◆踊り娘 -プリマになったボク-
とある地方都市にある県立ホール。
相応の大きさと格式を持ち、クラシックのコンサートやオペラ上演なども時折行われる其処で、クラシックバレエ教室の小学生たちによるハロウィン記念上演が、本日開催されようとしていた。
演目は、有名な『白鳥の湖』だ。
開演を控え、関係者や舞台に上がる子達が忙しそうに動き回る舞台裏の一角で、純白に輝くクラシカルなチュチュ(バレエ衣装)を身につけた主役の少女が、舞台化粧を済ませた端正な貌に、不安げな表情を浮かべている。
「……」
「心配しなくても大丈夫よ」
背後から声をかけられ、はじかれたように少女が振り返ると、真っ赤なレディススーツに身を包んだ妙齢の美女が彼女に歩み寄ってきた。
今日の『白鳥の湖』上演は、いくつかの教室が合同で開催したものだが、その中核となる「しらとりバレエ教室」の主が、この白鳥梓沙(しらとり・あずさ)だった。
「お姉ちゃん……」
少女の呼びかけ通りあずさは彼女の実の姉ではあるが、何も身内をひいきしてオデット役に配したわけではない。
「ここ2週間の特訓で、半年間のブランクもアナタは十分に取り戻している──ううん、それ以上の域に達しているわ」
励ますかのように優しげな微笑を姉に向けられて、少女は深呼吸するとともに気持ちを切り替えた。
「………(スーーーッ)はい」
「よし、いいコね。さ、そろそろ開演の時間よ、ウォーミングアップは済ませてる?」
「うん、平気」
少女は静かに頷く。
その瞳に強い意思の光が宿ったのを見てとったあずさは、彼女の手を手を引き、その場を離れた。
「さぁ、行きましょう──アナタの晴れ舞台に」
「──はいっ、梓沙先生!」
* * *
「あ~、ごめん。姉さん、もぅいっペん言ってくれる? うっかり聞き逃したみたい」
僕の名前は白鳥上総(しらとり・かずふさ)。ごく普通の中学一年生の男の子だ。
学校の成績は平均、よりは多少上かな。スポーツも、そこそこ得意だし、顔立ちだって割かし整ってる方だとは思うんだけど……。
残念なことに、僕は背が低い。男子は元よりクラスの女子の半分よりも身長で負けているのは、ちょっと悔しい。
(牛乳とか煮干しとか、成長に良さそうなものは、多めに食べてるんだけどなぁ)
おかげで、男友達からはチビだってことをよく弄られるし、2、3年おろかは同学年の女子すらさえ、弟分みたく扱われることはザラだ。
「あら、聞こえなかった? 上総、半月後の公演で、あなたに主役を踊って欲しいの」
愉しげな微笑みを浮かべて、そんな言葉を繰り返したのは、僕とは10歳違いの梓沙姉さん。小柄な僕とは対称的に170センチを越える長身で、スタイルもいいし、身内のひいき目を抜きにしても、かなりの美人だ。
「なんでさ!? 次の公演って『白鳥の湖』だったよね。てことは、主役ってオデット姫じゃん!」
ここで少し解説しておくと、『白鳥の湖』というのはクラシックバレエの名作演目のひとつで、大概の人が名前くらいは聞いたことがあると思う。
かのチャイコフスキーが作曲を担当しているし、真っ白なチュチュを着たヒロインのオデット姫がくるくる回っている場面なんかが有名だよね。
「あ、主役って、もしかしてジークフリートのこと?」
悲恋話である『白鳥の湖』で、中心となるのは間違いなくオデットなんだけど、その恋の相手役である王子様がジークフリートだ。
「いいえ、ジーク役はちゃんと適任がいて頑張ってるわ。ただ、オデット役の子がね……」
「ケガか急病にでもなったの?」
「それならまだマシよ──オデット役をしてもらう予定だった子が、いきなり大手教室に引き抜かれたのよ」
姉さんが主催している「しらとりバレエ教室」は、規模の小さい個人教室だ。
梓沙姉さんは十代の頃から「若き天才バレリーナ」として名を馳せていたけど、2年前、事故で足を大ケガしてバレリーナとしての道を絶たれた。
それでもバレエへの情熱は消えず、今度は指導者として再スタートを切ったという強者だ。
小さな個人教室とはいえ、23歳の若さでバレエ教室を立ち上げて軌道に乗せてる姉さんの手腕と努力は、正直たいしたものだと思う。
ただ、姉さん自身の知名度はあれど、国内大手の教室には、やっぱり設備とか待遇とか色々敵わないらしい。
「帝都バレエ団は国内最大手のひとつだし、設備も講師陣も充実してるから、黒川さんがアッチを選ぶのは仕方ないとは言え、よもやこのタイミングで引き抜かなくてもいいじゃない!」
いつも冷静沈着な姉さんが、ここまで憤慨しているのは、珍しい。
「(本当に悔しかったんだなぁ)その、黒川さんて子の代りを務められそうな人はいないの?」
「ないわ──いえ、心当たりがあるとすればひとりだけ。それがアナタよ」
──話が振り出しに戻ってしまった。
ちなみに、なんで僕にこんな話が来ているかと言えば、僕も小学生の頃はバレエを習ってたからなんだ。
天才バレリーナとして舞台で踊る姉さんの姿を見て、感動した幼き日の僕は、両親に自分もバレエがやりたいと願って、快く許された。
小学1年生の春からだから、ほぼ6年間習ってたことになるのかな。
姉さんと同じ血が流れているおかげか僕にもバレエの才能はそこそこあったらしく、通っていたバレエ教室では褒められたし、4年生くらいからは舞台で重要な役を任されることも多かった。
でも──僕は中学校へ入学するのを機にバレエを辞めた。
表向きは「中学生にもなって、男がバレエやってるって周りに知られるのが恥ずかしいから」って両親や姉さんには説明したけど、ホントは違う。
「男はバレリーナになれないから」。
男性でバレーを踊る人は一応存在して、バレリーノと呼ぶんだけど……。
僕は、幼い日に憧れた姉さんみたく、バレリーナとして舞台で踊りたかったんだ。でも、大きくなるにつれて、それが無理だということも理解していた。
そんな僕にとって、今回の姉さんからの打診は、とても魅力的な話だったけど……。
「僕、バレエ辞めてから半年もブランクあるんだけど……」
「そう言いつつ、アナタ、夜中にウチのスタジオでレッスンしてるでしょ?」
(! 気づかれてた!?)
