1-3 浜井ヨコ3

 運命の再会を果たしたわたし達だったが、いくつか驚くべきことが判明した。

 品行方正眉目秀麗明眸皓歯、立ってるだけでも風光明媚、光源氏もかくやな歩く人間空気清浄機、それが文芸部部長の先輩だったが、わたしの知りうる限り二つの欠点があった。

 まず一つ、名前がダサい。

 部の慣習らしく、まるで剣道や柔道の道場のように、部員の名前が書かれた札が部室の壁に吊るされているのだが、その部長の個所に、『宇治末茶男』と書いてある。そう、この常時天然スポットライトを当てられているとしか思えない、生まれながらの人類の主役である彼の名前は宇治末茶男である。あまりにも可哀想だった。宇治抹茶を彷彿とさせるあまりにもあほらしい名前。そして、両親が悪いのか何なのか、勿論名前の読み方はチャオである。チャオってなんだよ。少女漫画か。わたしと結婚して婿入りしていただいても、チャオだけはどうにもならないのがもどかしい。何事もバランスというものがあるが、部長の場合はそれが名前であった。

 そして何より、最悪中の最悪なのが、

「先生! お疲れ様です!」

 部長は素早く入室者へ声を掛ける。相手は坂岸竹代先生である。

「お疲れ様。本当にいつも元気ね」

「それはもちろんです! だって先生とこうしてお会いできるだけで! 僕はどこまでも幸せですから! 択捉から鹿児島まで一本ですよ!」

 ビックリマークの数を考えていただきたい。なんと、わたしとの会話では一本も出てこなかったそれが乱立している。

「もう、いつもおばちゃんのこと持ち上げてくれてありがとう。今日ね、また昆布茶持ってきたの。みんなで飲みましょ」

「もうそんな、ありがとうございます! 先生の昆布茶で一億人の命が救われます!」

 会話せい。会話を。キャッチボールして! 頼むから! 本を閉じて項垂れるわたしに、

「どうぞ。浜井さん」

 といって先生から昆布茶が振る舞われる。人それぞれだろうが、わたしはこれが苦手だ。別に先生が悪いわけではない。おいしいが、こいつがお茶面しているのが理解できない。これは属性的におすましや御御御付だろう、と思うだがいかがだろうか。

「いやあ、いつも先生の昆布茶はおいしいです! なんていうかこう、僕はこれのために文芸部に来ているようなものです! 幸せだなあ!」

「もうほんと、宇治末君は褒め上手ね。おばさんにそういっても何も出ないわよ」

「もう出てます! 出まくってますので大丈夫です!」

 何がだよ。わたしはそう思いながら、ついに現実から逃げるため、机に突っ伏した。

 もうお分かりだろうが、これが部長最大の難点である。部長はどうみてもこの坂岸竹代先生が大好きなのである。一応紹介しておくが、坂岸竹代先生は導大寺高等学校の理科の先生である。ふんわりとした性格とまあまあ生徒に甘いお陰で生徒からも慕われている。しかも、こう見えて才女だそうで、今でも大学時代の研究を続け、どこかに偉い論文を載せているらしいから驚きである。わたしだって、文芸部に入部していなかったら嫌いな先生ではないと思う。

 そして、これがある意味最も重要なのだが、この坂岸先生、別に美人でも何でもないし、本当に四十代後半の、美魔女ですらない、まあ本人もそういっている通りの、普通の小太りのおばちゃんである。なのに部長はこの先生へありったけの矢印をぶつけまくっているのである。もうね、正直見てらんない。

 こうしてわたしはフルオート失恋をしたわけだが、一度入った部活をおいそれと抜けるのもなんとなく心苦しいうえ、この場にいる誰もに罪はない。皆が皆、無意識のうちに起こした悪意ゼロパーセントの地獄なのだ。幸いなのは、先生が既婚者であることと、部長の大好きアピールを悉くそのぽややんとした雰囲気で受け流していることだった。ド天然VSド天然という奇跡のカードが永遠の引き分けを演じ続け、わたしはそれを眺めながら、部長の心が折れればチャンスないかなー、なんて期待しているのである。

 ちなみに、文芸部にはもう、部長とわたし(一年生)、それから三年生が三人しかいない。部長は二年生なので部室に顔を出すが、残りの三年生は受験なので見たこともない。実はわたしが入部したころは部長目当てで少しは部活もにぎわっていたのだが、結局誰もが先輩の天然ボケについてこれなかったようで、夏休みを目前として、彼女らの名前が書かれた札はその下の段ボールに目いっぱい格納されてしまった。そして、チャンスだと思った矢先、部長はこの部屋で坂岸先生といちゃつきだしたのである。(部員が減って、みんな寂しいと思って、と坂岸先生は言っている。顧問の先生だかか何だか知らないが、いらん世話である)だが、でも、多分きっと、耐えに耐え抜いたわたしならば、チャンスはある、はずなのだ、が。

