◆適材は適所に

 発病率は100万人にひとりと非常に低確率ながら、その発病後の“患者”に与える影響が極めて大きいことで、話題を呼んだTS病。

 10歳前後から50歳前後くらいにかけての男性にしか発病しないが、いったん発病したら、数日から数ヵ月(タイプにより差がある)かけて、発病者は身体的には完全に女性へと変貌してしまう。

 ウィルスなのか遺伝病なのか、原因はまったく不明。ホルモン投与などで変化を遅らせることはかろうじて可能だが、最終的にはどんなに長くとも1年後には、女性になることは避けられない。


 その社会的影響の大きさを鑑みて、日本でも先日TS病関連の法案が成立した──というニュースは耳にしていたんだが……。


 「まさか自分がかかるなんて思ってもみなかったよ」


 溜息をつく私──遠野由紀(とおの・よしのり)を、学生時代からの恋人で、あと数時間後には“妻”にもなっているはずの女性、泉音雫(いずみね・しずく)がなだめる。


 「まぁまぁ、さすがにあきらめましょうよ。不幸中の幸いで緩慢型だったから、身体が変化しきる前に、あなたの精子を精子バンクに保存もできたんですし」


 現在の技術であれば、数年後に保存された精子を用いて雫が妊娠・出産することは十分可能なのだ──と説明は受けたし、今のような(女の)身になっても、自分の子を抱けるというのは、確かに幸運なのだろう。

 それは、まぁいい。その点については私も納得してるんだが……。


 「なんで、結婚式はれのぶたいで、私までウエディングドレスを着ないといけないんだ!?」


  * * *  


 “あの”後、私の心からの疑問さけびには誰も答えてくれることはなく、時間となって、結婚式はつつがなく(?)執り行われた。

 ──式の間ずっと私の目からハイライトが消えていたことに目をつむればの話だが。


 とは言え、一度はあきらめかけた愛しい女性と、これで正式に夫婦になれた(※TS病関連法はその辺もフォローしている)のだから、この程度の“辱め”は我慢するべきなのだろう。

 そう私も開き直って、披露宴ではだいぶSAN値も回復し、(感動的な親の挨拶に)泣いたり(友人達の出し物に)笑ったりできるようになっていた。

 披露宴中に(新婦の雫すら1回だったのに)2度もお色直しさせられたことも、海より広く山より高い寛大な気持ちで、黙って水に流そう……ちくせう。


 二次会のあと、スーツ(一応レディススーツだが、私は断固としてスカートではなくパンツスタイルを選択した)に着替えて、三泊四日の新婚旅行へと出発。

 本当は1週間くらいは出かけたいところなんだが、主に資金と仕事の都合で、その日程がギリギリだった。

 行先は熱海。「いまどきぃ~?」と言われそうだが、ナメてはいけない。最近は国内新婚旅行のメッカとして人気が再燃しつつあり、それに合わせて現地側も、さまざまな施設や催しを用意してくれているのだから。

 ──もっとも、4日間の熱海滞在中、ホテルの外に出たのは2日目の午後と3日目の日中のみで、それ以外はホテルの中(主に寝室)で過ごしたんだが。


 ふ、夫婦の親交を深めるのも、新婚旅行の目的だし!


  * * *  


 「いってきまーす♪」

 「はい、いってらっしゃい。お帰りはいつも通り?」

 「うん。じゃあ……(chu♪)」


 ──といういかにも新婚さんらしいやりとりをして、家から勤務先である音大へと出かけていくのは、我が最愛の奥さん・泉音雫。

 そして、それを見送る立場にあるのが私、泉音由紀──と言うのが、新婚旅行から帰って来て半年後の我が家の朝の風景だ。

 ちなみに、元は「よしのり」だったけど、TS病後の戸籍の性別変更に合わせて現在は読みを「ゆき」に変更している。

 え? 「苗字が変わってる」? うん、まぁ、雫が(そこそこ名家な)泉音家のひとり娘で、私の方は三男(現・長女)だからね、婿入りしたんだ。


 「とは言っても」


 軽く溜息をつきながら、自らの服装を見下ろす。

 オフショルダーになったニットのミニワンピの下に、ストレッチデニムのスリムパンツを履き、どこぞの女管理人さんが愛用してそうなPIYOPIYOエプロンを着けたこの姿は……。


