◇カミのもたらす幸福 ~魔法のカツラ~[後編]

 「それでは、お父様、そろそろ出かけてまいりますね」

 「うむ、気をつけて行っておいで。伯爵様には粗相のないようにな」

 「ええ、心得ておりますわ」


 ニッコリ微笑む“彼女”の仕草や言葉遣いは、非常に淑やかで女らしく、世間一般が思い描く、いい意味での貴族の令嬢と呼ぶにふさわしかった。


 「──しかし、お前もかなりその言葉づかいに馴染んだな、”ラフィーリア”」

 「言わないで下さい! 我に返ると恥ずかしくてたまらないんですから」


 と、真っ赤になって恥じらう様ですら、愛らしい年頃の少女以外の何者でもない。


 伯爵とのお見合いから1カ月近くが過ぎた現在も、偽ラフィーリアことツァーリは姉の替え玉として毎日を過ごしていた。

 未だに姉が目覚めず、またすでにカツラが癒着して彼自身の髪となっているため、簡単にツァーリに戻るわけにはいかなかったのだ。


 そのため、男爵家にいる時も、周囲の目をはばかって(事情を知るのは、本人と男爵とヨルムン以外には、化粧や着替えなどで世話になっているメイド長だけなのだ)、“ラフィーリア”として振る舞っている。


 もっとも、いくら姿形がそっくりな姉弟とは言え、細かい仕草や言動などはやはり異なる。当初は村人などで些細な違和感を抱いた人間もいたようだ。


 だが、最近は慣れたおかげか(実は別の理由があったのだが)姉の声色を出すことも、ごく自然になってきたし、むしろお転婆だった姉と比して「最近のラフィーリア様は、随分お淑やかになられた」と領民に噂されてるくらいだ。

 幸いにしてその変化も、「お嬢様も恋をして女らしくなられたのだろう」と好意的に受け止められている。


 コーウェル伯爵との交際も順調に進展しており、最近では3日とあけず彼の屋敷へとお呼ばれする仲になっていた。

 伯爵の家族や使用人にも好意的に迎えられている。とくに伯爵の年の離れた11歳の妹には懐かれており、早くも「ラフィーリアお義姉様」と呼ばれているくらいだ。


 そして、伯爵本人も、“彼女”のことを好ましい異性として受け入れてくれているようだ。“ラフィーリア”自身、時折自分が偽者であることを忘れかけ、彼との逢瀬に胸を弾ませていることが多々あるのだから。


 我に返るたびに「自分は姉の身代わりだ」と言い聞かせるのだが、心のどこかで、姉の回復が一日でも遅くなれば……と願っている自分に気づき、姉と伯爵の両方に罪悪感を覚えることも、しばしばだった。


 しかし、その日、そんな微妙な均衡を一気に覆す“事件”が起こった。

 伯爵家での晩餐に招待され、彼の家族と楽しいひとときを過ごした後、“ラフィーリア”は伯爵とふたり、テラスのベンチに並んで腰かけ、慎ましくも楽しい語らいの時間を過ごしていた。

 だが、これまでずっと紳士的な態度を崩さなかったコーウェル伯爵が、ふと“彼女”の目をのぞきこみ、肩に手をかけたかと思うと、彼の広い胸の中にグイッと抱きしめたのだ!


 「ああぁっ、伯爵さま! そんないきなり……」


 口ではそう言いながらも、“ラフィーリア”は彼の腕を振りほどくことができない──いや、そうする気にすらならない。


 「おお、ラフィ……どうか、私のことはそんな他人行儀に呼ばないでおくれ」


 切なげな伯爵の言葉に促され、“彼女”はおそるおそる彼の愛称を口にする。


 「えっと、それでは、エドワード……エディとお呼びしても?」

 「無論構わないとも。私たちは許婚者どうしじゃないか。お互いそろそろ一歩踏み出してもよいと思うんだ」

 「は、はい……そう、ですね」


 心のどこかで警鐘が鳴っているにも関わらず、“彼女”は魅入られたかのように、伯爵の熱っぽい瞳から視線を外せない。


 「! んんっ……はぁっ……」


 そのまま伯爵に唇を奪われても、“彼女”はウットリと目を閉じ、その身を預けることしかできなかった。


 帰りの馬車の中で、自らの唇を指先でそっとなぞるラフィーリア。


 「キス…されちゃった……」


 ほのかに頬を染めて恥じらう様子は、どこからどう見ても「恋する乙女」そのものだ。

 しかし──“彼女”は姉の身代わりでしかない。そのことを自覚すると、一気に心が沈んだ。

 せめて“妹”であれば、伯爵に事情を打ち明けて、改めて交際を申し込むこともできただろう。しかし、自分は本来、女ですらない。


 (どうして僕──いえ、わたくしは、女に生れなかったのでしょう)


 その晩、“ラフィーリア”はなかなか寝付けず、辛く哀しい想いにひとり枕を濡らしたのだが──翌朝、奇跡が起こった!