「あー、先生、美しすぎます、そう、その角度、あああああ!」

 さっきまで安楽椅子に座っていた部長はそこに先生を座らせてスマホで連写を始めた。バシャシャシャシャシャシャ、うるさいよ。

「もう、おばさん撮っても面白くないでしょう?」

「って、思うじゃないですか! 僕、人生一楽しいです!」

「本当に宇治末君ってお上手ね」

 前言撤回、もう駄目かもしれない。心が。わたしの。折れそう。

「ところでさ、浜井さん」

「はいっ! はい?」

 急に部長から名前を呼ばれて背筋が伸びる。しかし、今の流れで自分の名前が呼ばれたことに、反射で返事をしても、脳がついていかなかった。

「わたし、呼ばれましたよね」

「うん、呼んだ」

 部長はいたってまじめにそういった。

「文集の準備、大丈夫?」

「文集?」

 わたしは首を傾げた。

「文芸部って毎年、文化祭の季節に文集を出すでしょ。原稿ちゃんと進んでるのかなって。ほら、もう九月だし」

 部長は壁に貼られたカレンダーを指差した。

「え、なんですか、それ」

「言ったじゃないですか。ほら」

 そういって部長は鞄の中からプリントを取り出し見せつけてきた。そういえばもらった気もするが、もらっていない気もした。二千二十二年度導大寺高等学校文芸部文集作成のお知らせ、とある。

「もしかしたら、文芸部も今年で最後かもしれないから、今年の号にはOBOGの先輩も寄稿してくださるんだよね。浜井さんにも、唯一の一年生としてすごいの期待してるんだけど」

「え? あ? はあ?」

 変な声しか出ない。文集? 原稿? 意味が分からない。わたしが、書くの?

「もしかして、やってないの?」

 怒っている風ではないが、部長は静かにそういった。

「は、はい……」

 わたしは正直に返事した。

「困ったなあ。文芸部のことは僕が全部任されてるから、顧問の先生は何も言ってこないんだけど」

 部長はちらりと坂岸先生を見た。

「なんでもいいから、ささっと書いてくれればいいよ。文字数は最悪、少なくてもいいし。僕がなんとかするから」

 部長の顔にしかし、うっすらと影が差した。申し訳ない。

「あ、あの、どんなことを書いたらいいですか」

「なんでもいいよ。ちょっとした短編小説とかで。ジャンルも好きな奴で大丈夫。あ、浜井さん、そういうの好きなの?」

 そういって部長は、わたしの持っている本を指差した。

「は、はい、まあ」

 部長からのおすすめだったが、もうそんなことすら覚えていないのだろう。

「ハードボイルドだなあ。期待したいけど、難しそうだよね」

「はい、まあ」

 わたしはまず、この本の厚みからして心が折れたのは内緒だ。とりあえず、中身が違うことがばれないように、わたしはこっそりとそれを机の下に逃がした。

「せめて、ハードボイルドじゃなくって、何か別の……」

 部長は困り顔で唸った。

「あ、コナンなら自信ありますよ」

 わたしはついつい、そう口走った。部長の困った顔をこれ以上見たくなかった気持ちがあった。

「あ、本当? ホームズ読むんだ。僕も小学生のころ読んだな。ミステリーか。でも、これも難しくないかな」

 ミステリー? ホームズ? それが指すものがシャーロック・ホームズであることに時間がかかった。わたしが言いたいのは名探偵コナンのほうである。アニメは見たことがあるから、つい言ってしまっただけなのに。

「そうだ、想像して書くのは大変だし、実際の事件とか取り扱ったらいいんじゃない?」

「実際の事件?」

 わたしは聞き返した。

「ほら、夏休みに学校で事件あったでしょ。あれを取り上げてミステリーっぽくすればいいと思うよ」

「事件って……」

「もしかして、氷川君のこと?」

「そうです先生! さすが鋭いです! 名推理!」間髪入れずに部長が褒める。

「氷川君の名前を伏せて、架空の学校で起きたそっくりな殺人事件として取り上げれば大丈夫。それで行こう」

 部長はあっさりとそういった。

「いや、殺人事件は、いいんですか?」

 その事件はわたしも知っている。だけど、不謹慎すぎやしないか。そもそも、学校で起きた殺人事件なんて内容、書いてよいのか。わたしは思わず恋敵である先生の顔を見た。

「いいんじゃない? だってこの部屋、そんな感じだし」

 先生は飾り棚を指差した。この文芸部には、本もたくさんあるが、それ以外にも、小説執筆の資料になりそうなアイテムがたくさんある。どこかの民族衣装や高そうな扇子、謎の楽器、造花、シルバニアファミリー的なミニチュアのお家セット、そして金属バットや押すと刃が引っ込むナイフ、モデルガンやバールのようなもの、麻袋や高そうな食器、でかくて頑丈そうな花瓶が仕舞われていた。

「そうそう、事件を調べて、凶器はその中の奴を……でもオリジナリティがなくなるから気にしなくてもいいかな」

 部長はそういって、窓際の棚を漁り、

「実は氷川君についてはとっておきの情報があるから、ヒント、あげよっか、って思ったけど、自分で調べた方が面白いかな」

 といって手を止めた。なんだよ。

「図書室に行ったら新聞はあるだろうし、学校からの説明が読みたければ、家の手紙を読めばいいよね。それでどうかな。いい作品が掛けそうじゃない?」

 ほんとに? 本当にそういっているのか、この男は。

「え、あー、はい。頑張ります!」

 だけど、わたしは流されるままにそう言ってしまった。

「じゃあ、これは僕からのプレゼント」

 そして部長は鞄から一冊のノートをわたしに突き出した。思わず受け取ってしまう。それは、何も書かれていないまっさらなノートだった。これに小説を書け、ということだろう。わたしはパソコンなんてさっぱりだからだ。

「じゃあ、今日から取材頑張って。困ったことがあったら聞いてね」

 突き放された様に感じたが、部長はどこまでもニコニコだった。悪意はないのだろう。恐ろしい人だ。でも、わたしはこの氷川君殺人事件をまとめるにあたり、最大の懸案事項をぶつけた。そう、この事件には一番触れたくない要素が一つある。


「あの、ぺろぺろリコーダー捜索研究会には、正直、関わりたくないのですが」

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