13-1 浜井ヨコとノート
やっぱり、このお屋敷は高校生には早すぎると思った。
「浜井さん、お待たせしました」
そういってわたしを出迎えたのは、三十代ぐらい、だとは思うが、正直女子大生でも通じるような女性だった。ペイペイ先輩がうらやましくなるほどだった。ウチのお母さんも少しは見習った方がいいと思った。
「初めまして、平太郎の母です。息子がいつもお世話になっております」
「浜井ヨコです。こちらこそ、そんな」
嘘である。大分世話をしてやっていると思った。否、世話はないが大分迷惑を被ったのだ。
わたしは松平邸に再び上がっていた。前に訪れたときはペイペイ先輩が狂言誘拐をした時だった。その帰り際、ペイペイ先輩のお父さんから、渡したいものがあると言われていたのが気になっていたので、こうして再びこの邸宅を訪れたのである。
本当は、家に帰って事件を整理したいところだったが、その前に、ということである。今、先生はなんとかして氷川のスマホを開ける方法を検討しており、わたし達は待ちの状態になっていたことも大きい。
わたしは以前に通されたときと同じ客間にいて、ふかふかの座布団と、そして今にも動き出しそうな生命力あふれる巨大な座卓を前にしている。違うのは、ただ湯気を立てているだけなのに凄まじい香ばしさで鼻孔をくすぐる緑茶があること。
「この前は息子がとんだ失礼をしました。わたしは所用で出払っておりまして、ご挨拶が出来ずすみませんでした」
「いえ、気にしないでください」
わたしは首を振った。
「それで、こちらが、夫から預かっていたものです」
そういってペイペイ母は、持ってきた紙袋から、数冊のノートを取り出した。
「これは、なんですか?」
「ノートです」
見たまんまだよ、とはさすがに突っ込まない。
「平太郎の曽祖父が大事にとっていたものです。わたし達で勝手に整理していた時に見つけたものです」
わたしはノートを受け取り、ぱらぱらとめくった。なんだろう。小説だろうか。ペイペイ母はわたしの行動を静かに見守っている。なんだろう、と思ったが、そうしているうちにわたしは見逃せない言葉を見つけた。
「あの、これは、どういうことですか?」
「気づきましたか」
ペイペイ母は少し困った顔をした。
「このノートには、執筆者の名前がありません。処分しようにも、何となく捨てづらく、ほとほと困っていたのですが、先日浜井さんのお名前を伺い、夫はピンときたそうです」
「確かに、浜井って人が出てきますね」
ノートをめくりながらわたしはいった。しかも、リコーダーの話をしていないか。あまりにも恐ろしい。手が震え始めた。一体何が起こっているというのだ。預言の書か。
「もしも曽祖父の話をしているなら、四十年ほど昔の話になります。ですが、その時はまだリコーダー研究会はなかったと聞いていますので、このノートの著者はわかりませんでした。でも、もしも、浜井さんのご家族が当時この辺りにお住まいでしたら、何かご存じではないかと」
「それはわかりませんが……父か、祖母に訊いてみましょうか」
「そうしていただけると助かります。もしも、浜井さんのご家族が持ち主なら、そのままお持ちいただいても構いません」
ペイペイ母は軽く頭を下げた。
「わかりました。なにかわかったらお伝えします。それよりも、というか、あと、ついでというのは何ですが……」
ノートも興味深い。だけど、わたしはさっきから、否、実は前に一度来た時から気になっていることがあった。
「この灰皿、なんですか?」
わたしは卓の上の灰皿を指差した。ペイペイ先輩狂言誘拐事件の時にも、冠がごとく堂々と置いてあったので印象に残っていた。
「これは、夫の曽祖父が還暦を迎えたときに記念で作らせた灰皿だそうです」
「そうなんですか。これ、よくあるものなんでしょうか。学校で見たことがある気がするんです」
「それはどうでしょう。とても煙草が好きだったそうで、還暦にちなんでこれは六個しかないそうですよ」
「じゃあ、学校にはないですよね。すみません」
わたしはなんだか恥ずかしくなって顔を伏せた。
「学校というのは、導大寺高校ですよね。曽祖父は導大寺高校で教壇に立っていたので、あるかもしれませんよ」
「え。そうなんですか?」
思わず顔を上げてしまう。
「はい。そのノートに話を戻しますが、それに出てくる、よく煙草を吸う松平は、平太郎の曽祖父で間違いないといっていました。夫はおじいちゃん子だったので、煙草を吸っていたのをよく見たそうです。あと、その灰皿の五つの行方は知っていますが、最後の一つは夫も知らないので。確かに、学校に持って行って使っていた可能性はあるんじゃないでしょうか」
わたしの額に脂汗が浮かぶ。やはりだ。わたしは、知っている。これが、文芸部の部室にあったことを。そして、なんとなく最近見かけない気がすることを。
「それ、お借りしていいですか」
わたしは気づいたらそんなことを口走っていた。
「お返しいただけるのなら……いえ、今更誰も気にしないので、いいと思います。うちにもう煙草を吸う人はいませんので」
「ありがとうございます。全部終わったら必ずお返しします」
「そうですか。では、そのとき、お願いします。あと、ノートについても」
「はい。家族に訊いてみます」
こうして、わたしは数冊の怪しいノートと、巨大なガラス製の灰皿を手に入れたのである。
文芸部で、気づいたらなくなっている気がする灰皿。氷川先輩の事件の当日、宿直していた、文芸部によく出入りしている天文部の顧問。わたしの中で不気味な歯車がゆっくりと回転を開始した。
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