10-3 浜井ヨコの結論3

「ごめんなさい、先生」

 わたしは謝った。

「それは難しいと思います」

 そして、はっきりと伝えた。

「何を言ってるの、浜井さん。わたしが犯人です」

 坂岸先生が嚙みつくように言う。でも、わたしは首を横に振った。

「氷川先輩は百七十後半ぐらいのがっちりした体格です。その先輩の後頭部を灰皿で殴ることができるのは、さすがに宇治末部長だけですよ」

 わたしは落ち着いて伝えた。先生には基本的に無理だ。

「でも!」

「もういい」

 部長が静かに言った。

「竹代、もういいんだ」

「……」名前で呼ぶなよ。

「そんな、茶男」

 坂岸先生が涙声になりながら部長の名を呼び、肩を掴んだ。が、部長の名前と先生の絵面のせいで台無しである。だけど、なんでだろう、目が潤む。もちろん感動ではない。どうしてだろう、悔しみである。

「浜井さん、正直言って、動画が出てきた時点で僕たちの負けですよ。調べられればいずればれる。僕は結局、坂岸先生が天文部の顧問だったから捜査を免れていただけだ。こういうとき、僕は今、ここで全部自白すればいいのかな、君の小説的に」

「は、はい」

 うるせえ、聞きたくねえ、とは言えなかった。

「僕はね、モテるんだよ」凄い切り口で語り出す宇治末茶男。

 そして、知ってることを改めて言われると、こんなにびっくりするのか、と思う。否、部長に、宇治末茶男にその認識があることに驚いたのだ。

「でもさ、みんな馬鹿すぎて話にならない。知性がないんだ。会話も、僕に期待される発言も、全部が薄い。つまらない。どいつもこいつも本の一冊も読まない、賢さのかけらもないやつらばっかりだ。うんざりだよ。そういうやつばっかり僕の周りに集まるんだ。気づいたら、僕は嘘ばっかりつくようになっていた。しかもね、浜井さん。僕は嘘をつくことに何も思わなかったんだ」

 あまりにもいつもの彼と異なる雰囲気が、口調が飛び出し、わたしの背筋が凍った。

「でも、そんなときに竹代と出会った。竹代は違ったんだ」

 竹代って呼ぶのやめてもらっていいですか、という言葉をゲロと一緒に飲み込むわたし。

「いつもみたいに、何も考えずにボケ散らす僕に、大丈夫? 嘘をつかないで、って、声を掛けてくれたんだ。知的だとわかったよ。彼女こそが僕の、唯一の理解者なんだ。だけど、竹代にはもう家族がいる。でも、僕は自分を抑えられたなった。だから、こんな事件になったんだ」

 あー、もういい、もういい。

「あの日も、竹代と密会していた。実はね、その一週間前にうっすらと気づいてはいたんだ。帰りに文芸部のドアが開いていたからね。それで、氷川の事件の日、ドアに注意したら、気づいたんだ。あいつが廊下にいたことに」

「……」

「そっから先は勢いだったよ。棚から一番手軽な武器、あの灰皿で氷川を殴った。そしたら動かなくなった。冷静じゃなかったね。でも、竹代と会うために普段から防犯カメラに引っかからないルートは意識していたから、体が勝手に動いたよ。それで、氷川を外に棄てた」

「……ダイイングメッセージは」

「僕が、氷川の手を使って描いた。事件が混乱すればいいと思って」

 それだけは、悔しいが狙い通りだった。

「あとは、浜井さんの言う通りだ。氷川のスマホと、灰皿はばらばらに砕いてトイレに流した。血の付いたタオルとかも、そうだ。多分もう見つからないだろう。処分したから、僕の目立つ証拠は見つからないはずだ。確かに僕にアリバイはない。でも、僕は捜査線上には浮かばない。だって、竹代はあくまで、天文部の顧問だからね」

