第42話 刹那、時は動き出すの巻

 群青色の空にキラキラと星々が輝く夜。寒風が吹く公園で、私は一人の少女を待っていた。不思議と肌寒さは感じない。なぜかと考えたが、理由はわからなかった。


「や。久しぶりだね、接那」


 そんな私に、一人の少女が声をかける。ギラギラと燃える赤色の瞳を持つサッカー好きな少女、國岡だ。黒色のスポーツジャージに身を包んだ彼女はあの日と変わらない態度を取っている。


「……久しぶりだね。國岡。あの試験ぶり以来か。準備はどう?」

「それなりに進んでいるよ。接那は……どこに行くんだっけ?」

「沢江蕨高校に行く予定だよ。地元だしね」


 それを聞いた國岡は眉をしかめながら私に質問する。


「接那、女子サッカーチームがある高校にはいかないの? 学費は高いかもしれないけれど、そういう選択肢だってあると思うよ?」


 至極真っ当な意見だと思う。女子サッカー部があるチームである程度経験を積めば女子プロサッカー選手にはなれるかもしれない。


「けど、両親に迷惑はかけられないよ。学費が高いしね」

「……本当に、そう思っているの?」

「……うん」


 私は國岡にうそをついた。本心は違う。


 私も挑戦したかった。

 自分の力を戦場で試してみたかった。

 けれど、一歩を踏み出すことが出来なかった。


 私の実力が弱いことを、私自身が理解したからだ。


 今でも、あの日の場面が思い浮かぶ。


 國岡にアシストすることで同点に追いついた、あの場面。私ではなく、荒畑さんや桜庭だったら単独で決めていた筈だ。彼らがエースストライカーと呼ばれる理由は、まさしくそこにある。彼らには、どんな方法を使ってでもゴールを奪い取るエゴが乗っている。独りよがりと思えるようなワンマンプレーだとしても結果を残しきる技量と精神力があるのだ。


 その精神力が、私には欠落していた。どんな手を使ってでもゴールに直結させる心が伴っていなければ、エースなんて目指せるわけがないのだ。


「でもさ。やってみないとわからないじゃん? 例えば、高校にある場所じゃなくて地区のクラブチームに入るとかさ……」

「簡単に言わないでよっ!!」


 びくりと國岡の肩が跳ねる。


「私だって、一人で努力したよ! プロになりたくて、頑張ったんだよ!! 努力して努力して努力して、必死に頑張って! でも無理だった! 届かなかった!! このつらさが、あんたに分かんの!?」


 國岡は真剣な顔つきになりながら私のほうを見つめていた。はぁ、はぁ、と喉を抑えながら咳き込んでいると、國岡が背負っていたリュックを下す。シュルシュルと音を鳴らしながら取り出したのは、サッカーボールだ。


「接那。申し訳ないけど、あんたの気持ちを私は理解することが出来ない。けどね。これを通してならあんたと分かり合えるよ」


 國岡は両手でボールを持った後、スローインで私にボールを渡した。

 私はぽんと音を鳴らしながら胸でトラップし利き足にボールを落とす。

 私が顔を上げると、國岡が口角を上げながら提案する。


「これから私と二回、勝負しよう。一回でも躱せたら貴方の勝ちでいいよ。じゃあ、始めようか」


 國岡はそう言うと勢いよく走ってきた。一瞬あっけにとられたが、すぐさま右足を用いて逃げようとする。しかし、私の動きは彼女によまれていた。國岡は左腕を私の胸前に入れると同時に体を割り込ませた。目で追うことが出来ないほど素早い守備を受けた私はバランスを崩し、前のめりに倒れた。


 國岡は冷徹な表情を浮かべながら倒れる私を見つめていた。


「あと一回だけど……まだやれそう?」

「まだまだ……やれるに決まってるだろ!」

「そうかい。その気持ちが続くといいね」


 私は國岡からパスを貰うと同時に、相手の動きに注目する。動きから想像するに、國岡は割と力を出して走っているだろう。もし私の考えが当たっているなら、頭上を越すボールには弱いはずだ。

 私はそのような推測を立てると同時に、ボールを下からすくい上げる。宙を舞ったボールは國岡の頭上を通り過ぎて行った。このまま抜かせれば勝てる。そんな希望が私の中に生まれてきた。


「甘い。甘すぎるよ、接那」


 そんな希望は、あっという間に打ち砕かれた。國岡は私が走り始める前に異常な速度でバックステップを行ったのだ。さらに彼女は数十センチほど宙に浮きながら体を半回転させた後、勢いよく走り始めた。そのまま、ボールを奪われてしまったのだ。


「……これで、本当にプロになれると口にしていたの?」

「……くそっ! なにが! 何が足りないんだよ!!」


 私は地面に這いつくばりながらうつむいていた。目の前にいる少女は女帝と呼ばれていたときと同じ表情を浮かべている。すると、國岡がゆっくり口を開く。


「……少しだけ親密な関係性を構築していたからさ。教えてあげるよ」


 彼女は私の前でしゃがみながら話を始めた。


「……これは三原君にも言えるんだけどさ。君たちは小手先の技術ばっかり鍛えようとしているんだよ。例えば、さっき見せたシャペウとか。あれは初見殺しにはなるけれど、二回目はほとんど通用しないと思ったほうがいい」

