6-9 バーとかキャバクラではない

 わたしと会長は、そういうわけで上寺元まで行き、マネージャーさんに教えてもらった喫茶店へと足を向けた。曰く、いつもそこにいるそうだ。バーとかキャバクラじゃないんだ、とわたしは思ったけど言わなかった。高校生というものは中学生とは違い、思ったことはほいほいと口にしないものなのだ。

「バーとかキャバクラじゃなくてよかったですね」

 でもこの会長は言うやつである。でもまあ、例えば文藤さんの前じゃないから良しとする。

「そうですね。さすがに生徒は入りずらいので」

 よしとしたので同意してあげるわたし。

「ところで、柏木サンって、本当に見ればわかるんですかね」

 それよりも、最大の懸案事項をわたしは言う。そろそろ喫茶店である。わたし達はグーグルマップを頼りにその場所を探していた。

「それはもう、信じるしかないので」

 会長はいたって冷静に言う。否、よく見るとスマホ持ってる手、震えてない?

「それより、浜井さん、本当についてきてよかったんですか」

「なんでですか」

 わたしは聞き返した。

「泣きそうなので」

 わたしも同類だった。目を擦ると、制服の袖が薄く濡れて線を引いた。わたしも大概恐くなってきていた。

「ここですね」

 わたしはごまかす様に言った。わたしの指す先、ナイトクルーなる喫茶店があった。上寺元は大きなデパートがあったり、ゲームセンターもあったりするのでたまに行くが、まるで気づかなかった喫茶店だった。確かに、あっち系の人が好みそうな目立たない外観である。中の様子を見たかったが、どの窓もすりガラス、しかも位置が高いので全くわからなかった。

 当然自動ドアなどない。ほとんど意味のない細い窓のついたドアを開けるしかない喫茶店を前に、その凝ったドアの取っ手を、握るか握らないかで会長は硬直していた。否、震えたまんまなので硬直とも言えないので表現に困る。

「あの、会長」

「わかってます」

 会長はがっしとドアを掴んで、えいと開いた。ちりんからん、というベルの音に会長は小さく跳ねた。わたしは驚いて、うぐっ、と新しいタイプの悲鳴を上げた。

 唾を飲んで会長は左右を見渡しながら中に入る。完全に挙動不審だが、もうそれを気にする段階ではない。わたしもその後ろから続く。喫茶店なんてスタバしか行ったことがないので、てっきり注文してから座るものかと思ったが、どうもそうではないと察す。これはファミレス方式らしい。

 内装は、外観と違わず木製のアンティークなテーブルや、渋い赤の、ふかふかの背もたれが印象的な椅子で整えられていた。ソファも深くどっしりとしていて、あれに座ったら寝落ちしかねないぞと思う。そうして少し落ち着いてくると、店に入ったときは気づかなかった、なんだか高級そうな煙草やコーヒー、そして香ばしい油の匂いのがわかってきた。さらに、わたしの知らない謎の歌謡曲が流れていて、なんだか、雰囲気のいい、良店な気がしてきた。

「あ、あ……ああ……」

 もちろんそれは、情けない会長の悲鳴とも嗚咽ともつかない声を聞くまでの話である。別に会長が悪いわけではない。

 マネージャーの文藤さんは、柏木サンのことを、見ればわかる、といっていた。その言葉、これに嘘はないということがわかった。会長はわたしより一秒ほど早くそれを理解しただけに過ぎない。

 のちに会長は、柏木サンという人物のことをこう描写した。

 ――北大路欣也と渡辺謙を足して年齢は四十~五十代ぐらい。

 なんだそれ、と甲谷先生には怒られたが、実際こんな感じだと思う。二人とも顔濃いめなんだけど、足すしかなかった。割らないで余った一人分はなんとなく圧として空気を支配している。なんかそういう感じだった。気になる人はぜひナイトクルーを訪れてほしい。わたしは二度と行かないが、多分毎日あそこにいると思う。あと、しいて情報を追加するなら、左頬にがっつり傷が一本いってるあたり、この辺りのド田舎とはいえ、ジェスチャー通りの人なんだろうなあ、とわたしは思う。

 その人は、店の奥で静かに、しかし独特のオーラを発して座っている。眠っているわけでもないし、かといってスマホをいじったりしているわけでもなく、ただ座っている。何をしているか意味不明すぎてそれはそれでなかなかの恐さだ。

