◆リボンを結んで-チアガールは戻れ/らない-

 梅雨が開け、学生待望の夏休みが近づきつつある7月の半ばのとある土曜日に、高校1年生の僕こと双羽智明(ふたば・ともあき)はピンチに陥っていた。


 ピンチと言っても、生命の危険だとか一文無しになるほどの借金だとかいうような深刻なものじゃない。

 腐れ縁の幼馴染と期末試験に関する賭け(よくある、どっちが総合点が上かというヤツだ)をして、惜しくも5点差で負けてしまったのだ。

 賭けの内容は「敗者は勝者のお願いをひとつだけ聞く」というものだった。


 放課後、校庭の部室棟がある一画に呼び出された僕は、何を「お願い」されるのか戦々恐々という心境だったけど、幼馴染──清瀬若菜(きよせ・わかな)が告げた言葉は、予想だにとしなかったモノだった。


 「は? 僕が、チアリーディング部に!?」

 「うん、ほら、ウチの部って万年人手不足で、ギリギリの人数でなんとかやりくりしてるのは知ってるでしょ」


 それは若菜本人から愚痴混じりの雑談として何度か聞いたことがあったけど……。


 「幸いトモは帰宅部なんだし、ウチの部に籍ぐらい置いてくれてもいいじゃない」

 「いや、ちょっと待った。僕、男だよ!?」

 「別に、チア部に男子生徒が入部しちゃいけないなんて校則はないからね。

 男子主体の野球部やサッカー部に、女子生徒がマネージャーとして入部することだってあるでしょ」


 た、確かにそういうケースはウチの学校にもあることはある。


 (要するに、僕にチアリーディング部の男子マネージャーになれってことか……)


 自分でいうのもナンだけど、僕は高1男子としては家事力は高い方だとは思うし、長いつきあいの若菜はソレをよく知っている

 両親が共働きかつ出張がちなんで、自宅の炊事・洗濯・掃除の類いは中学に入った頃から自分でやらざるを得なかったという、家庭の事情に由来するものなんで、多少不本意ではあるけれどね。


 「3年間ずっととは言わないわ。せめて来年の春、新入生が入って来るまででもいいからさぁ」

 「んーでもなー、家でもやってる家事雑事をワザワザ学校で部活としてやらないといけないってのもなぁ」

 「──さすがに着替えとかは覗かせてあげられないけど、部員になったら間近で練習は見られるし、チア部の部室に出入り自由だし、ウチの部員と親しくなる機会もいっぱいあると思うけど……」


 !!


 「ぜひ入部させてください!(か、賭けで負けたんだもんなー、しょーがないよなー)」

 「トモ、本音と建前が逆、逆」


 ──まぁ、そんなこんなで、僕はチアリーディング部への入部希望書に名前を書いて提出したんだ。


 もっとも、家に帰った後で、その場のノリと勢いに流されて入部しちゃったことを、多少後悔はしたんだけど……。

 幸いにしてチア部の部員の皆さんは、2年、3年の先輩方も含めて僕に意外なほど好意的で、僕は「逆・姫プレイ」とでも言うべき状況に置かれることになった。


 (うーん、まさか男の身で、ちやほやされる“サークルの姫”の気持ちを実感できてしまうとは……)


 正直悪い気はしないし、恋愛関係ではないにせよ、同学年や年上の可愛い女の子たち(チア部の皆は非常にレベル高いんだ)と親しく会話したり、放課後カラオケや食べ歩きに行ったりできるのは、役得というほかない。

 マネージャーとしての雑事の処理も慣れればなんてことはないし、多少大変そうな作業があっても、部員の誰かが手伝ってくれるから、案外楽ちんなんだ。


 ──けれど、そんな楽しい日々がこれからも続くと思っていた矢先に、アクシデントが起きた。


 夏休みが終わり、3年の先輩ふたりが引退したタイミングで、2年の先輩のひとりが事故で足を骨折しちゃったんだ。

 間の悪いことに、十日後にチアの大会が迫っていて、しかもこのままだと規定の人数がひとり足りないことになってしまう。


 「──仕方ない。最後の手段ね。トモ、あんたがノッコ先輩の代りに出なさい」

 「……へ?」


 それはつまり、僕に大会で女装してノッコ先輩──瑞葉紀子さんのフリをしろってコト!?


