第19話 夜のグラウンド、本音をぶつけ合う二人の巻

 四月二十三日、十九時二十二分。


 マーキスと初音は、到着予定時刻と寸分の狂いもなく沢江蕨高校正門前に向かっていた。

 スケジュールが上手くいったこともあり、初音は小さな声で昔に流行っていた歌を口ずさんでいた。


 「お待ちしておりましたよ。初音様」


 そんな中、一人の男の声が静かな道に響き渡る。


 沢江蕨高校の正門前。正門前の壁に、一人の男が背中をつけ腕組みをしながら立っている。男は、白色のYシャツに、黒色のズボン。青色のネクタイを付け、右手には先ほどまで使用していたユニフォームが入った黒色のスポーツバッグを持っている。

 男は、初音の元へ笑みを浮かべながら向かおうとする。「ヒッ」という小さな声が夜更けの道路に響き渡るが、誰にも聞こえない。いや、聞こえなくても関係ないだろう。何故なら、彼女の前に立ち壁の役目を果たす男がいるからだ。


 「あらら、一体何でしょうか。まさか、私が下卑た行為をするとでも思われているのでしょうか。もしそうでしたら、非常に心外ですね」

 「いえ、違います。ですが、私の今の役目は初音様の護衛です。だから、許可無しに近づけることはできません」

 「そういうことだ。隅家君。君の求める条件は、後の交渉で追加させていただくよ。だから、今日のところは帰ってくれないか」

 「……へへッ、そうですかい。分かりました。それじゃ、今日のところは失礼させていただきます」


 隅家は下劣な表情をしながら、彼らのもとを去る。彼からすれば、約束を果たせればそれで十分なのだ。通常の人間ならば、口約束を承諾するとは限らない。しかし、初音に限れば別だ。彼女は自らが発言したことは絶対に通すような人間なのだ。だからこそ、信頼が出来るのである。若干上機嫌になった隅家は、ガードしているマーキスの隙間から初音の姿を覗き見る。


 彼の眼には、琥珀色に淡く輝く瞳が美しく感じた。勝利は、その瞳には、濁りを感じられない。人の様で、人の様でないというべきだろうか。隅家は軽く咳払いをした後、顔を合わせようとしない初音に向かってこのように伝えた。


 「これからのご活躍、期待しておりますよ。、でしょうがね。それじゃ、失礼いたします」


 意味深なことを初音に告げた隅家は、闇夜に溶け込んでいった。完全に視認が出来なくなったことを確認したマーキスは、初音へ「申し訳ございませんでした。いつも私がスカウトした隅家あいつが迷惑をかけてすみません」と頭を下げながら謝罪を行った。


 「ふふっ、君のそういう誠実性、好きだよ」


 初音はマーキスに対しそのように言いながら、夜空を眺める。夜空には散りばめられた星々が煌々と光り輝いている。そんな夜空を見つつ、初音は質問を口にした。


 「君、私のことは嫌いかい?」

 「いえ、嫌いではありません。むしろ好いています」

 「ならば、私を好きで居続けてくれ。私は、どうにも人に好かれないタイプらしいのでね」


 初音は、ほっとした表情をしつつマーキスへ悩みを話した。彼女は言葉が男勝りかつ、語気が強いため同性や異性から避けられてきた。だからこそ、仕事という関係柄ではあるものの彼女の本来の姿を受け入れてくれる彼は、貴重な存在なのである。


 「そういえば、マーキス君。彼らの配備はもう行ってくれたかい?」

 「配備の連絡は三日前に行っておきました。そのため、現在は到着していると思われます。また、初音様の指示があるまでは待機することも伝えました」

 「素晴らしい。完璧だよ、マーキス君。後は、我々の手で彼を捕まえるのみだ。さて、私達も学内へと入ろうじゃないか」

 「分かりました、初音様」


 初音がそういった後、マーキスは後ろからついていくようにして学内へと侵入しようとしていた。コーチの仕事を反故にし、チームの名前に傷をつけた荒畑を捕まえるためだ。

 そのために、荒畑の包囲網まで作ったのである。ここで捕まえなければ名が廃る。特別待遇などありえない。秩序のために、あってはならないのだ。


 それにもかかわらず、彼女は歩を進めるのを辞めた。何故か。理由はいたって単純だ。荒畑宗平が、一人の少女にサッカーの指導を行っていたからである。


 沢江蕨高校グラウンド内にて――


 荒畑は接那へサッカーの指導を行っていた。


 事の発端は市城が「トイレに行ってくる」と言った後、接那と荒畑が二人きりになったからだ。接那は当初はどうしようかと悩んでいた。しかし、その答えは彼女の純粋な願いが解決した。