 「周囲の認識では、どう見ても私の方が“主婦やってる奥さん”だろうなぁ」


 言い訳をさせてもらえるなら、結婚した段階では私だって普通に外でサラリーマンとして働いていた。

 ところが、新婚旅行から帰った1ヵ月後にいきなり勤めている会社が倒産して、無職の身となってしまったわけだ。


 幸いにして、妻の雫は音大の助教授兼それなりに有名なバイオリニストなんで、平均的な同年代の会社員よりも収入が多いから、路頭に迷う心配はない。

 とは言え、一応夫&(元)男としてのプライドもあったんで、私の方もツテを頼って今は母校の高校で週3日非常勤講師として働いている(取ってて良かった教員免許!)。


 ──もっとも、あくまで“非常勤講師”かつ“週3日”だけだから、教師と演奏者の二足の草鞋を履く雫に比べて、私の方が圧倒的に時間の余裕があるからね。

 ふたりで相談した結果、私が炊事や洗濯、掃除などの家事を積極的に引き受けることにしたんだ。実質兼業主夫(!)だね。


 ああ、念のため言っておくと、今は雫の実家の泉音家に、彼女の両親と同居してる“マス夫さん”状態じゃないからね。

 「子供ができるまでは、ふたりきりの甘い新婚生活を満喫してなさい」という義父&義母の有難い思いやりで、義父所有のマンションの一室を、格安の値段で貸してもらってるんだ。


  * * *  


 「えーと、雫サン、本気でこんなカッコで“スる”つもり?」

 「YES、イエス、いえーーす!」


 つきあい始めて6年、一緒に暮らすようになって今日でちょうど一年目を迎える我が妻・雫は、夫の私が言うのもアレだが、淑やかで見目麗しい(もちろん性格もいい)大和撫子系美人だ。


 うん、普段は確かにそうなんだが……。

 今、鼻息をフンフン荒げつつ目をちょっと血走らせている様は、いつもの彼女を知る人が見たら、同一人物とは思わないかもしれない。それくらい「人に見せちゃいけない」表情かおになってる。


 その彼女しずくの視線の先には、奥さんの懇願に負けてコスプレ(?)している私がいるワケだ。

 いや、コスプレと言うか──むしろ「何も着ていない」。正確には、裸身に白いエプロンを申し訳程度に身に着けた姿、いわゆる「裸エプロン」と言うヤツだ。


 そりゃあ、私だって(元は)男のハシクレだ。

 雫との結婚が決まって以降、結婚後に彼女にこんな格好してもらいたいなーとか妄想したことがゼロだとは言わないさ。

 でも……。


 「なんで新妻じゃなくて夫の私が、裸エプロンの実演してるんですかねぇ!?」

 「えー、だってユッキーにとっても似合ってますよ? まさに食べちゃいたいくらい」


 あ、こら、そんなこと満面の笑顔で言って、手をワキワキさせながら近づいてくるんぢゃないッ!


 「よいではないか、よいではないか♪」


 まるで悪代官かセクハラ親父みたいなノリで迫ってくるマイワイフ。

 それに対し、「あーれー」と時代劇女中風の悲鳴をあげるべきか、「アッー!」と発声不能な声を漏らすべきか──なんてどうでもいい事に悩んでいるあたり、結局私もこの状況シチュを心底嫌がってはいないんだろう。


 ──その夜は、たいそう“燃え(向こうは萌え?)”たことを追記しておく。



【その後……】


 「それじゃあ、かんぱーい……って言っても、これ、ノンアルコールのシャンパンモドキですけど♪」


 結婚して3年目のクリスマスイブの夜、由紀と雫の泉音夫妻(どちらが実質的な“妻”かはさておくとしよう)は、自宅でソファに寄り添うように腰かけながら、御馳走に舌鼓をうっていた。


