすがに1年後ということはないと思われますが……」
「う、うーーむむむむ……」
男爵父子は、困り果てていた。
明日は、ヴォルフィード家にとっての一世一代の大イベントが待っているのだ。明日の朝までに彼女が意識を取り戻してくれないと、せっかくのその機会が台無しになってしまう公算が高い。
無論、そのことは師も十分承知している。
「──そこで、私より、ひとつ提案があるのですが……」
故に、ヨルムンの切り出した“提案”に、彼らは驚き、苦悩しつつも乗るしかなかったのだった。
* * *
鏡の中には、藍色のドレスをまとった可憐な美少女がしかめっ面をして立っていた。
年のころは、15、6歳といったところか。瑠璃色の大きな瞳、小作りな鼻梁、愛らしい薄桃色の唇といった顔のパーツの秀麗さもかなりのものだが、何より人目を引くのは、結いあげられた見事な白金色の髪だ。金とプラチナのちょうど中間とも呼ぶべき美しい色彩と輝きを放つその髪は、男女問わず見るものに感嘆のため息をつかせる。
体つきに関しては、まだ若年のせいか、未だ女としての成熟とはほど遠いが、そのスラリとした華奢な肢体は、男性にとって保護欲を掻きたてられずにはいられないだろう。
僕だって、そのことを認めるのはやぶさかではない。
──その鏡に映っているのが、自分自身でなければ、だけど。
「うぅ……父さん、頭が重いよぉ。それに肩とかスースーして頼りないし」
「すまんが、我慢してくれ、ツァーリ。だいたい文句はお前の姉に言いなさい。まったく、見合いの前日に遠乗りで落馬して意識不明とは……ラフィーリアのお転婆にも困ったものだ」
眉をしかめる父さんだけど、僕も同感だ。
「とか言っちゃって、命に別状がないと知るまで父さんも大慌てだったって、ヨルムン師に聞いたよ?
でも、だからって、勝手に姉さんの髪を切ってカツラにしちゃって良かったのかな」
「仕方なかろう。あの子は、性格のじゃじゃ馬ぶりはともかく、その長く美しい白金色の髪が社交界の噂の的なんだから。コーウェル伯爵様も、それを聞きつけて見合いを申し込んで来られたのだ。しがない貧乏貴族の我が家としては、この好機を逃すわけにはいかん」
そう、僕が姉さんの髪から作ったカツラまでかぶって女装しているのは、その大事なお見合いの代役を務めるためなんだ。
「何、心配するな。そのカツラはヨルムンが魔法遣いとしての粋を凝らして作ったという逸品。いったん装着すれば、徐々に頭皮と同化して、その髪は自分のものとなるそうだ。もともと弟のお前はラフィーリアに顔もソックリだし、背格好も似てる。そうそうバレんよ」
「うぅ、絶世の美少女と言われる姉さんに似てるって、男としてフクザツかも」
そりゃ、僕は母親似の女顔だし、日頃から本の虫だから下手したら活動的な姉さんより色白で華奢だけどね。
「でも、姉さんが目を覚ましたとき、髪の毛を切られたと知ったら、さすがにショック受けるんじゃない?」
そうなったら、首謀者の父はもちろん、従犯の僕も姉さんの怒りのとばっちりを受けるに決まってる!
「な~に、その時は、お前の髪を切って再度魔法のカツラを作り、ラフィーリアに被せればいいのさ」
「あ、そーか。父さん、あったまいいー!」
──と、まぁ、そんなワケがあって、僕は“ヴォルフィード男爵令嬢ラフィーリア”として、コーウェル伯爵とのお見合いに臨んだんだ。
コーウェル伯爵は、“女たらし”という巷の風評に反して、じかに会うと、誠実で落ち着いた性格の20代半ばの青年貴族に見えた。
容貌自体は、こういう言い方するとなんだけど「そこそこの美形」、つまり絶世の美男子というほどではなく、あくまでそれなりレベル。ただ、言葉の端々にエスプリを効かせた知性が滲み出ていて、会話するのがすごく楽しいんだ。
(まぁ、逆にそのあたりの機微がわからない人にとっては、ただのキザな皮肉屋に見えるかもしれないけど)
もし、僕が本当に女の子だったら、正直たちまち目がハートマークになってたに違いない。こういう男性を義兄と呼べるのは大歓迎だ。
幸い、伯爵のほうも僕──が化けた“ラフィーリア”を気に入ってくださったみたいで、「ぜひとも近々、またお会いしましょう。今度は、我が屋敷に招待します」と言ってくださった。
「ふう~~、とりあえず、コレでひと安心、かな」
「うむ、よくやってくれたな、ツァーリ。あとはラフィーリアの意識が戻るのを待つばかりだな」
しかし、この時、僕ら父子は知らなかったんだ。
ラフィーリア姉さんの意識が、いっこうに戻らず、その後もしばらく僕が姉の身代わりを務めるハメになることに。
そして──魔法のカツラは単に頭皮と同化するに留まらないと言うことに。
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