しらとりバレエ教室で使っているスタジオが1階にある小さなビルの、3階の事務所兼用の住居スペースで姉さんは暮らしている。
僕も「入学した私立中学に通うのに便利だから」という理由で、実家を出て姉さんの所に同居してるんだ。
無論、ソレは半分言い訳で、ここに居ればバレエと身近に接する機会があるかもしれない──というのがホントの理由。ははっ、未練だよね。
実際、バレエを表向き辞めて1ヵ月も経たないうちに、僕はレッスンの禁断症状(?)が出て、姉さんがいうように「真夜中の自主レッスン」を、週1ペースでこっそり行うようになってたんだ。
「今回のは“小学生”上演だよね? 中学生の僕が参加してもいいの?」
「小学生がメインメンバーなら大丈夫よ。ジークフリート役の竜崎くんも、中一だし」
「そもそも、男がバレリーナとしてオデットを
「ソレは私が何とかするわ──逆に聞くけど、アナタ、「そんなの嫌だ」とは言わないのね?」
そんなコト言わない、言えるはずがない。
だって、幼い頃に見て憧れたあずさ姉さんのオデット役、いつの日か、アレをやりたいというのが、僕がバレエにのめり込んだ原点なんだから。
「──ごめんね、アナタの気持ちに長いあいだ気付いてあげられなくて」
不意に、潤んだ目の姉さんが、僕をギュッと抱き締める。
「な、何を……」
「カズくんは、ホントはバレリーナになりたかったんだよね?」
「!(気付かれた!?)」
内心で激しく動揺する僕だったけど、姉さんは優しく頭を撫でてくれた。
「大丈夫。カズくんにその“覚悟”があるなら、私がアナタを一人前のバレリーナにしてあげるから」
「──本当?」
「ええ、必ず」
力を込めてそう言い切ると、姉さんは僕の肩に両手を置いて、僕の目を覗き込んできた。
「だから、教えて、アナタの気持ちを」
真剣な目で問われて、幼い頃に抱いた夢が、もう一度僕の中で甦る。
「…………ぼ、僕は……お姉ちゃんみたいな、バレリーナになりたい!」
* * *
その日から、上総は「あずさの従妹の“かずさ”」として、しらとりバレエ教室でのレッスンに参加するようになった。
女の子としてなので、以前別のバレエ教室で使っていた男性用のレッスン着ではなく、しらとりバレエ教室の女の子達が皆着ている薄いピンクのレオタードと白いバレエタイツを身に着けている。
中学1年生とはいえれっきとした男──と言いたいところだが、実は体格の未成熟さ故か、上総は声変わりや第二次性徴が遅れており、精通もまだだった。
そのため、小柄で華奢な体型もあいまって、レオタードを着ていると「ショートカットの女の子」にしか見えない(股間はショーツの下に「女装用股間パッド」を着けて隠している)。
下手なことを喋るとボロが出ると困るので、あまり口数は多くないが、それでも教室の女の子たちとは、バレエやレッスンがらみの話題をポツポツ話すようになり、徐々に親交を深めていく。
一週間もすると、バレエ教室で女の子たちに混じって練習に励むその姿は、まるで以前からずっと此処にいたかのように違和感がなく馴染んでいた。
無論、レッスンの成果そのものも順調だ。
天才バレリーナを姉に持つ血は伊達ではないらしく、梓沙の厳しいレッスンや要求にも、“彼女”は懸命に応え、よりクォリティーを高めていった。
そして、上演を明後日に控えた金曜日の夜。
“かずさ”は、梓沙に呼ばれて、人気のない1階のスタジオへとやってきた。
「あずさお姉ちゃん、何かご用?」
小首を傾げる“少女”の言葉は、どこかあどけない印象を与えるが、コレは念の為「“白鳥かずさ”は小学6年生の女の子」という設定にしてあり、それに合わせて演技しているからだ。
──もっとも、最近は演技と意識しなくても、
「来たわね。ようやくアナタの上演用衣装が届いたの。ほら」
そう言って渡されたチュチュとトゥシューズを手にした“少女”は、それを広げて目を輝かせる。
「わぁ♪」
それは、まさに“バレリーナ少女の晴れ舞台のための衣装”だった。
全体の印象は純白。ただし、舞台映えを考慮してか、実際には白ベースに僅かに銀色みがかっている。
素材はシルク──ではなく、おそらく何かの化繊だろうが、すべすべした手触りが、着た時の心地よさを予感させた。
