第8話 霧原接那、高校生になるの巻!

 一人の少女は一人の選手に憧れた。


 少女とその人物の出会いは、テレビで中継されていた高校サッカー選手権の試合映像の中だった。

 全国大会で、群馬県代表として初出場していた学校と、優勝候補の学校との対戦。

 試合は前評判通り、1-0と優勝候補の宇良高校が先取していた。


 優勝候補のチームはかつてイタリアのサッカーで主流だったカテナチオを戦術として用いていた優勝経験のあるチームを破った強豪だ。


 クロスをあげられやすくなることが難点であるため、通常であれば早いセンタリングで得点するチャンスは生み出せる。しかし、当時のリベロを担っていた長身の5番の道畑康生みちはたこうせいはその弱点すら補っていた。


 道畑は、強豪大学からのスポーツ推薦を貰えるほどの実力者だった。本来は、Jリーグからも声はかかっていたが、顧問の教師から「どうせ年俸が低すぎるラインから始まるし、辞めとけ辞めとけ」と言われ断っているほどだ。


 そんな選手が在籍するチームを、宇良高校は県予選決勝で破っていたのである。


 つまり、土俵が違うのだ。

 今季初出場のチームとは天と地の差があるほどに、格が違っていたのだ。


 この時点で勝者は明確であったため、観客や偵察に来ている強豪校は帰り始めていた。そんな頃だった。2人の選手が途中出場した。


 解説者も知らない、無名の小柄な選手。誰も知らないその選手が出場した直後、会場はどよめいていた。


 ここは全国高校サッカーのトップを決める祭典。その中で思い出作りの選手を出すなんて正気の沙汰ではないのだ。ざわざわと観客席がざわめきだす。そんな状況を気にも留めず、背番号27を付けた高校生はピッチの中へと入っていく。


 そして、歴史に残るような場面が生み出された。

 身長差のある5番と対峙した際、彼は相手の重心が右足によっていることを見抜き、左に行くと見せかけてから瞬時に右へ躱した。俊敏な動きをする27番に躱された12番は目を一瞬見開いた後、後を追いかける。


 次に待ち構えていた3番に対しては、背中を当てると同時に重心をかけてマルセイユルーレットで躱した。小柄な男が抜いていく姿を見た群永高校ベンチに座る選手達は立ち上がり、「行け――!」という大きな声を出す。


 3人目のDFを躱しペナルティエリアに侵入していくと、最後の1人が立ちはだかる。その人物は、左SBからCBの位置まで来ていた入江だった。


 入江はシュートコースを切りつつ体の大きさを活かしボールを奪おうとする。それに対し、27番は足裏でボールを後ろに引きながらゴールから下がっていく。入江の狙いは味方が戻り数的優位を作り出すことだった。この時点で、目論見は上手く行っていた。


 しかし、入江が想定していなかったプレーが直後起きた。

 一瞬だけ視界を切った27番が目の前から消えたのだ。

 入江の脳裏に、最悪な光景が浮かぶと同時に彼は後ろを振り返る。


 視界に入ったのは、シュート体勢に入った27番だった。今なら、ファールを犯せば止められる。そんな言葉が脳裏に浮かぶ。しかし、彼は手を出さなかった。


 一瞬の迷いが脳裏に走ったからだ。

 

 迷いにより、生まれたのは――


 絶叫とも思えるような歓声だった。


「決まったあああああああ! 流星の如く現れた27番、荒畑宗平! 今、このサッカー界に歴史を刻むスーパーゴールが生まれましたぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 途端に、響き渡るのは絶叫とも思えるような歓声だった。

 たったワンプレイ。出場してからワンプレイで27番の男は観客全員を魅了した。

 観客の中に、とある気持ちが沸き上がる。


 もしかしたら、自分たちは伝説を目撃するんじゃないかという高揚感だ。

 凄いプレイを見ることが出来た観客達は次々と、群馬県代表の学校名を連呼し始めた。手拍子も合わさり、優勝候補のチームがまるでアウェーで戦っているような感覚にすら陥る。


