◆男女雇用数均等法

 つい先日行われた労働関連の法整備の影響を受けて、20XX年、日本ではある馬鹿馬鹿しい法律が成立した。

 「男女雇用数均等法」──その名の通り、一定数以上の従業員(正社員数100名を越えるのが目安だ)を抱える企業は、部課内において、男性社員と女性社員の数を同数にしないといけないのだ(※)。

 ※奇数の場合は、どちらかがひとり多いことは許される。


 「戦後最低の悪法」と後年呼ばれることになるこの法律、無論、国会では反対の声も多かったのだが、なぜかこの法案が通った、通ってしまった。


 そして迎えた新年度、正社員数およそ300人余の中小企業、天海商事に入社した新卒社員、佐藤朱人(さとう・あけひと)も、この法令の“洗礼”を受けることとなる。


 * * * 


 「さて、佐藤くん。明日4月1日から正式に我が社での勤務を始めてもらうにあたって、最終的な意思確認を行いたのだが、よいかね?」


 採用試験の時に始まり、採用が決まって以来、なにかとお世話になっている人事部の山田課長が、書類を手渡しながら僕に尋ねてきた。


 「はい、もちろんです!」


 極力好印象を与えられるよう、僕はニッコリと微笑みながら(意図的に)はきはきと返事をする。


 最近日本の景気が回復傾向にあるとはいえ、この期(三月末日)に及んで、せっかく決まった就職先に、入る前から「やっぱ辞めます」と言えるほど、僕は豪胆じゃないし、その必要性もない(……とこの時は思ってたんだ)。


 この会社には、大学時代の2年先輩も入社していて、その人から「完全なホワイトではないにせよ、ブラックとまではいかないし、社内の雰囲気も悪くない」と聞いてるしね。

 ──まぁ、上層部の社長、会長とか一部役員とかの顔を、全社集会とかでも見たことがないとも言ってたけど。一介の新米社員にとって、お偉方の動向なんて、正直どうでもいいし。


 「では、この入社同意書を読んで、異論がなければサインないし押印してくれたまえ」


 A4サイズの紙に細かい字でびっしり書かれた条項に一通り目を通したが、普通に常識的なことしか書かれてないみたいだ。

 特に問題ないと判断して、僕は押印する。

 ──その瞬間、椅子に座っているのになぜか「クラッ」と目まいがしたような気がしたけど、その感覚もすぐに納まる。


 「うむ。では、キミは明日から我が社の新入社員となるわけだ。ようこそ、天海商事へ。歓迎するよ、佐藤


 * * * 


 本人はまったく気が付いていないが、もしそこ──佐藤朱人が山田課長に渡された書類を読んでサインしている場面を、傍から見たいた者がいたら、驚きに目を見張ったことだろう。

 ごく普通の(少々安っぽい)20代始めの中肉中背の青年が、目に見えて背が縮み、髪が伸び、さらに体型が変わっていくのだから。


 身体だけではなく顔立ちも、元の朱人の面影を残しつつ、顎のあたりの輪郭が丸くなり、目元がパッチリとしてまつ毛も長くなる。よく見れば、唇もやや小さく、それでいて赤みを増しているようだ。

 さらに服装も、ありふれた紺色の男性用リクルートスーツから、同じ「リクルートスーツ」というくくりでも、白いブラウスに黒のジャケット&タイトスカートという女性用のものに変化していた。


 「はい、ありがとうございま……って、な、何コレ!?」


 ようやく本人も自分の“変化”に気付いたようだ。


 実は、彼女になった“彼”が押印した入社同意書には、裏面に小さな文字で、「補則.なお、入社後は法令に基づく社内の規則を絶対遵守する」と書かれていたのだ。


 そして……もうお分かりだろう。つい先程、佐藤朱人が入社に同意するまでは、天海商事の正社員は男性152名、女性が151名だった。当然、男女雇用数均等法に従えば、男性は雇用できない。