 もちろん、僕としてはNOと言いたかった。言いたかったんだけど……。

 こういう時の女の子達の同調圧力ってスゴいね!


 「大丈夫!」

 「トモちゃんならできるって!」

 「運動神経も悪くないし……」

 「いつも私達の演技、じーっくり見てるもんね♪」

 「顔立ちも可愛い顔から女装したってバレないって」


 「────アッ、ハイ」


 なまじ親しくなってお互いに遠慮があまりないモンだから、結局僕も断り切れず、ノッコ先輩の代役を努めることになっちゃったんだ。


 それから1週間、放課後毎日チアリーディングの演技の練習、いや特訓を受させられたのは、時間がないから、まぁ仕方ないとは思う。

 土下座して懇願したおかげで、練習時には普通の体操服での参加を許して貰えたし……。


 でも、さすがに当日ブッツケ本番で女装、もとい「チアコスチュームを着る」のは、いろいろ問題(羞恥心とかスカートの裾さばきとか)があるということで、ついに大会の2日前、僕はチア衣装を着ることになった。


 「えーと、これってもしかして、ノッコ先輩の?」


 青い袖無しのハーフトップ──というかほとんどスポブラに近いほど布面積の少ない上着(トップ)を摘み上げて、若菜に聞いてみる。


 「んなワケないでしょ。先輩とトモの身長、10センチ以上違うんだから」

 「ですよね~」


 高1男子としてはやや低め(165センチ)の僕だけど、ノッコ先輩はさらに小柄で、150センチちょっとしかなかったはず。


 ちなみに部室には、僕以外には今若菜しかいない。

 着替えを皆に見られるのは恥ずかしいけど、完全にひとりで着替えられるかは微妙──ということで、妥協点として彼女が残ったんだ。


 「ソレはね、数年前に在籍していた先輩のモノなの。ただ、その……」


 ちょっと言い淀む若菜の様子に、なんとなく嫌な予感を覚える。


 「長身でスタイルのいい美人で、とても綺麗な演技をする人だったらしいんだけど、運悪く3年生最後の大会の直前に不治の病気で倒れて、帰らぬ人になったらしいわ。

 その後、ご両親が、大会に合わせて新調したばかりで結局一度も袖を通されなかったそのユニフォームを、ウチの部に寄贈されたの。

 『このまま棺桶に入れるより、あの子の後輩の誰かに役立てて欲しい』って」


 他人事なら「イイハナシダナ~」で流すんだろうけど、これから僕、そんなご大層な言われのある服を着るの!? なんか責任重そうじゃん!


 「まぁまぁ、むしろユニフォームだけでも大会はれぶたいに連れて行ってあげると思えば、むしろ先輩孝行(?)じゃない?

 ま、それはさておき──トモ、上から下まで、ちゃちゃっと脱いで♪」


 なまじ小さい頃に互いの裸も見てるせいか、完全にコッチは男扱いされてない。

 この期に及んで渋っていても仕方ないし、下手に拒否ったら部室の外で待ってる部員の皆を“応援”に呼ばれるかもしれない。


 仕方なく、僕は制服のシャツとズボンを脱ぎ、その下に着たTシャツも思い切って脱ぎ捨てて、いわゆる“パン1”の格好になった。


 「ふむふむ……脱いだら意外とスゴい……ってコトもなく普通……よりちょっと貧弱かな」

 「2ヵ月ちょい前まで帰宅部のインドア派だった幼馴染に何期待してんだよ」


 そりゃ、チア部に入ってから練習前の準備体操・柔軟体操くらいは参加するようになったし、ここ1週間はその演技の練習でもシゴかれたけど、せいぜい日々の運動不足が多少解消されたくらいのモンだよ。