 だが、奇跡という物はそんな簡単に起きるものではなかった。

 野太い声の解説者が試合が切れると同時に冷静に口に出す。


「おぉっと、これはどうしたことでしょうか。先ほど交代した選手が自らの胸を触りながら倒れているようです。顔も青くなっていますし、貧血なのでしょうか。主審も試合を中断し、選手の元へと駆け寄ります」

「ちょっと心配ですね――試合に出ていなかったですし、コンディションに問題があったんでしょうか――」


 平均的な男性の声より少し高めな解説者の方がそういうと同時に、カメラが切り替わる。

 そこには、先ほどのシュートを決めた選手がうつっていた。

 胸を押さえ仰向けになりピッチに倒れているその人物の顔色は非常に悪かった。唇を青くし、足を痙攣させながら荒い呼吸をしている。


「ベンチに座っていた監督は、審判に対し交渉をしていますね……あっと、担架が出てきました。どうやら、異常事態のようです」


 直後、テレビには出場する選手がアップする姿が映される。

 その後、倒れた選手がテレビに映ることはなかった。


 たった一瞬。2分間で行われたプレイ。

 A代表の試合とか、J1、海外リーグでもないアマチュア選手権。

 そんな中でひときわ輝くプレイをした彼に彼女は、一目ぼれをしてしまった。


 ――那


 ――接那


「……ふぇ?」


 私は体をちょんちょんと指で触られる感触が頬に伝わった。太陽のポカポカとした陽気に身を包まれた私のモードは眠りにつきたいと脳が叫んでいるがそれを無視して起きて欲しいというお願いが伝わっているように感じていた。


 私が自分が両腕を机に付いて寝ていたことに気が付いた後、大きい伸びをする。

 先ほど思い出していた間隔が夢だったと認識した。


「う―――ん」


 そして2回、3回と瞬きを行った後で私は先ほどの夢が懐かしいと感じていた。

 何せ、あの記憶は私、霧原接那がサッカーを始めたきっかけだったからだ。


 そうして体を起こすと視界に入るのは国語の教科書に愛用している筆箱とシャーペンだ。私は体を起こしてから目を再度2回擦り、意識を覚醒させようとしていた。


「接那」


 私はが意識をぼんやりと覚醒させている中、隣にいる女性が声をかける。

 声が聞こえてきた方向を振り向きながらその人物を確認した。


 その人物は、私の友達である市城香苗いちしろかなえ、通称かなちゃんだ。


 かなちゃんは長いまつげと肩までかかるほどに長い黒髪、くりりとした大きな目が特徴の女子高校生である。容姿端麗、学業優秀、更には面倒見が良いしっかり者である。そのしっかりとした態度から中学時代は生徒会の副会長を務めていたほどだ。


 かなちゃんは顔を赤らめつつ、先ほどまでうたた寝していた私を覗き見ている。

 その行動から、私はかなちゃん起こしてくれたのだと理解することが出来た。

 

「ありがとう、かなちゃん。起こしてくれて」


 私がかなちゃんへ笑顔でお礼を言うと、かなちゃんは口元を緩ませながら「ありがとう」と言葉を口にする。しかし、その後の言葉で私は今の状況を理解する事になる。

 

「別にいいけれど……次、接那の番だよ。教科書の59ページ」

「……へ?」


 私はかなちゃんにそう言われてから周りを見渡した。その瞬間、現在授業が行われていると理解することが出来た。授業中に転寝を噛ますとは何たる素行不良少女なのだろうか。私は恥ずかしさのあまり頭の中から湯気が噴出しそうになった。


 教室にいる生徒達が私のことを様々な表情で見つめている。表情はそれぞれ違っており、笑みを浮かべている者もいれば、睨んでいる者もいた。そして、彼らに共通していたことは彼らが全員現代文の教科書を使用していたことである。