「わたし以外に、部長と先生の関係を知っている人は、ほかにいないんですか」

「いないと思うよ。竹代もここに来るのは慎重にってお願いしてたし。ほかの先生もね、竹代は犯人かもしれないからって近寄らないんだってさ。冷たいよね。だから、誰も知らない。現に、僕に捜査が及んでいないのがその証拠だ。警察は今でも竹代の動向を伺ってはいるが、学校の中までは追っていない。まさか、僕たちがこうして会っていることなんて想像もしていないんじゃないかな」

 確かに、警察が学校の中を歩いているのを見たことはない。いたら、わたしの不審な行動など筒抜けで、そのうち怒られていたかもしれないし。

「校内に警察はいません。学校側から断ったんです。学校も、警察が中を歩くのにいい顔をしていません。生徒に不安が広がるのもそうですし、学校だけで治安を守れなかったという印象は嫌みたいでした」

 先生が変なフォローを入れた。

「でも、竹代が日に日にやつれるから、こうして、文芸部に招いてケアをすることにしたんだ」

 ひどすぎる。わたしは空気か。

「大胆でしたね」

「だって、浜井さんってさ」

 部長はふっ、と笑い、

「馬鹿じゃん」

 と、あまりにもひどい評価を口にした。そしてわたしはすぐさま口を押えた。ついに危なく色々でそうだったからだ。

「本のカバーの下に漫画隠して読んだり、人の写真バシャバシャとって、何が金色の天上を翔ける純白のフラミンゴだよ、笑っちゃうね」

 宇治末は冷笑する。それ、結構キくからやめてもらっていいですか。わたしは目を強く擦った。

「あと、覚えてるかな、実はさ、上寺元の病院で一度会ったことがあるんだよ。浜井さんがさ、病院の男子トイレに泣きながら入ってきてさ。馬鹿以外のなんだよ。変態か? 気持ち悪い」

 覚えてくれてたんですね、という感慨を通り越し、もうなんだか、今もまた泣きそうなんですが……

「その後のことも覚えてるかな。急に泣き始めてさ、正直、何言ってるか一つも聞き取れなかったよ。興味ないけどね」

 まじかよ。ある意味、今日一ショックである。我慢しないで泣こうかな。

「だからさ、事件の犯人になってくれないかなって思ったんだ」

 そう、それを聞こうと思っていたけど忘れてた。すぐに涙が引っ込んだ。そうだ、こいつは凶悪な犯罪者なのだ。

「そうです。なんで、わたしをわざわざ事件に巻き込んだんですか」

 もしかしたら、このまま放っておけば、部長は逃げ切れたはずなのだ。

「警察は、いまだに竹代を尾行している。僕だって誠心誠意ケアしていたけど、竹代の精神にも限界があった。それに、そもそも、このままいけば、何かのはずみに竹代が犯人にされてしまうかもしれない。そうなる前に、別の不審者を立てようと思ったんだ。それに、君がこの部室から出て行けば、もっと竹代との時間ができるからね」

 なんだこいつ。ひどい話である。

「氷川と同じ、文芸部。しかも名前が浜井だ。ぺろぺろリコーダー捜索研究会の面々が不審者がるに決まっている。でも、思ったよりも刺激になったみたいだね」

 部長はそういってノートを指差した。

「はい。おかげでいろんな知り合いが増えました」

「警察の目が、必死で氷川の謎を追いかける君に向けばいいな、と思ったんだけど、まさかこんなことになるとは」

 部長は天井を見上げた。

「氷川のスマホさえ見つからなければなあ。まさか、二個あるとは思わなかった。わかっていたら、もしかしたら浜井さんをけしかけるなんてしなかったかもしれないし。否、そもそも、僕が怖がらずに、もっと確実にやっていればよかったんだ。多分、気が動転していたんだと思う。きちんと氷川を確認すればよかったんだ。それを、なんども殴ったから満足してしまったんだ」