 「荒畑さん。先ほどは試合をしていただきありがとうございました。お時間がございましたら、PK練習を見ていただきたいです!!」

 「ああ、うん。いいよ。その指導、無料で引き受けるよ」

 「――え?」


 接那は、荒畑にPK練習の指導をしてほしいと頼み込んだのだ。通常であれば、プロが無料で指導をすることはめったにない。しかし、荒畑は無料で彼女の指導を引き受けたのである。

 予想外の事態に対し、接那は困惑した。コーチを断った理由がわからなくなったからだ。そんな彼女に対して、荒畑はてきぱきと用意を進めていく。


 そして、わずか一分でルール等を決めPKの場面が出来上がった。この時、荒畑はゴールの代わりにシンガードで横距離を設定した。その距離を見ただけで、接那はこの条件がプロのサッカーゴールと同じであると理解できた。つまり、幅7.32m、高さ2.44m、ゴールポストクロスバー12cm以下の大きさである。更に、PKの場合はゴールから10.97m離す必要がある。


 その条件下を、荒畑は目視で正確に作り上げたのだ。そのことに驚きをもちつつ、接那はPKを蹴るために頭の中でロジックを作成していた。 

 

 「ああ、大丈夫だ。さぁ、どこからでも打って来い!!」

 「分かりました……じゃあ、行きます」


 接那は荒畑がそういったのを確認してから、数歩後ろへ下がった。そして、その場で足踏みをしボールを蹴るまでの集中力を研ぎ澄ましていく。


 得点を取るには、GKの手をすり抜け、ゴールネットを揺らす必要がある。その時に重要なのは、純粋なパワーやコースなど様々だ。その中で、接那はコースとタイミングを重視していた。シュートの威力が強くない以上、GKに獲られるのは確実だからだ。


 だからこそ、彼女はシュートを打つ際に軸足である左足を真っすぐボールの左前に出す。軸足からコースの判定を出来ないようにするためだ。


 接那はインサイドキックでボールの下を叩くようにしてシュートを放った。ボールは後ろ回転をしながら、ゴール右方向へ飛んでいく。そんなシュートを、荒畑は軽々と左足でトラップした。


 自信があったシュートであっただけに、接那は軽くショックを受けていた。そんな接那に荒畑は軽い口調でこのように伝える。


 「PKはあまり決まるものでもないから、気にすることではないかな。それと、今さっきPKを蹴るときに軸足を固定するのは良い考えだと思うよ。GKは軸足から判定する選手が多いからね」


 荒畑は接那のことを気遣うような言葉を告げた後、「じゃあ、ちょっと見てもらっていいかな?」と言いつつ、彼女を自分の横へ来るように指示を出した。その言葉に対し、接那は素直に従った。


 荒畑はボールを戻した後、接那が自らのプレーを眺めていることを確認してから、三mほど距離を取る。荒畑は一度深呼吸をし、ゴールネットを睨みつける。そして、狙いを見定めてからボールを蹴るために五歩足踏みをしてから、走り始めた。


 置かれているボールの位置を改めて確認し、ボールの横に左足を置く。

 腰の辺りまで上げてから、ためていた力を放出しボールを蹴り上げると同時に体が宙へ浮かび上がる。荒畑の放ったボールは、強烈な縦回転を生じながらゴールネットへと吸い込まれていった。


 荒畑は、接那の方を見つめつつこのように伝えた。


 「今のを見て分かったと思うけれど、シュートを放つときは、ボールを蹴るだけじゃダメなんだ。重要なのは、体全身を用いて体重をボールにのせること。そのためには、フォロースルーを意識する必要があるんだ。これらが上手く出来るようになれば、シュートの威力・決定率は格段に上がる」