 「う、嘘……ない! アレがなくなってる!?」


 そう、「彼女」の局部から、一夜にして男性の徴が消えていたのだ!!


 実のところ、魔法のカツラによる皮膚の融合侵食は、この一月間、徐々に進行しており、顔、首、肩、背中、胸、腰と、徐々に姉のそれに置き換わっていた。

 ただ、ラフィーリアがバストサイズA以下の貧乳なため、胸が変化してからも迂闊にもツァーリ達は気づいていなかったというのが真相だ。


 より敏感になったはずの乳首も姉の下着で保護されていたし、腰のくびれは毎日コルセットで締め上げているせいだと考えていた。元から男とは思えぬほど肌はきれいだったし、より肌理細やかになったのも化粧品によるケアのおかげと思いこんでいたのだ。


 しかし、昨晩寝ているあいだに、なぜだか急激に浸食が股間にまで進み、男性の逸物が消えてしまったことで、ようやく事態が判明することとなった。


 勿論、男爵やヨルムンは慌てたが、既に下肢を除く全身の大半が“ラフィーリア”そのものとなったツァーリにとっては、それは「神の奇跡」もしくは「祝福」に他ならなかった。


 「お父様、ヨルムン先生、わたくし、このまま伯爵様の元へ嫁ごうと思います!」


 確かに、現状、この縁談を破談にするわけにもいかず、ふたりは経過を見守るしかない。


 そして、さらに半年が経過し、ようやく本物のラフィーリアが目を覚ましたものの、その時には完全に全身が女性化した彼女の元弟は、コーウェル伯爵と互いに熱愛状態にあり、密かに肉体関係さえ持つようになっていた。

 正式な婚約も交わしており、婚儀は半月後に迫っているという状態だ。


 この状況で、もしや元に戻れというのでは──と戦々恐々とする男爵達だったが、しかし、ラフィーリア(真)は、笑顔でポンとラフィーリア(偽)の肩を叩く。


 「でかした、ツァーリ、いや「姉さん」! 伯爵と末永くお幸せにね。ヴォルフィード男爵家のことは、ボクが継ぐから、心配はいらないよ」


 外見はともかく性根は男勝りな姉は、これ幸いと男装し、“ツァーリ”として男爵家を継ごうと言うのだ。実際、その気性や才覚は、弟より余程領主に向いているだろう。


 ──こうして、元ツァーリであった少年は男爵令嬢ラフィーリアとしてそのままコーウェル伯爵と結婚し、1男2女を生んだ後、良妻賢母として幸せな家庭を築くことになる。


 領主夫人としての責務を完璧に果たす一方、その優れた知性は健在で、後年宰相となった夫の知恵袋の役割も果たしている。

 普通の貴族なら見栄で隠しそうなものだが、愛妻家の伯爵はむしろそのことを自慢していたので、ラフィーリアが学識豊かな賢夫人であることは、広く世に知られることとなった。


 実際、ラフィーリアが発案し、夫たるコーウェル伯爵が実現に漕ぎ着けたいくつもの国策のおかげで、王国は2度の飢饉と3度の疫病の流行を、最小限の被害で乗りきっているほどだ。


 対して男爵家のほうは、伯爵家の援助で多少は財政も潤い、その見返りというわけではないが、“ツァーリ”が甥──伯爵と“姉”の間に生まれた次男を、のちに養子として迎え入れている。

 男爵家の当主となった“ツァーリ”本人は生涯独身だったものの、見習いだったメイド娘を愛人にしたり、幾人かの百合っ気のある女性と浮名を流したりと、それなりに楽しくやりっていたようだ。


 ともあれ、ラフィーリア・ド・ヴォルフィード・コーウェルの名前は、グリモア王国史上有数の美女にして賢者たる「白金色の幻想華プラチナム・ファンタズム」として讃えられ、長らく語り継がれることになるのであった。


-END-

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