12-7 朝霧夕都
「遅かったですね。何かありましたか?」
ショベルを片付けたおれを、会室で浜井さんは元気そうに迎えた。大して会室にも来ていないだろうに、我が物顔で安楽椅子をぎーぎーと言わしていた。機嫌がよさそうだ。
「体調は大丈夫ですか」
「はい。もう大丈夫です。少し動きすぎたみたいです……どうかしましたか?」
浜井さんは不思議そうにこちらを見ている。顔に出ているに違いない。いろいろ考えたが、やはりおれは素直に、
「これを見つけました」
といって、背中側へ隠していたものを取り出した。
「それは……」
浜井さんはそれに見入った。
「リコーダーです。朝霧夕都と書いてあります」
そういっておれはリコーダーの入った袋を揺らした。
「じゃあ、それが朝霧さんの!」
そういって彼女はリコーダーに飛びつこうとした。おれは、袋をひょいと持ち上げてそれを躱す。少し不満そうな顔を彼女はする。
「偽物でしょうね」
おれはため息をつく。
「なんでですか?」
浜井さんは首をかしげる。
「これは、偽物ですよね」
おれはもう一度言う。
「違います! 本物です!」
彼女とおれは静かに見合った。否、睨みあった。
「誰かのいたずら、という線とかは」おれは訊ねた。
「あー……あるかもしれませんが……」
「ないとは思いますが、同姓同名かもしれませんし、早合点はよくないですよ」
「いえ、そんなことは、いいじゃないですか!」
彼女は大声を出した。
「よくないですよ」
「じゃあ、なんですか。そう! 指紋とか、そういうのでわかると思います!」
「そうですね。きっと、朝霧さんの指紋が出るでしょうね」
「そうです。そうに決まっています。ペイペイに、先生に言えば、警察にお知り合いがいるなら、きちんと調べてもらえばいいんです」
「でも、そうなると、不都合が出ませんか」
「何が……」
「朝霧夕都って、名前が彫ってあるのがおかしいんですよ」
そういって、おれはじっと浜井さんを見つめた。こういうとき、びしっと決められたらよかったのだが、おれにはできそうになかった。指摘、をしてしまうことに躊躇いがあった。
「……会長は、思ったよりも意地が悪いですね」
「すみません。探偵を気取ってもいいのですが、あまり気分がよくないですね」
ミステリー研究会に入るくらいだ。おれだって探偵に憧れたことはある。否、憧れているといってもいい。だけど、だからといって、彼女に、彼女が隠そうとしていたことを暴くのには抵抗があった。
「わかりました。こういえばいいでしょうか。わたしは、浜井タテコです。この学校の名簿にもそう書いてあるでしょうし、お役所にもそう登録されていると思います。でも、きっと、多くの人は、わたしのことを、朝霧夕都、と、呼ぶと思います」
「……」
「そうです。わたしが朝霧夕都です」
彼女の背が、華奢な体が、より縮んで丸く見えた。その様子を見て、漸くおれは残酷なことをしてしまったことに気付いた。
「すみません。そういうつもりではなかったのですが……」
「いえ。全部わたしが悪いんです」
浜井さんはそういってしゃがみこみ、顔を伏せた。
「あの、ごめんなさい、意地が悪かったです」
「いいんです。わたしが、馬鹿でした」
心なしか鼻声になっている。
「泣いて……」
「そうですよ。でも、会長は悪くありません。わたしが、わたしがあまりにも愚かなことに気付いたんです」
こういうとき、気の利いた一言でもいえればいいのだが、おれの頭にはすぐさま、その通りだよ、という考えが先行してしまい、言葉に詰まった。
「なんで、とか聞かないんですか」
「聞いていいんですか」
「……」
「なんでこんなことしたんですか」
埒が明かないのでおれは訊ねた。
「わたし、結婚するんです」
「え?」
思わず変な声が出てしまった。
「元から決まっていたんです。お相手は、随分前に父が決めていました」
おれはしばらく言葉が出なかった。漸く絞り出た言葉は、
「そう、なんですか。えっと、それで、どうして……」というふわふわしたものであった。情けない。
「わたし自身はそれに悪い気はしていません。東京の人たちの中には驚く人もいましたが、わたしにとっては普通のことですから。いわゆる、田舎だから、ということです。アイドル活動は、父と、相手の方が許してくれたわたしの最後の、それと、初めての我儘です」