 「なるほど……分かりました。ご教示、ありがとうございます」


 接那は、荒畑へ歯を見せながらお礼を伝えた後、「では、もう一度やってみます」と言いつつ同じ場所へボールをセットする。

 その後、助走とボールへのインパクトに意識を向け、ボールの面をじっくりと見つめていく。

 接那に不思議な感覚がよぎる。今まで見えていなかったボールの面が、鮮明に見えるようになっていたのだ。今まで、蹴るときには見えていなかったものが、この時見えるようになっていたのである。


 不思議な感覚を感じつつ、接那はインステップキックでボールをけり上げる。先ほどと考え方を変えて蹴ったボール。そのボールは、先ほどよりもより速く飛んでいく。そして、ボールは想定していたゴールの位置から五m後ろの位置でバウンドし、十mほど転がってから静止した。


 「確かに、さっきよりも鋭くシュートが飛ぶようになりました!!」

 「うん、今の蹴り方でいいと思うよ。さて、と。一つ、聞いてもいいかな」


 接那は荒畑からの質問に対し驚きつつも、ちゃんと答えようと思い両ほほを叩いてから荒畑の顔を見つめなおした。


 「はい、なんでしょうか?」

 「いや、ね。今のシュートとさっきのシュートも、昔の俺のフォームにそっくりだったな――って思ってさ。懐かしさを感じたよ」

 「……懐かしさ、ですか?」

 「ああ、というよりも、聞いていて心地のいい話ではないだろうけどね。まぁ、もしよければ聞いていってよ」


 そう言いながら荒畑はグラウンドに座り込む。その行動に対し、接那は荒畑と同じようにピッチの上に体育座りで座り込んだ。座った子を確認した荒畑は、「ふ――」と息を吐いた後、昔の話をし始めた。

 

 「中学生の頃、俺は160cmにも満たないひ弱な少年だった。勉強もできない、会話も苦手、料理も出来ない。そんな男でも、魅せられてしまった。とある高校サッカーの試合で決められた一得点。俺はそのプレーに憧れを抱いた。いつか、こんなでかい場所で得点を決めてやりたい。そう思ったからこそ、俺はサッカーをやり始めたんだ」


 この時まで、接那は荒畑と同じきっかけだとは、知らなかった。


「中学生でサッカー部に入部した俺は、日々の練習に対して毎日ひたむきに取り組んだ。そのために、筋トレだって取り組んだし、シュートを放つときのイメージトレーニングも毎日欠かさずに取り組んだ。けれど、そんな努力は誰も見てはくれやしなかった。試合に出される選手達は全員固定。チーム内で根本的に重要なのは、でかさだけだった。俺は嫌気がさした。どんなに頑張っても誰も見てくれやしないなんて、虚しいだけじゃないかって思ったよ。だからね、俺は中学の時にサッカーを辞めたんだ」


 この時まで、接那は荒畑も同じようにサッカーを辞めていたとは、知らなかった。


 「けどね。俺はこの時始めて分かったんだ。サッカーは、俺にとっての全てだって」


 震える声で話す荒畑の隣で、接那は体育座りをしながら頷いていた。その気持ちは、絶望ではない。その気持ちは、嫌いという気持ちではない。その気持ちの正体は、共感だった。


 「サッカーの大切さを失って初めて気が付いたとき、俺はまたサッカー部に入ることを決意したんだ。けど、そこで思い知らされた。気持ちだけじゃ、成功はない。成功するには、それに伴った努力が必要なんだ。だからこそ、俺はFWとしての個人技を極めた。その結果、俺はプロの選手として生きていくチャンスを手に入れた。その中でも、俺は実力不足だと理解していた。だからこそ、俺は毎日自主トレに励み、個人技を更に極めたんだ。だが、たった三年で俺は解雇された。今拾われたチームでも同じ扱いさ。選手としてではなく、俺はコーチとして雇われたんだ」