「会長」

 わたしは小声で呼びかける。

「わかってる」

 震える足で会長は前を歩き、わたしは自然と会長の制服を掴みながらその後に続いた。

「ああああああの、こんにちは」

 会長があまりにも可哀想な声かけをする。

「……」

「……」

「……」

「……なんだ」

 何なの今の間。

「ぼ、僕は、アキモト、キュウタロウと言います」

「え、え?」

 突然会長は堂々嘘の名前を言った。怖気づいたのだろうか、情けない男である。

「わたしは、は、う、ウジマツ、ヨ、コです」

 会長と違って、わたしの発言に嘘はない。将来的にそうなる可能性があるからだ。

「柏木様で、御間違いないでしょうか」

「なんの用だ」

「ご、ご相談があります」

「……なんだ?」

「友達が、何も悪いことをしていない友達が、井手口さんという人に捕まっています。助けていただけないでしょうか」

「井手口? 誰だ」

 かわいそうに。

「えっと、敷島さんという人の下にいるそうです」

「ああ、敷島のか」

 柏木は静かに頷いた。

「座れ。立ってると店の迷惑だ」

「ありがおとうございます」

「ありがうとございます」

 わたしと会長は言われるままに柏木の前の席に座る。

「ここは? 誰から聞いた?」

「それは、言えません。約束したからです。申し訳ありません」

 会長は意外に仁義を通した。

「それで、僕の友達のことなんですが」

「本当になにもしていないなら、確かに悪いな」

 思ったよりも話が分かる人だった。

「だが、あいつが意味もなくお前たちのオトモダチに何かするとも思えない。どうだ」

 その顔は、完全にこちらを不信がっているのがわかる。否、これは脅迫でもあると感じた。全部正直に喋れ、と言っているのだ。

「氷川さんのことをご存じでしょうか」

 会長はそう切り出した。

「氷川?」

 柏木サンが聞き返す。

「詳しくは知りませんが、井手口さんから、氷川さんが探していたものと交換だ、と言われました。ですが、氷川さんが自主的にそれを探していたとは思えません。その、上司である、柏木様のご意向を、伺ってからにしようかと思いまして」

 どんどん圧に屈しへりくだる会長。仕方ないとは思うけど。

 そして、会長は鞄に手を突っ込む。一瞬、会長はわたしを見た。わたしは顔を伏せつつ、柏木サンの様子を注視した。会長はついに鞄から、リコーダーを取り出した。ビニール袋に入っている。

「これが、氷川さんが探していたものです。どうでしょう、か」

 会長の声は震えている。今更ながらに、わたし達の結論はこうである。やっぱり、氷川先輩が自主的にリコーダーを探していたとは思えない。そして、氷川先輩に指示を出せるとするなら、柏木サンしかいない。と、なれば、真にリコーダーを探しているのは、今目の前にいるナイスミドルのオジサマ、柏木である。

「それは……」

 その表情、わたしは正解と取った。

「どうでしょうか。こちらは、柏木様へお渡しします。どうか、わたし達の友達を助けてはいただけないでしょうか」

「これ、どうやって手に入れた」

 そのドスの効いた声色に、逸った、とわたしは内心頭を抱えた。後はこれを渡して、柏木サンが敷島なり井手口に電話してペイペイ先輩は解放される、はずだった。

「これは、僕たちの学校にあるぺろぺろリコーダー捜索研究会という研究会の会室に厳重に保管されていたものです。実は、リコーダーはかなり昔、先輩たちの手で、学校のどこかから発見されていたそうです」