 「ま、仕方ないよ。この状況でアルコールはあまり好ましくないし」


 苦笑しつつ、由紀はそこそこ大きくなってきた“自分の”お腹に目をやる。


 「それにしても、まさか私の方が妊娠&出産することになるとはなぁ」


 簡単に経緯を説明すると、ふたりの結婚生活も順調に3年目に突入したことで、そろそろ子供を作ろうかという話になった。

 精子バンクに保存してあった男時代の由紀の精子を雫の卵子に受精させ、雫の子宮に無事に着床させたまでは良かったのだが……。

 その半月後に、バイオリニストとしての雫に思いがけない大舞台の話が舞い込んだのだ。


 妊娠以後は仕事をセーブして、4ヵ月めからは産休をとるつもりだった雫は、悩みつつも断ることを考えていたのだが、由紀がそれに待ったをかけた。


 「こんなチャンスは下手したらもう二度とないんだろう? だったら……」


 由紀は、自らが代理母(?)として、雫の胎内から取り出した受精卵を自分の子宮で預かり育むことを提案したのだ。


 「イクメンは近頃の風潮だろ? そもそもこの子の“父親”は私なワケだし」


 そう言って笑う由紀の好意に甘えて、雫はウィーンを皮切りに世界数ヵ国を巡るツアーへと参加し、順当に音楽家としても名声を築くことに成功する。


 ──ただ、あまりに有名になり過ぎた(日本のマスコミでも「美し過ぎるバイオリニスト」として大人気になった)結果、そう簡単に仕事を減らすことができなくなったのは誤算だった。

 当初の予定では日本に帰国した雫の子宮に再び受精卵を戻す予定だったのだが、色々あって数ヵ月が過ぎ、ついに由紀が自分達の子をそのまま孕み産むことになったのだ。


 「ごめんなさい、ユッキー。わたしのワガママで……」

 「いいんだ。初期の頃は悪阻とかちょっと厳しかったけど、最近はだいぶ落ち着いてきたし。それに……」


 少しずつ目立ち始めた自らの腹をそっと撫でながら微笑む。


 「“母になる実感よろこび”って言うのかな。私も少しずつそれがわかってきた気がするんだ」


 慈愛と誇りに満ちたりたその表情は、元男だったとは思えぬほど優しく、そして美しかった。

 自らのつまのそんな様子を見た雫は、心の中に湧き上がる深い愛情のままに由紀の肩を抱き寄せて、その唇を奪う。


 「んッ! んんん……♪」


 一瞬驚いたものの、すぐに気を取り直し、素直におっとの口づけと抱擁に身を委ねる由紀。


 「もぅ……いきなり過ぎるゾ♪」

 「すみません。でも、貴女のそんな表情ようすを見ていたら、我慢できなくて」


 ちなみに、雫の中に湧き上がった“愛情”には、「愛欲」とか「劣情」とか呼ばれるような成分もたっぷり混じっていたりする。


 「仕方ないなぁ♪」


 口では渋るようなことを言いつつも、由紀の方も(先程のキスで火が点いたのか)両手を雫の首に回し、熱っぽい目で今度は自分からキスをねだる。


 長いキスの後、どちらからともなく抱き合いながらソファに倒れ込み──結局そのまま聖夜が「性夜」になったのも、まだ若いのだから仕方ないのだろう。


……

…………

………………


 そして数ヵ月後、由紀は無事に玉のような女の子を出産。

 2年後には今度は雫が男の子を産み、さらに翌年には再び由紀が双子を胎内に(今度は最初から)宿すことになった。

 四人の子供を育てるのはなかなか大変だったが、仕事を辞めて専業主夫(?)となった由紀は巧くそれを成し遂げている。


 「ねー、ユキママぁ、ウチにはどうしてパパの代りにママがふたりいるのー?」

 「あははは、それはね、私が本当はママじゃなくてパパだからだよ♪」

 「???」


-おしまい-

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