◆あの怪盗は大切なものを盗んでいきました。貴方の……
「さぁ、観念しろ怪盗フー、フー・タヴァール!!」
眼鏡をかけた灰髪の青年と対峙する金髪碧眼の少女が、油断なく投げナイフを構えつつ声をかけた。
「くっ……よもや、そんな可憐な少女の身体に閉じ込められてもここまで私を追い詰めるとは、さすがは帝都で音に聞こえた名探偵ということですか。ですが、今の私の体は貴方のものだ。貴方に私は傷つけられまい?」
青年の言う通り、彼の身体は本来は眼前の少女……の身に宿る魂、大日本帝国が誇る若き武装探偵・紀井与彦(きい・よひこ)のものだった。
欧亜をまたにかけて人心を惑わす怪盗フーは、10秒間ほど意識を集中することですぐ近くの人間と自分の魂を入れ替えるという特技を持っており、その力を使ってこれまで次々に体を乗り換えることで官憲の手を逃れてきたのだ。
「──あの時、俺はお前がこのシャーリィ嬢の姿をしていたから、捕縛の際に手心を加えて、隙を突かれた。だが、今度はその轍は踏まない!」
──シュン、シュン、シュン…ドシュッ!!
少女、いや与彦の手から放たれたスローイングダガーが、目にも止まらぬスピードで、青年の左胸と喉、そして右目に突き刺さる。
「グハッ……ま、さか……躊躇いなく、自分の身体の、急しょを、ね…らうなんて………」
──ドサッ……
地面に倒れ伏す青年。
魂の入れ替えは、ごく短い距離でしか実行できないのだが、彼の近くにいるのは油断なく身構えた少女だけで、何よりほとんど即死に近い状態だったため“乗り換え”を行う暇もなかったようで、そのまま稀代の怪盗フー・タヴァールは息を引き取ったようだ──紀井与彦の身体を道連れにして。
「……今、ここでお前を逃がせば、その分、お前に人生を狂わされる人が増える。俺ひとりが犠牲になることでそれを防げるなら、安いものさ」
覚悟は決めていたのだろう。少女(の姿をした探偵)は、さしたる動揺も表さず、そううそぶいてみせた。
──こうして、「19世紀最大の怪人」と呼ばれた怪盗は、武装探偵・紀井与彦の手によって葬られ、倫敦に平和が戻ったのだ。ありがとう、名探偵!
「──ようやく終わったのですね」
ふたりの戦いを距離をとって見守っていた、紺色のトラッドなメイド服姿の30歳前後の女性が、少女の背後に歩み寄る。
「ええ、ハドソンさん」
彼女の名はワカバ・ハドソン。与彦の魂が宿る少女シャーリィの実家であるホメロス家でメイド長を務めている女性だ。
その名前でわかる通り日系人で、紀井家の遠戚でもあり、フーを追って日本から倫敦に来た与彦は、彼女の雇い主のホメロス卿も含めて色々世話になっていた。
それだけに、ホメロス卿の愛娘であるシャーリィ嬢が、自分の不注意からこんなことになってしまい、与彦は責任を感じていたのだが……。
「それでは、屋敷に帰りましょう、お嬢様」
「は!? な、何をおっしゃってるんですか、ハドソンさん!」
ワカバには状況を説明し、自分が本当は紀井与彦だと明かしたうえで、フーを追うためにいろいろ協力してもらっていたはずだが……。
「俺が本当は与彦だってご存じでしょう?」
「いいえ、貴女はシャーリィお嬢様です──仮に、その心というか魂が日本人青年紀井さんのものであったとしても、そのお身体はまごうことなくシャーロット・ホメロスという少女のもの。違いますか?」
「そ、それは、まぁ……」
確かに正論ではある。
「お嬢様は旦那様のひとり娘であり、ホメロス家の血を受け継ぐ唯一の後継者でもあります。ホメロス家に仕える身としては、その血を絶やすような真似を許すわけにはいきません」
士族の家に生まれ、家を継いだ兄の苦労をよく見知っている与彦としては、実に理にかなった耳に痛い言葉だった。
「ですから、貴方にはこれから“シャーロット・ホメロス”として行動していただきます──いえ、貴女こそが“ホメロス家令嬢シャーリィ様”なのです!」
つまり、今後はシャーリィの身代わりとなって過ごせということらしい。
反論したいのは山々だが、こんなコトになったのは自分が油断したせいだという負い目がある与彦は、渋々首を縦に振るしかなかった。
「…………はい、わかりました」
こうして、「17歳の少女シャーロット・ホメロス」となった元・紀井与彦は、ホメロス家の令嬢としてふさわしい立ち居振る舞いを身に着けるべく、ワカバに色々調教……もとい躾られることになるのだった。
「クソ、なんで俺がーー!!」
「お嬢様、なんですか、その言葉遣いは?」
「あっ、ハイ。どうして、わたくしが、こんなメに遭うのでしょうか……トホホ」
そしてこの1年後、倫敦の麺麭屋通りの一角に、美少女探偵と助手の麗しき婦人が事務所を構え、以後、倫敦の難事件・珍事件を解決することになるのだが……それはまた別のお話。
さらに後日、フランスに出張して、怪盗淑女アルテーミス・デュパンと鎬を削ることになる──かは神のみぞ知るかもしれない。
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