何よりもその形状。
チュチュの特徴ともいうべきスカート部分は、膝上10センチほどのミニ丈で、オーソドックスなフレアスカート状だが、その下にボリュームのあるパニエがふんわりしたボリューム感を出している。
「コレ、着てみていいの!?」
「ええ、もちろん──ソレはアナタのためのモノだもの」
姉の返事を聞くや否や、“かずさ”は、それまで着ていたピンクのレオタードを脱ぎ捨て、チュチュに袖を通した。
ついでに上演用の新品のトゥシューズに履き替える。
着用する前は、わずかに小さめに思えたソレは、実際に着てみると身体にピッタリとフィットしていた。
「うん、ちょうど、イイみたい♪」
ニッコリ笑顔で姉にそう告げた“彼女”だったが……。
──ギチッ……ギチッ♪
突然、身につけたチュチュやトゥシューズが、その体を締め付け始めた。
「ぅっ……な、なに? ……ァッ♪」
苦しい──はずなのに、どこか甘美な疼きのような感覚が身体の芯に奔り、“少女”の口から、妙に艶っぽい喘ぎが漏れる。
次の瞬間、驚いたことに、髪の毛がスススッと伸び始め、肩を覆うくらいの長さになると、ひとりでにシニョンの形にまとまった。
続いて、チュチュから覗く肩幅は狭く、腕は細く、手は小さくなっていく。
さらに、胸も僅かながら隆起し、思春期を迎えたばかりの女の子らしい乳房ができあがる。
最後に、股間から男子のシンボルが消える感覚があり──ようやく一連の変化は収まった。
「い、一体、何が起きたの?」
「ふふっ♪ かずさちゃん、アナタはね、本物のバレリーナになったの」
呆然と呟く少女の肩を、梓沙は後ろから抱き締め、スタジオの鏡の方を向かせる。
「ほら、見てご覧なさい、今の貴女の姿を」
言われるがままに鏡に視線を向けた彼女は絶句する。
鏡の中には、白いクラッシカルなチュチュを身にまとい、ほんのりと頬を上気させた幼くも可憐な、ひとりのバレリーナが立っていたのだ。
* * *
しらとりバレエ教室初のハロウィン上演は、割れんばかりの拍手に包まれ、大成功のうちに幕を閉じた。
久しぶりに舞台に立って無我夢中だった僕──“あたし”も、ミスなく満点以上の出来栄えだったと思う。
上演のあとの打ち上げパーティでも、会場は終始明るく和やかな雰囲気に包まれていた。
「で、今後どうする──ううん、どうしたいのかしら“かずさ”?」
そのあと家に帰って、ふたりきりになったところで、あたしは改めてお姉ちゃんにそう聞かれた。
「どう、って?」
「今なら、まだ“間に合う”ってこと。あの“魔法のチュチュ”を着て48時間以内なら、アレを破り捨てることで、アナタの身体は元に戻るわ」
意外な退路を示されて、ほんの一瞬だけ“僕”だったあたしは戸惑ったけど……。
「お姉ちゃんのいぢわる~、あたしがソレを選ばない──選べないって知ってるクセに」
生まれて初めてバレリーナとして舞台に立った、その記念のチュチュを自分から破くなんてできっこない。
──ううん、それだけじゃない。
一度バレリーナ、それもプリマ・バレリーナとして踊ることの魅力と快感を知ってしまったあたしの答えは、もう決まっていた。
「フフッ、そうね。じゃあ、覚悟しなさい、かずさちゃん。これからもビシビシ鍛えて、貴女を一流のバレリーナにしてあげるから♪」
「うんっ、望むところだよ、お姉ちゃん♪」
あたしたち姉妹は顔を見合わせ、心の底から楽しげに笑いあったのでした。
-Happy End-
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このあと、白鳥姉妹は「新進気鋭のバレエ団の主」と「姉の再来とも言われる天才バレリーナ」として日本国内で頭角を表していくことになります。
説明入れられませんでしたが、上総改めかずさちゃんは、金曜の夜、チュチュを着た段階で、その存在が「白鳥家の長男の中一の少年」から「白鳥家の次女の小六の少女」へと書き換えられており、翌週から平日は小学校に通うようになっています。
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