 「あはは、拗ねないすねない。いいじゃん、その華奢な体格のおかげで、女物のチアコス着ても違和感少ないだろうしさ──じゃ、そのパンツも脱いで、コレに履き替えて」


 まるで「朝起きたらパジャマから制服に着替えてね」というくらいごく自然な感じで、水色の女物のパンツ(ショーツって言うんだっけ?)を渡してくる若菜。

 反射的に受け取った僕は、一拍置いて真っ赤になった。


 「ちょ……こ、コレは……」

 「ああ、心配しないで。それ、買って来たばかりの新品だから。履いても被っても、トモを「へ、変態だー!」なんて罵倒する気はないわ」

 「それ以前の問題だよ! てか、誰が被るか!」

 「うーん、でも、ウチのユニフォーム着るなら、せめてショーツとアンスコくらいは履かないと、スコートがめくれた時、ヤバいと思うよ?」


 グッ……それは確かに正論だけど。

 チアリーディングしてる子のスカートが翻って、中からのぞくのが男物のトランクスだったら、むしろその方が変態性疑われるだろうし。


 やむなく僕は、若菜に背を向けてモソモソとパンツを脱ぎ、水色のショーツとその上にユニフォームと同じ青色のアンスコ──アンダースコートを履く。


 ショーツ自体の形状は、中学生の頃まで愛用していた男物のブリーフと大差はない感じだけど、前開き構造がないのと、生地が違う(肌ざわりがいい?)ことで、自分が「女物の下着を身に着けている」んだと思い知らされる。


 え? 「履き心地よかったか」もしくは「興奮したか」? ……ノーコメントで。


 「うんうん、イイ感じ。じゃあ、今度はユニフォームを着てみて」


 若菜の指示に従って、まずはハーフトップをかぶる。

 着方自体はタンクトップと大差ないから問題ないけど……。


 「ぅわっ、コレ、短すぎてお腹とか丸見えじゃん」

 「ソレがイイんでしょーが。健康的なお色気ってヤツよね」


 幼馴染(♀)の発言が親父臭くてドン引きです。


 「はいはい、そーゆーのいいから、スカートの方も履いちゃいましょうねー」


 クッ、引き伸ばし工作も効果無しか。

 覚悟をキメて、青色のミニプリーツスカートに足を通して、腰まで引き上げる。


 「ホックは左横側ね。ウェストの位置は腰骨よりちょっと上に来るようにして」

 「りょーかい」


 言われた通り左サイドに留具ホックが来るように調整してから、ジッパーを上げてホックを留めた。

 ウェストの位置を微調整してから手を離し、スカートの裾が太ももの半ば、膝上15センチくらいで揺れているのを肌で感じると、途端に僕の中に強烈な羞恥心はずかしさが沸き起こってきた。


 (ボク……今、ホントに女子チアガールの格好、しちゃってるんだ)


 入部してから2ヵ月余りが過ぎ、部活仲間がこんな刺激的な格好をしている様を見るのには慣れたつもりだったけど、まさかソレを男の自分が着るハメになるなんて思ってもみなかった。


 「イイっ! トモ、すごく似合ってるよ!」


 思わず、逃げ出したくなったボクを、けれど若菜はそんな風に褒めてくれたんだ。


 「ちょっと髪型整えて化粧メイクしたら、男だなんて絶対バレないって、ホラ!」


 部室の隅にある大きめの姿見の前まで、ボクを強引に引っ張って、鏡を見るように促す。

 恐々、鏡を覗き込んだボクの目には、「ショートカットで貧乳だけど、可愛らしい女子高生がチアの格好で恥じらう」姿が飛び込んできた。


 「え、ウソ……」


 思わず目をしばたいて見直すが、やはりソコに映っている姿モノに変わりはなく──そしてソレが今のボクに違いなかった。


 「ね? 悪くない、むしろ大いにキュートでしょ?」

 「う、うん」


 若菜の声にも上の空で、ボクは自分の姿に見惚れ、見つめ続けていた。


 (この可愛いがボクだなんて……でも、もう少し胸があれば完璧なんだけどな──あれ?)


 鏡の中のボクの姿、正確には上半身というか“胸”の部分が変化してるような……。

 具体的に言えば、AAAクラスの貧乳(男だから当たり前だけど)だったのが、少しずつ膨らんで、AからB、BからC、さらにDカップクラスに膨らんできている。


 視線を落せば、ソレは気のせいや鏡の中だけの虚像というワケじゃなく、本当にボクの胸にオッパイとしか言えないような膨らみができていて、さらに成長しつつあったんだ!