 しかし、同意書裏の補則にも“同意”したのだから、“彼”が“彼女”になれば問題はない──というワケだ。


 普通なら、単なる妄言・屁理屈の類いなのだが、どういうワケか、男女雇用数均等法には、同意者を従わせる(要するに性転換する)超常的な異能ちからが伴っていた。

 その影響を受けた人物は、男女問わず普通はある種の催眠状態になり、心身とも“現状”に沿って書き換えられるはずなのだが、ごく稀に“抵抗力”がある者もいる。

 佐藤朱人は、不完全ながら抵抗力があったようだ。


 「おや、珍しい。性別変化に自覚が持てるタイプか。なら、コチラにも同意してもらわないとな」


 少しだけ驚いたものの、山田課長はすぐに落ち着きを取り戻し、ニヤリと笑いながら、別の書類を差し出す。

 その紙──誓約書には、非常に屈辱的な内容が記されていた。


「1.常に美的管理を行い、男性への奉仕を行います。

 2.社外での活動は、会社への報告を行います」


 1は、悪用されれば男性社員の奴隷にされかねない。2もプライバシーという観点から、普通は許されるものではないだろう。

 正気でまともな知性のある人間なら、こんな誓約書を受け入れるはずがない。


 だが、今の朱人──いや、“朱里(じゅり)”は正常な状態ではない。

 渡された誓約書を反射的に受け取った途端、目つきがうつろになり、内容もロクに読まずに、傍らの実印を押してしまう。


 「では、明日からよろしく頼むよ、佐藤さん」

 「ハイ、コチラコソ、ヨロシクオネガイシマス……」


 淑やかな仕草で立ち上がり、丁寧に頭を下げる佐藤“朱里”。


 今後、彼女はこの天海商事で、いったいどんなメに遭うのだろうか……。


 * * * 


 結論から言うと、佐藤朱人改め佐藤朱里となった私は、入社から3年が過ぎた今でも、天海商事で元気に働いている。


 あの奴隷契約にも似た誓約書だが、私が入社して3日目に労基署のガサ入れがあり、無時に回収して無効化されることになった。


 幸いにして私はまだそれほどヒドいメには遭ってなかったのと、会社からそれなりの額の慰謝料が支払われたので、勤めを続けることにした。

 そもそもアレは山田課長ほか一部の人事部社員の陰謀(淫謀?)だったらしいしね(無論、課長ほか関係者は今は塀の中にいるみたい)。


 もっとも、男女雇用数均等法自体は現在の日本では有効なので、未だ私は女性のままなのだけど。


 その効力により、自分が生まれた時から女だったことになった影響で、自分の部屋の家具や小物、タンスにしまわれた衣類にいたるまで、「20代前半の女性らしいもの」に変わっていたことに、最初は戸惑ったけど、一週間もしないウチに慣れた。

 “僕”が持っていた“抵抗力”とやらはハンパなモノだったらしく(そもそも、完全なら肉体的にも女性化しないみたい)、男として生きた記憶と平行して、「女としての22年間の人生の記憶」も、自分わたしの中にあったし。


 女性記憶そちらに従えば、女物の着付けやお化粧、女らしい言葉遣いや仕草も、違和感なく行える。生理時の対処も問題なし!


 ──まぁ、ひとつだけ困ることがある、というか「あった」んだけど……。


 退社後、会社から歩いて2分ほどの場所にあるコーヒーチェーンで、私はある人と待ち合わせしている。


 「すまん、朱里、待たせたか?」

 「いえ、まだ3分くらいだから平気よ」


 早足で歩いてきたせいか、少し呼吸を乱している男性に、ニコリと微笑みかける私。

 私はカフェオレを、彼はエスプレッソを飲みながら、そのまましばし雑談してから、一緒に店を出る。


 実は、“僕”が私になったことの影響で、ウチの会社に先に入社していた大学時代から知己、鈴木先輩さんとの関係も変化して、単なる先輩後輩じゃなく、「大学時代からの恋人どうし」ってコトになってたの。


 不幸中の幸いは、鈴木先輩にも「佐藤朱里ではなく、朱人と交流していた記憶」残っていたことね。

 当事者である私以上に彼も戸惑っていたけど、こちらの事情を説明するといたく同情して、私のフォローをすることを申し出てくれた。


 まぁ、そんな経緯で彼とより「親しく」なった結果……1年もしたら「男女の仲」になってたわ、ええ。


 し、仕方ないでしょ! こちとら、男としての「過去」より女として生きる「現在」の比重が日に日に高くなって、それに伴ってメンタル面も女性らしいものに最適化されちゃってるんだから!


 ちなみに、半年前に無事ゴールインして、今の私の戸籍名は「鈴木朱里」だったりする(会社では面倒だから佐藤姓で仕事してるけどね)。


 「お給料出たばかりだし、せっかくの金曜日なんだから、どこかで外食していく?」


 腕を組んで歩きながら彼にそう尋ねると、彼はちょっと考え込んだ。


 「うーん、それも悪くないけど……俺としては、ちょっとお高めのデリカ買って、家で宅飲みにしたいトコだな」


 続けて耳元でそっと囁いてくる。


 「それにその方が、あとで気兼ねなくベッドで楽しめるだろ、奥さん」

 「! もうっ、清志さんのエッチ!!」


 真っ赤になって非難しつつも、その意見に反対はしない私なのでした、まる。

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