 会長は落ち着いてそういった。もちろん嘘である。

「だから、これは本物と伝承されている、朝霧夕都使用済みリコーダーです」

 その言い方はシンプル気に持ち悪いな、とわたしは思ったが言わなかった。

「ほう」

 柏木サンは顎に手を当て、会長の手の中のリコーダーを眺めた。

「貸せ」

「はい!」

 会長は素早くそれを差し出した。ビニール袋越しにリコーダーを見る。

「ふ」

 そして、柏木サンはそれを一笑に付す。

「これは偽物だな」

「そ、そ、そ、そうなんですか」

 会長はしらばっくれた。理由は不明だが、バレてしまった。わたしは内心絶望した。これでは井手口は止まらないし、おかげでわたしの危機が去らない。

 柏木サンは静かにそれを会長に返した。

「なんでこれを氷川が探していると思った」

「え、その、本当に探していたからです。学校には、リコーダーを探した先輩たちの資料がたくさんあります。氷川さんはそれを丁寧に読んでいたので」

「あいつ、そういうところがやたらとまじめだったからなあ」

 柏木サンは思い出したように少し笑う。

「確かに、これはおれが探させた。だが、別にこの、朝霧夕都のファンだとか、そういうわけじゃない」

「はい」

「これは、おれが昔やり残した仕事だからだ。若いころだったがな」

「は、はい」

 会長は上ずった声で相槌を打つ。

「そうか。だけど、まだ、本当に見つかっていないのか」

 どこか、懐かしむように柏木サンは言う。

「多分だが、井手口が探しているのはこれじゃない。これは、おれに渡そうと、井手口に渡そうと、オトモダチは助けられんな」

「ナンデデスカ」

 会長はカラッカラの声で訊ねた。

「氷川は、氷川の両親はおれに借金があった。氷川自身はバカ真面目で、顔もなかなか悪で通るし、前からよさそうだとは思っててな。たまたまあいつの親が死んだとき、ついでにこっち側の手伝いをさせてやってたんだ。借金はいい口実になった」

 しれっと怖いこと言わないでください。

「だが、急に借金を返せる、って、あの事件の前に連絡があってな。これを見つけたって話じゃなかった。あいつは自分で稼げる口を見付けたんだろう。それが井手口の欲しがってる、探しているもの、だ」

「そんな……」

 会長から弱弱しい声が漏れる。わたしもそうしたかったが、頑張って飲み込んだ。そんなわたし達を見て、多少は同情してくれたのだろうか。

「あいつのスマホは見つかったか?」

 と柏木サンは訊ねた。

「スマホ、ですか」

 会長に代わってわたしが訊ねる。

「そうだ。警察でも見つかってないし、おれ達の仲間も見つけていない。どうせ、大した内容は入ってないのはわかってるが、井手口だったら喜んだかもな」

「スマホに、井手口さんが欲しがっている情報が入っている、ということですか」

 なんで警察も見つけていないことを知っているのか、という質問は飲み込んだ。

「そうだ。どうせ大した内容じゃないだろうが」

「なんでわかるんですか」

「あいつは賢い。そんな簡単に証拠が残るようなことはしないだろう」

「そうですか」

「ただ、おれも少しは気になる。なにせ、事件の何日か前にあいつは、スマホを買い替えたがっていたからな」

「本当ですか」

「本当だ。でも、事件と関係あるかはわからないな」

「買い替えたんですか?」

「いや、変えてないだろう。金の工面ができないからおれに相談したんだろうしな。壊れたとうるさかったが、画面が割れた程度じゃ問題ないだろうし。買ってやってもよかったが、連絡はできたし、なんであいつが買い替えたがっていたかはよくわからん」

「そうですか。スマホは、知らないです、よね?」

 会長はわたしを見る。

「ない。スマホは持ってない、です」

 会長はそう答えた。残念だ。

「じゃあ、無理だな。早く帰れ」

「あの」

 突き放すような柏木サンの言葉に、会長の腰はすでに帰ろうとしていたが、わたしはついそういっていた。

「なんだ」

「あの、氷川先輩って、柏木サンから見て、どういう人でしたか」

「別に。地味で暗いやつだ。初めて会った時も家の隅でずっと本読んでたしな。だけど親父譲りで体格はよかったから、この仕事には向いてると思ってたぜ」

「そうですか」

「なんでそんなこと訊く」

 小説のためとは言えまい。

「事情がいろいろおありだとは思うのですが、氷川先輩は凄く真面目にリコーダーを探していたみたいなので、どうしてだろうって」

「そりゃ、あいつがバカみたいに真面目だからだ。便利なぐらいだ。リコーダーの話は、おれが少し酔ってて気分がいい時に、つい探せ、なんていっちまったのが悪かったな」

「深夜に、学校に忍び込むぐらいですよ」

「それくらいする。知らないか、おれが気分でちょっとあいつら締めろっていたらあいつは何の躊躇いもなく、見たことないやつだって『シめる』からな」

 そういえばそうでしたね。サッカー部部長の話を思い出した。かわいそうな井手口。

「そうですか。ありがとうございます」

 その一方、なにかわたしの疑問は違う気がした。氷川先輩はまじめにリコーダーを探していたが、なんだろう、真面目過ぎる、否……言葉が出なかった。

「いいか? ならもう帰れ」

 もう少し粘りたいところだったが、ふと見た柏木サンの眼光に逆らえなかった。

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