「は、はい……」
「アイドル活動も、もうじき終わります。ファンの方には申し訳ないことをします。思ったよりも人気が出てしまって、周りも家族も驚いているんですよ。わたしはただ、ずっとこんな田舎町だけじゃなくて、都会の素敵な所を見て回りたかっただけなんですが」
この時だけ、浜井さん声が明るい気がした。顔も見えないしうずくまったままなので反応に困るが。
「それで、えっと、何の話でしたっけ」
「リコーダーです」
「そうでした。引退についても準備が進んでいて、周りの方のご協力のおかげで、きれいさっぱり、辞められそうだったんです。今年導大寺に帰ってきたのも、もう戻ることはないかもしれないからです。あ、高校に、という意味です。制服も、お仕事ではきたことがありますが、導大寺高校のはほとんど初めてなんですよ。でも、もう終わりです。きれいさっぱりする予定でした。それなのに……」
言いたいことは、わかる。
「誰ですか。わたしのリコーダーを盗んで騒ぎ立てたのは!」
浜井さんは床を叩いた。
「あれが残ってしまったら、わたし、心残りです!」
「だから、見つけようとした……否、無理矢理リコーダーをでっちあげて、事件を終わらせようとしたんですね」
「そうです。学校のパンフレットでミステリー研究会を見つけて、この人たちが見つけたら、きっとみんな納得すると思ったんです」
「なるほど」
そういうしかなかった。かなりバカにされている気がしたが。
「随分前から仕込んでいたんですよ。こっそり学校に忍び込んで、周りの目を盗んであの物置の鍵を壊しました」
思ったよりアクティブなことをしていたらしい。
「リコーダーは東京で作ってもらいました。といっても、名前を彫ってもらっただけですが」
「なんで朝霧夕都にしたんですか」
「見つけてもらうためです。浜井タテコじゃ誰にも伝わりません。でも、一週間たってもニュースにもならなくて。誰も見つけなかったんです」
「だから、ミス研に」
「そうです。だから、リコーダーは浜井タテコじゃ駄目だったんです」
「鍵までかかっていた場所なんて探しませんよ。せいぜい一回確認したらそれでおしまいです」
「……でも、そうじゃないと、今更見つかったって言う信ぴょう性に欠けるというか……」
確かに今更植栽の中から出てきてもそれはそれでおかしいのもわかる。探していないとすれば、鍵のかかった場所、と考えるのも悪くはないが。
「会長は、いつからわたしに気付いていたんですか」
「最初っから気付いてましたよ。アイドルだってことを忘れすぎです」
おれは真っ当なことを口にした。
「それに、浜井さんは体育教官室や桜木先生のことにもピンと来ていなかったようなので。桜木先生も、朝霧夕都は入学以来、結局学校に来ていないといっていたので間違いないと思いました」
「そうですか」
「あと、ペイペイがこっそり教えてくれました」
「やっぱり、嫌な先生ですね」
「それはその通りです。ミス研の会室で煙草を吸いに来るようなやつです」
「やっぱり。初めてここに来た時から煙草臭かったんですよ」
「すみません」
おれはなぜか謝った。すると、ふふ、と小さな笑い声が彼女から上がった。
「ありがとうございます」
浜井タテコはすくっと立ち上がった。が、顔は伏せている。
「すっきりしました。これだけ探しても見つからないんです。リコーダー、貸してもらえませんか」
彼女の言う通りにリコーダーを手渡した。彼女はそれを受け取ると、袋から取り出し、リコーダーを咥えた。そして、それを思いっきり、ピィィーッと鳴らした。思わずおれは耳をふさぐほどの下手な音だった。
「これで、これは本物の朝霧夕都のリコーダーです。会長、これで事件を解決したことにしてください」
袋に戻すと、彼女はそれをおれに突き出した。
「受け取れません」
「お願いします。これが、朝霧夕都の最後の心残りなんです」
「いいえ。朝霧さん、約束します」
今思えば、これは全く冷静でなかった。
「本物のリコーダーは、おれが必ず見つけます」
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