「確かに、一番大きかったといえばそうですけど。でも、いずれ気づいていたと思います。遅かれ早かれ、坂岸先生がヒントになったはずです」

 いろいろとあったが、甲谷先生から宿直の話が訊けたことも大きいと思う。

「そっか。そうかもね。でも、やっぱり、一番の誤算は、君がまさかこんなに働くとは、ってところかな。思ったよりも賢かったんだね」

「嬉しく、ないです」

 わたしは正直な気持ちを口にした。

「あと、一つだけ教えてくれる?」

「なんですか」

「このノート、いくつか、君のじゃないのが混ざってるでしょ。誰が書いたの? 筆跡も違うし、しかも、なんか古くない?」

 部長は、わたしが差し出したノート群を指した。

「はい。灰皿ついでにもらってきました。著者は、内緒です」

「どういうこと? なんで混ぜたの?」

 部長は、本当に不思議そうに首を傾げた。

「なんででしょうね」

 わたしは下を向いた。顔を見られたくなかったからだ。

「それは、自分で考えてください」

「そうか。ゆっくり考えるよ。しばらく暇そうだし」

「もう、いいですか、宇治末先輩」

「うん。もう、いい。浜井さんは?」

「大丈夫です……これが、わたしの結論です。あとは、お願いします」

 わたしの声を聞き、文芸部部室にノック音が響く。返事を待たずに入ってきたのは、ぺろぺろリコーダー捜索研究会の面々だ。

「大人しく、一緒に警察に行きましょう」

 万田会長が静かに言った。

「わかった。せっかく小説の犯人になれたんだから、無様なことはしないよ」

 そうしてくれると助かる。多分、本気を出されたら、会長とペイペイ先輩、金木、そして甲谷先生では止められないからだ。

「僕が車で連れていく。坂岸先生も一緒に来てください」

 甲谷先生が声を掛ける。坂岸先生は、気づいたら泣いていた。それでも頷いて了承した。

「そうだ、浜井さん」

 宇治末は去り際、わたしを呼んだ。

「なんですか」

「氷川良哉殺人事件って名前は、やめたほうがいいよ。最後のトリック、それで成立しなくなっちゃうからね」

 一瞬何のことかわからなかったが、よくよく考えるとその通りだった。ついうっかり、そのままにしていた。

「そうですね。変えます。ありがとうございます」

「いいよ。いい作品にしてね」

 そういって、今度こそ宇治末部長は部屋から出て行った。そうして、文芸部部室には、わたし以外誰もいなくなった。

 それを確認すると、わたしは静かに文芸部のドアを締め切り、深呼吸する。足が、全身がまだ震えている。でも、終わったのだ。わたしは、やりきった。見たか、あの全てを諦めきった宇治末茶男の顔を。ボロボロと泣くことしかできない坂岸竹代の惨めさを!

「やっ! あああっ、たぁあああああああっ!」

 わたしは絶叫した。呼吸が苦しい。心臓は跳ね回り踊り狂う。脈が速い。全身が熱い。なんだろう、煮えたぎるようなこの高まりは!

 対照的に、緊張が解けたからか、膝ががくがく震える。仕方ないのでゆっくりと床に座り込んだ。自分の両肩を抱いて呼吸。落ち着けるように努力する。まだ怖がっている自分と、狂喜する自分、二人いるようだった。相反する自分が一つの体の中で、今にも溢れ出しそうになる。押さえつけるために肩をもっと強く抱くが、ダメだ、限界だ。

「やったああああああああ!」

 わたしはもう一度吼えた。ついでに、床をばんばんと叩く。

「やった、やった! やった!」

 さらに何度か歓喜の声を上げ、そこでようやく落ち着いてきた。

「ああ、はあ」

 わたしは天井を仰いだ。

「人を、人を追い詰めるって!」

 そうだ、わたしは今、最高に、

「滅茶苦茶楽しい!」

 叫んだ! どんな瞬間でも、この気持ちには代えられない。初めての感情だった。こんなに楽しいことがあるなんて、考えてみたこともなかった。

 叫んで、叫んで、漸く呼吸も心臓も落ち着いてきた。まだだ、まだなんだ。

 そして、わたしの視線の先は、もう、次の対象に移っていた。それは、部長がさっきまで読んでいたノートの束。

 そう、わたしが片づけないといけない事件はもう一つある。そのために、もう一人、問い詰めないといけないのだ。犯人だ、犯人を捕まえろ。

「――甲谷先生、待っていてくださいね、訊きたいことが山ほどありますから」

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