7-1 会長の冒険1

 あれだけの時間と、人間が探し求めたリコーダーがうっかり見つかるだなんてことは早々にない。

 とはいえ、今のおれに時間はなかった。ペイペイにあらかじめ頼んでおいた警察官への質問は、興味深かったが、勿論リコーダーを見つけるには至らなかった。あとは、おれにできるのは強硬手段だった。さすがに浜井さんに迷惑をかけるわけにもいかない。浜井さんのいない間に、全部おれがやってしまえばいい。時刻は昼。まだ、大丈夫だ。そのはずだ。

 松平宅は確かこっちだったよなあ、と記憶を頼りに歩く。あとは井戸端会議をしているおばちゃんに、松平さんの家はどこですか、なんて聞いたらすぐだった。いい顔はされなかったが仕方ない。急いでいるのだ。

 一軒のアパート、メープルガーデン松平。

 わかりやすくて結構。

 おれはアパートの一階から順に名前をチェックする。このアパートはほとんどが空き家で、住んでいるのは一人か二人と聞いている。

 幸いなことに、一階に松平の名前を見つけた。さっそく玄関口の辺りや郵便受けを漁ってみるが、合鍵は残念なことに入っていなかった。そう何度もうまくはいかないようだ。おれは、アパートの裏手に回ると、一階のベランダスペースをの柵をしばし見上げ、そしてそれに手をかける。えいや、と中に乗り込むと、持ってきたショベルで窓ガラスを叩き割った。やむなしである。おれには証拠と状況を正確に把握する必要がある。

 だが、割ったのはなるべく小さい範囲だ。窓の鍵部分だけ。おれはそこから手を突っ込み、解錠する。あとは紳士的に窓を開けた。煙草臭いカーテンをかき分けて中に入る。

「うっわ」

 おれは思わず声を上げた。どちらかというと悲鳴である。なぜか。

 滅茶苦茶見られているからである。それも、一人二人ではない。否、一人か。

「これは、間違いないな」

 独り言。おれは薄く呼吸して心拍数を抑えようと努める。この部屋中に、ポスターが、レコードジャケットが、掲示されている。ブロマイドが貼られている。勿論見知った顔、朝霧夕都の物だ。大量のアイドルグッズが六畳程度の部屋に所狭しと貼られている。そのすべての瞳がおれを見ているように錯覚する。あいつめ、やっぱり朝霧夕都のファンだったか、という悪態は飲み込んだ。

 一瞬、靴を脱いだ方がいいかという、しょうもない躊躇いが生まれる。おれは靴を外に置き、ガラスを避けて中に入った。

 荒らすのを躊躇われる部屋だったが、おれは意を決する。箪笥の引き出しを丸々一本づつ引き抜き中身を確認する。押し入れを開けてその中身をひっくり返す。

「やっぱないか」

 あれば苦労しない。おれは狭い台所に行く。冷蔵庫が薄く唸っている。中には、ビールがあった。こいつめ。台所上の棚を開けると飲みかけの酒瓶がひとつあった。食器棚はこの狭い家にない。洗い物を置くスペースにグラスや茶碗、箸などかおかれている。シンク下のスペースにも炊飯器の中にもリコーダーはない。

 玄関まで行って靴箱などをひっくり返してみたが、やはりない。おれはほとほと困って居間のテレビ前に座りこんだ。いい気なものである。一人暮らしとはかくも気軽なものかと思った。机の上には雑誌と灰皿、そして、煙草。おれは雑誌をどかす。すると、その下からブックマッチが出てきた。やはり、と確信する。だが、これはすでに知っていることだ。今更特筆すべきことでもない。

 なんだかどっと疲れてきたので、水ぐらい拝借しても怒られないだろう。おれはそう思って立ち上がり、台所からグラスを拝借し、水道水をなみなみ注いでごくごくと飲んだ。と、ここで一つ、疑念が浮かんだ。まあ、そうでなくてはならない法があるわけでもないが、この家にはグラスが一つしかない。

 まあ、一人暮らしなんてその程度、なんていわれてしまったらそこまでだが、違和感はある。底面にはどこかのブランド名も

あるし、安物、というわけでもないだろう。実家にあるだけかもしれないが。

 まあいい、松平宅の秘密を知れただけでも成果である。早々に帰って、別の方法を探ろう。おれは鞄からノートを取り出し、グラスの底面のマークを鉛筆で転写すると、早々にこの家から出ることにする。

 窓のベランダスペースにでると、壁に立てかけていたショベルを手にし、そして、アパートの住人と目が合った。否、アパートの住人ではない、さっきまで井戸端会議をしていた主婦の一人だ。

「僕は、松平さんの友人です」

「そう」

 幸い、おば様はこの圧倒的不審者に対し、状況を飲み込んでいる最中らしい。おれはこの隙に、と言わんばかりに柵を超えて地面に足を突き、足早に立ち去った。

 リコーダーがあれば御の字だったが、成果はあった。そう、犯人の目星はついた。うまくいけば、この盛大な茶番を解き明かすことができるかもしれない。

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