 「ま……まさか……」

 「そのまさかだよ、霧原」


 私が首を機械のように曲げつつテンプレ通りの反応をすると、一人の男性が仁王立ちしながらテンプレのような返答を返す。

 私が目線を向けようとしているその先には、一人の先生が立っていた。


 ボーイッシュな髪形に、鋭い猫目。深緑色のネクタイに紺色のスーツを乱すことなく着こなしている。その先生の名は、水上茂みずかみしげる。高校1年生の現代文の担当教員である。水上は頭を右手で搔きつつ、はぁとため息をついた。


 「霧原……さては寝ていたな?」

 「いえ、寝てません!! 寝てませんとも!!」

 「おっ、そうか。じゃあ、教科書19頁に書かれていた文章の内容を聞いて、主人公以外の人物はどのように思ったと思う?」


 直後、私は「えっ」と口から驚嘆の言葉が漏れながらも、必死に教科書のページをめくっていた。目を血眼にして探している姿は、授業を寝ていたということの表れである。私はかすかにすすり笑いが聞こえてくる周りの状況を気にすることなく、教科書の該当ページを開いた。

 しかし私にはわからなかった。授業を全く聞いていなかったからである。私は、正直に謝った方が良いと思い水上先生の顔を見つめながら謝罪の言葉を述べる。


 「えぇっと……すみません!! 分かりませんでした……」

 「……ちゃんと、夜更かししないように規則正しい生活をしような。じゃあ、代わりに市城」


 水上先生は私にため息をつきつつ、隣に座っているかなちゃんを指名する。

 その対応に対し、かなちゃんは悪態一つつかずに「分かりました」と言いながら教科書を両手で持ち立ち上がる。


 「横暴な行動ばかり主人公に対し、手を下すことで他の人々が安堵できたのではないかと考えます」

 「では、その言葉をカタカナにすると?」

 「そうですね……カタルシス、とでも言うべきでしょうか」


 かなちゃんがそのように答えると、クラス全体からおぉ――というどよめきが起こる。そんな中、私はかなちゃんの言い回しが分からなかった。

 だからこそ、私は授業を聞いている風に相槌を打っていた。


 「市城の言ったとおりだ。ここはテストに出るから、各自復習しておくように」


 私は先生が重要と言った教科書の箇所にマーカーで線を引き「重要」という文字を書き込んでいた。そんな最中、授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。


 「はい、今日の授業は終わり。号令はなくていいから、各自板書を写し次第終了してね」

 「はい、分かりました!! 先生、ご指導いただきましてありがとうございました!!」


 水上がその様に言って授業を終わらせようとしている中、HR会長を務めている志垣しがき君は立ち上がりお礼を叫ぶ。

 志垣君は身長171cmの丸刈り頭の男子高校生である。野球部に所属しており、ポジションはレフトを務めており、将来は一流企業の野球部に入るべく文武両道に励んでいる。

 そのためか、他クラスに響くほどの声の大きさで話してしまう癖があるようだ。


 そのため、「声がうるさいけれど頼れるやつ」として認識されている。


 授業が終了した後、10分ほど経つとだんだんと教室内が騒がしくなってきていた。女子仲間や男子仲間、はたまた男女混合で集まり今度の休日について話しているグループもあれば、一人で本を読んでいる者、塾の課題に取り組んでいる者もいる。


 そんな中、私達のHRを担当している先生が入ってきた。

 直後、女子生徒達は全員真剣な顔をしながら各自の座席に着席する。

 何故なら、「突撃!! ドキドキ!! 女子生徒100人に聞いた学内教師の顔面偏差値ランキング(許可なし)」という記事内で80%以上もの票を集めた神白大地かみしろだいちが担当しているのである。


 身長はやや高く、猫のようにぱっちりと開いた瞳。長いまつ毛に、細すぎもしない眉毛。男性とも女性ともとれるほどに中性的な顔つきをしており、顔にはニキビやクマすらない。口調は少々とげがあったりするときもあるようですが、女性教員からも人気のようである。