「それは……なんで?」

「簡単だよ。プロとして食っていきたい連中はわんさかいるからさ」


 國岡の回答は至極単純でありながら、真理を突いていた。


「プロの世界は、あんた以上に金にがめつい奴らが多い。だって、金を稼がないと生きていくことが出来ないもの。だから、彼らは限界まで努力する。時間を少しも浪費せずに、突き詰め続ける。そんな努力を、あんたはしてきたか? 全ての時間をサッカーに使おうと思うほど、努力し続けてきたか?」

「………………していなかったと、思う」

「ほら見ろ。図星じゃないか。そんなんでプロに行こうたって甘いんだよ。プロは、接那が思っている以上に厳しくてシビアなんだ。そんな世界で生き抜こうとするなら、今みたいに小手先の技術だけで生きるのは無理。せめて、優秀な指導者をつけない限りは無理だと言っていいだろうね」

「………………そっか、だから國岡は」

「はん。私があそこに行った理由をやっとわかったんだね」


 國岡は口調を荒くしながら私に現実を突きつけた。

 現実と理想のギャップを思い知った私は、茫然自失としている。


「あんたがプロになりたいっていう純真無垢な気持ちは、この数年で知ってるよ。だから言わせてもらう。本気でプロになる気持ちがないなら、草サッカーをたしなんでいたほうが良い。その方が傷つくことは絶対にないからね」


 國岡はそういった後、ゆっくり立ち上がる。ボールをカバンの中にしまった後、私に対し「寒くなってきたから、そろそろ帰ろう」と言ってきた。私は思考が追い付かないまま、おぼつかない返事を返しつつ立ち上がる。


「すまねぇな、接那。私、普段はここまで感情的にはならないんだけど、現実を知ってもらった方が良いと思ったからこうなったんだ。許してくれ」

「………いいよ。國岡が私のことを思ってくれているのはわかっているからさ」

「そうか……ならいいんだ。それじゃあ、また今度会おうな」

「うん。また今度ね」


 私はそんな会話を交わしながら國岡と別れた。胸の中では、ずきずきと先ほど言われた発言が響き続けている。家に帰ると、お父さんとお母さんが温かく出迎えてくれた。二人の優しさに感謝をしつつ、一通り就寝準備を済ませる。


 自分の部屋に戻ると、様々なサッカー関連の書籍や資料が目に移った。戦術やプレイ方法をバカなりにまとめた資料が努力の軌跡を表していた。


「私、頑張っているけどな……まだまだ、足りないんだ」


 私はベッドの上に寝っ転がりながら、ため息をついた。心の中にぽっかりとあいた穴は未だにふさがる気配がなかった。


「そういえば、Fリーグはどうなっているんだろう?」


 私は湧いてきた疑問を解決するべく、スマホで荒畑宗平と検索する。数秒間読み込み時間が発生した後、トップページに表示されたのは目を疑う内容だった。


「荒畑選手が、退団……!?」


 私は目を疑った。夢ではないかと思いながら、自分の頬を抓ったりもした。残った痛みが、無情な現実であると私に理解させる。胸の鼓動が早くなり、嫌な汗が体中に現れた。呼吸が荒くなるとともに、私の中で考えてはいけない文字が脳裏に浮かぶ。


「私も……プロになったら、クビになるのかな……いきなり、唐突に、未来が閉ざされるのかな……」


 考えないようにしていた答えが、口から漏れ出した。そこから始まるのは、私が保っていた精神の瓦解だ。一つ一つ、積み重ねられていた積み木が崩れていくように、私の保っていた糸が途切れていった。


 ぷつり、と何かが切れた音がした。


「私……プロになるのをあきらめよう」


 私は、静かな部屋の中でそうつぶやいたのだった。



 季節はあっという間に流れ、四月となった。暖かな陽気と共にあわただしい新生活が始まろうとしている中、私はかなちゃんと一緒に歩いていた。


「かなちゃん、本当にこの学校で良かったの? あまり偏差値高くないけど……」

「いいのいいの! 接那と一緒の学校に通えるほうが嬉しいしね!」

「かなちゃぁ~~ん……ありがとう……!」

「ちょ、ちょっと! 恥ずかしいからやめてってぇ~~!」


 私はかなちゃんが一緒にいてくれたことに安堵しながら高校の入学式へ向かった。入学式を終えた私は、楽し気にかなちゃんと談笑を行っていた。かなちゃんは相変わらず麵が大好きだなと思いながら話を聞いていると、背の高い上級生が話している内容が耳に入った。


「そういや聞いたか? 今年、サッカー部にコーチが入ってくるんだとよ」

「確か、フットサルリーグで得点王だったんだろ? すげぇよなぁ」


 その発言を聞いた私は急に胸がざわざわとし始めた。

 まさか、と思いながら私は男子生徒たちに質問する。


「あの……その人ってもしかして、荒畑宗平って名前じゃないですか?」

「そうだけど……なに?」


 それを聞いた私は、はっとした表情になった。

 前に國岡から言われたことを思い出したのだ。


(もし荒畑さんに接触できれば……私は、道を開けるかもしれない……!)


 私の中で、乱雑になっていた経験の粒たちが、一つずつ紐づいていく。


(それにはまず、マネージャーとして入部する必要があるな……!)


 私の中で無駄だったはずのマネージャー経験が、荒畑さんに会うための手段として活用できると気が付いたのだ。私はゆっくりと目を輝かせながら、加奈ちゃんの方を振り返る。


「かなちゃん! 私、またサッカー選手を目指すよ!!」


 かなちゃんは面食らった表情を数秒間浮かべたが、すぐにほほ笑んだ。


「うん! 接那ならなれるよ! 絶対!!」

「よ――し! がんばるぞ!!」


 この日、私はまた、プロとしての道を歩むことを決意したのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る