 ハッとしてスカート越しにソコを触ると、案の定「あるべきもの」がない。


 「え? ちょ、何コレ、ええっ!?」


 予想外の事態に慌てるボクだったけれど、でも、そばにいる若菜の方は、ボクの身体の異変もボク自身の狼狽も、まるで気付いていないかのようにニコやかに歩み寄り、話し掛けてきた。


 「智明、コレ忘れてるよ、“トレードマークのリボン”。時間もないし、わたしが結んであげるね」


 そう言って、ボクの(気が付けば肩にかかるくらいまで伸びた)髪に手を伸ばし、いつの間にか手にしていた青いリボンで後ろ髪をまとめてくれる。


──ドックン!


 途端に胸の鼓動が速くなり、頬が熱く、頭ものぼせたようにボーッとしてくる。


 「準備オッケーね? さ、いきましょ、智明チアキ。皆外で待ってるわ」

 「ええ、わかったわ、大会に向けて最終調整しないとね!」


 若菜の言葉に頷き、弾むような足取りで部室をあとにするボク/アタシの中からは、数分前まで自分が男子生徒だったという自覚すらなくなっていたのだった。


  * * * 


 双羽智明という少年(だった者)が、正気(?)を取り戻したのは、チアリーディングの大会が終わった日の翌朝のことだった。


 思い返してみれば、彼の心身に起きた異変は、おそらく例の病死した先達のユニフォームに、その女子生徒の魂ないし残留思念的なモノが遺されていて、ソレが超常現象ともいえる変化をもたらしたのだろう。


 実際、あのユニフォームとリボン(此方も部室に偶然残っていたかの先輩の遺品だ)を身に着けた智明は、若菜はおろか2年生の先輩たちにも劣らない好演技をしてみせたのだから。

 結果、大会では智明たちの部は、優勝こそ逃したものの3位という好成績を残すこととなった。


 そのことで、「もはや思い残すことはない」とユニフォームに籠った霊気(?)が薄れたのか、智明は自分を取り戻すことができたのだ。


 とは言え、その影響が完全になくなったワケではなく……。


 「なんで、身体の方は女になったままなんだよ!? しかも、アタ…んんっ、ぼ、ボクは元から女で、名前の読みも「ちあき」だってことになってるし」


 ……つまりは、まぁ、そういうコトだ。


 「まぁまぁ、落ち着きなよ、チアキ。女の子になっても、別に困ってはいないんでしょ?」

 「それは──そうだけど」


 病死した先輩(実はこの少女の名前も「ちあき」だった)の思念に半ば乗っ取られたような状態で数日間過ごした結果、智明少年の身体には年頃の女の子らしい立居振舞や仕草が染み付いていた。


 さらに、先程本人が述べた通り、周囲(家族や友人含む)の認識では、「双羽智明」は、「ふたば・ちあきという16歳の少女」となっているので、逆に「自分は本当は男だ」と主張する方が、正気を疑われかねない状況だ。

 智明本人以外では、かろうじて若菜のみが「本当は男? うーん、そう言えばそうだった気もするかな」とぼんやり記憶を残しているのみ。


 「それにぃ~、わたしとしては、チアキといつしょのチアの部活を続けられるのって、結構うれしいんだけどな♪」

 「ぐっ……ソレを今言うのは卑怯だよ、若菜ぁ」


 腐れ縁の幼馴染とは言え、やはり高校生ともなると男女の性差の壁はある。恋人でもない限り──いや、たとえ恋人だとしても、幼い頃のように「いつもいっしょ」とはいかないだろう。


 しかし、智明が女子になったことで、その垣根はとり払われ、今のふたりはまごうことなく「無二の親友」と呼べる関係になっていた。


 「──ま、まぁ、どの道、どうすれば元に戻れるかわからないワケだし。それまでは女子生徒として暮らしていくコトも、仕方ないよね、うん」

 「(素直じゃないなぁ。まぁ、ソコが可愛いんだけど♪)はいはい、じゃあ、その日が来るまで、同性の友達として、チア部の仲間として、よろしくネ、チアキちゃん♪」


-おしまい-

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