導大寺高校出身伝説のアイドル朝霧夕都使用済みリコーダー捜索研究会の結論

杉林重工

0-1 或る夏の日

 残暑厳しいこの日に、煙草の影が鬱陶しい。いよいよ堪らなくなって、おれは扇風機を爪先で小突き、角度を変えた。


「おい、やめろよ」


 さっそく苦情が飛んできた。知るか。おれは無視してノートのページをめくった。


「煙いだろ」


 煙の発信源がそう言った。


「じゃあ他所でやってくれ。会室で吸うな」


「駄目だ。怒られる」


「ここでわざわざすることもないだろ」


 せめて家でやってくれ。


「嫌だ。家だと怒られるだろ」


 お前いくつで、一体何を言っているんだ、とは思った。だが、かっこつけたいという気もわかる。おれも興味がないわけではないのだ。


「だとしてさ、こっち向いて吸うなよ」


 おれにだって同情するぐらいの共感力はある。問題はおれが煙いことである。配慮してくれるなら、煙草を吸う場所ぐらいは貸してやろう。


「いんや、嫌だね。お前こそ、そんなものは家でやれ。ここはおれの場所だ」


「うるせえ。おれは勉強してんだぞ」


 前言撤回。こいつに同情する余地はない。宿題の邪魔なのでさっさとご退席願おう。


「家でいいじゃん」


 そういって彼はすぱー、と煙を吐いた。どっちが、だ。机の上のノートや教科書に臭いが移りそうだ。


「集中できないからわざわざ会室まで来てるんだよ。煙草なんてどこでも吸えるだろ」


「そうもいかないんだって。わかるだろ?」


 家族の目でも気にしているのだろう。はあ、とおれはため息をつき、


「だとして、ここで吸うなよ。一応学校だぞ」おれは注意する。


「桜木だって吸ってるしいいだろ」


 こいつはそういって机の上の灰皿に吸殻を突き刺した。もちろんこの部屋、この研究会で煙草を吸う不届き物はこいつしかいない。おかげで、彼がもってきた、貰い物らしい立派な巨大灰皿に、誰も片づけない吸殻が山盛りになっている。火事でも起きたらこれが出火原因だろう。


「桜木先生が吸ってるからって吸っていい理由にはならん。なら先生と一緒に吸ってこい」


「やだ。桜木は嫌いだ。あいつのことは家族ぐるみでよく知ってるけど、いい奴じゃない」


 偏屈な奴である。


「会長、おれはお前を買っている。だからこうして顔を出しているんだ。文化祭の出し物の申請だって、おれが全部やっておいたんだぞ」


 なんとも上から目線の奴である。だが、確かに文化祭の対応を一手に引き受けてくれたのには感謝している。おれはそういうのが苦手だ。その点ではこいつの有用性を認めてやってもいいとは思っている。


「確かに、それは助かった。おかげで準備も捗ったしな」


「だから煙草とお前の勉強の妨害ぐらい許せよ」


「それは無理だ。出てけ」


 やはりこいつは認められない。やはりこいつ、ここに煙草を吸いに来ているだけである。この研究会が『くだらん』活動内容であることは承知しているが、それにしたって邪魔されてはたまらない。


「いいだろ。どうせほかの会員だってほとんど活動に興味ないんだし。ここにいるのはお前とおれだけじゃん」


 それはそうであるが、おれのような優良生徒は、勉強して宿題を終わらせる義務がある。自分のように堕落させようと、妨害目当てで来る奴は邪魔なのだ。そして、いくらくだらないと世間では思われていようと、この研究会を馬鹿にされるのも実は、癪に障る。


「確かにどいつもこいつも不良会員だが、それをペイペイに言われたくはない。来年には会員だって」


「そんなわけあるか。もうこの部活もそろそろおしまいだって。見ろ、誰もこの部屋に来ない……」


 ペイペイが、悔しいがあまりに真っ当なことを言おうとしたその時。


 それは暑さの続く今日この頃、暑さと煙さ渦巻く部屋で起きた、幻覚とも幻聴にも思える出来事だった。


 ――コンコン。


 ノック音である。扉の向こうに誰かいる!


「マジか。やべえ、先生か?」


 まだ火をつけたばっかりの煙草を慌てて口から話したペイペイは、それを吸殻の中に突き刺して隠した。澄まし顔をしたって無意味である。


「馬鹿、灰皿ごと隠せ」


 コンコン。


 もう一度ノック音。そこで違和感があった。巡回してる先生や、遊びに来た会員なら、問答無用で開けてくるはずだ。


「誰ですか?」


 慎重におれは扉の向こうに訊ねた。その隙に、ペイペイは吸殻の山を灰皿ごとゴミ箱に突っ込んだ。落とされた灰皿はごん、と鈍い音をゴミ箱に響かせる。さらにペイペイはその上から会員募集の余ったチラシや、誰かが置いていった小説を突っ込んで隠している。


「えっと、わたしは」


 女の声だ。


 こんな気持ち悪い研究会ではついぞ縁のない高らかで澄んだ声に、おれは鼓動が早まるのを感ず。会員はもちろん、先生でこんな若い声の人はいなかったはずだ。やっと吸殻を隠蔽したこのヘビースモーカーは、背筋を伸ばしてこちらを見ている。何緊張してるんだ、こいつは。二人して、扉の向こうの女性の反応を伺う。少し間を置いて、相手は答えた。おれたちは唾を呑んだ。


「入会、希望者です」


 暑さにやられたであろう、悲しき若人が一人増えのかと思った。と、同時に、これから起こる、あまりにもどうでもよくてくだらない、長い長い日々の始まりだとは、このとき誰一人として思わなかったのである。

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