 その理由は、絵画のように美しいからというだけではない。

 一番の要因は神白がさりげない優しさを発揮するからである。


 勉強が分からない男子生徒がいれば、その生徒へ個別で勉強指導。素行の悪い生徒がいたら、怒鳴り散らすのではなく何故そんな事をしたのかを聞き、相手に行動を改善させるという指導方法。


 これだけ完璧でありながら、自らの成果を無理に明かさない。

 だからこそ、神白先生は絶対的な信頼と人気があった。

 最も、私はそんな優しさを一つも受けたことがない。


 なぜなら、私は授業中ずっと寝ているからである。

 神白は、授業を真面目に受けない生徒に寵愛は与えないという人物なのである。

 まぁ、当然と言えば当然のことである。

 

 「今日のHRで伝える事項は、明日の内容だけです。まず、明日の3限は私の授業の代わりに体育を務めている大和田先生の授業があります。なので、体育着をしっかりと持ってきてください」 


 神白に嫌われているとも知らない私は、この瞬間心が躍っていた。

 勿論、神白先生に興味などありません。私が興味を持ったのはフットサルである。

 私は、隣に座っているかなちゃんに対して目を輝かせて見せた。


 「かなちゃん、フットサルかな? もしかして、フットサルかな?」


 その反応に対しかなちゃんは微笑を顔に浮かべつつ、「残念だろうけれど多分背の順の並び替えとかだと思うよ」と言う。


 「背の順はいやだよぉ。私背が小さいんだもん……」

 「仕方がないよ。だって、2列並びとか4列並びとかをやらないと、避難するときに苦労するからね」

 「……やりたかったなぁ。フットサル」


 私の発言に対し、かなちゃんは目を細めながら「ハハハ。接那らしいや」と呟いた。私の身体がスポーツ向きでないことは当の昔に理解している。あの頃から身長が全く伸びなくなったのだ。耳までかかるほどの髪に、黒色の瞳。マシュマロのように柔らかい肌に、はねたアホ毛。身長164cm。肌色の細い腕とスレンダーな足。もし、私を見たら皆がこういうだろう。


 「君、将棋部でしょ?」

 「ははは、将棋部じゃないよ?」

 「じゃあ、餅つき部?」

 「んなもんあるわけないやろ」 


 

 私が一人自問自答で怒りを感じている中、神白は「はい、これで連絡は終わります。HR会長、号令お願い」と声を出す。直後、志垣君は息を大きく吸ってから大きな声を出した。

 

 「起立ぃつ!! 気を付けぇ!! 礼ィ!!」

 「うるせぇぞ!!」


 その声の大きさに、廊下を歩いていた眼鏡をかけた男子高校生グループからヤジが飛んでくる。

 私も、声の五月蠅さに耳を塞ぐほどだった。


 こうして、一日の授業は終了する。

 それと同時に、私は荷物の用意を始めた。


 「ねぇ、接那。本当にサッカー部のマネージャーにするの? 前やめようとしてたじゃん」

 「うん。だってこれは……私にとって、唯一チャンスだから、絶対に手放すことはできないよ」

 「……分かった、けどね。もしつらいことがあったりしたら何でも相談してね」

 「ありがとう、いつもいつも私を助けてくれて」

 

 私がかなちゃんにお礼を言った後「フフフ、こちらこそいつも助けてもらってありがとね」とかなちゃんは呟いた。いつもお世話になっているのはこっちの方だよ、と思ったが言うのは野暮と感じた私は「また明日!」と元気良く言って帰るかなちゃんを見送った。


 そうして、かなちゃんが教室から退出し5分ほど経過した。

 教室には私と日直登板の男子生徒だけだった。日直の生徒は四月十四日と書かれた日付を道具を用いて消し、新しく四月十五日と書き直していた。


 そんな生徒の姿を見つつ、私は一度深呼吸してから両頬を二度叩く。自分自身に活を注入すれば、後は行くだけだ。そう思った私は、帰宅していく生徒を躱しつつ駆け足で職員室へと向かっていった。


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