 接那はこの時、初めて真実を知った。荒畑が断った理由は、チームが嫌だったわけではない。ただただ、選手として生きることに渇望していたのだ。接那は、言葉が零れ落ちた。


 「コーチの仕事、やらないと、どうなるんですか?」


 その言葉に対し、荒畑は空を見上げながらこのようにつぶやいた。


 「きっと、俺は二度とサッカーが出来なくなると思う。けど、それも愚者の結末としたら十分なんじゃないかな」

 「……それは、本心ですか?」


 接那が荒畑へそのように質問した途端、荒畑は口を閉じて下を向いた。両手と唇がかすかに震え、その姿からは焦りが生まれているということが理解できた。

 接那は下を向いている荒畑の顔を見ながら、このように伝えた。

 「私が知っている人は、諦めが悪い人です。私が知っている人は、勝ちに対して貪欲な人です。私が知っている人は、決してラフプレーをしない人です」


 荒畑は黙って言葉を聞いている。腕の震えがより強くなる。 


 「私が知っている人は、いつもは寡黙でも試合に出れば人が変わったように明るくなって、みんなを鼓舞していました」


 荒畑は唇を震わせながら、体育座りに座り方を変更した。


 「君は……俺がどんな人間か知っているのか?」

 「何も知りません」

 「君は、俺の闇を知らないだろう」

 「確かにそうです。何せ、私はあなたの光しか知りませんから」

 「君は、プロとして生きる重圧を知らないだろう。いつ解雇されるかわからない恐怖を知らないだろう」

 「確かに、私はプロではありません」

 「では、何故知ったような口調で話すんだ?」


 荒畑と接那は、淡々と短い会話を行っていく。既に時間は、七時四十五分を回っていた。

 夜も更け、星々はより色濃く空へと浮かび始める。その最中、彼女は両足で立ち上がる。そして、下を向いている荒畑へこのように伝えた。


 「私は、あなたの苦しみが理解できるからです。私は、かつてプロを目指していましたから」

 

 荒畑は彼女の一言を聞いた途端、顔を上げた。


 「私は、荒畑さんに憧れてサッカーを始めました。いつか大きな舞台で、試合に出て活躍したいと思い、日々練習に励みました。けれども、私は一度も試合に出れませんでした。能力も体格も秀でていなかったからです。私は選手として求められていないことを嘆きました」

 

 接那は荒畑の瞳を真っすぐに見つめつつ、思いを吐露した。


 「私ははっきり言って、サッカーの技術に関してはほとんどありません。体力テストは平均以下の項目が多いですし、突出した技術力もありません。それでも、荒畑さんのようになりたいと思ったからこそ私は夢を持ってサッカーに取り組めたんです。私がサッカーを辞めなかったのは、荒畑さんがいたからなんです。きっと、荒畑さんに出会えてなかったらこんな夢すら持てませんでした。本当にありがとうございました」

 

 接那は、荒畑の顔を見ながら本心を伝えた。

 その表情には笑みが浮かんでいた。


 「残念ながら、学内には男子サッカー部しかありませんでした。ですが、私は第二の道を見つけたんです。それが、マネージャーという道でした。荒畑さんの悩みを聞き、解決に導けるようなマネージャーになろうと決めたんです」


 荒畑は、目の前にいる女性を見るべく顔を上げた。

 そして、彼女がどのような顔で喋っているかを始めて理解した。


 「エゴかもしれません。自己中心的かもしれません。けど、私はそれでいいんです。それでこそ荒畑さんなんです。私は、荒畑さんのあるがままを受け止めます。荒畑さんの苦しみや悲しみを共に分かち合い、いつか、前を向けるまで私は支え続けます。


 それが、私が唯一出来るたった一つの恩返しですから」


 接那の瞳には、涙が浮かんでいたのだ。

 その涙の意味を、荒畑は理解することが出来た。


 「……あぁ、そっか。そういうこと、だったのか」


 荒畑は人工芝の上で大の字になりながら、空を見上げる。その瞳からは、静かに一滴の雫が流れ出していた。涙は彼の膿を静かに、静かに流していた。満天の星空の中へと膿が吸い込まれていく。


 その膿が出ているとき、彼はぽつりとつぶやいた。


 「君は、負けてねぇよ」

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